英語とアクセントとアイデンティティ

昨晩、日系4世でかつて判事だった人物から聞いたエピソード。「かつて空軍で講義をした時に、
生徒の一人が、講義後に『あなたの完璧な英語には、感嘆しました。どのように勉強されたんですか?』と。僕は日系だけど4世だからもちろん英語しか話せないんだけど、こう返したんだよ。『いやね、1ヶ月間の集中英語キャンプに入ったんだよ。びっくりするくらい上達したよ。君も入ると良いよ』って。僕は外見がアジア人だから、彼にはアクセントのない英語を話す僕が驚きだったんだろうね。」

確かに、ここではアクセントが外見と共に、他者から見る自分のアイデンティティとなっていることが多いと実感するこの頃。同時に、自分のアクセントが、出自に関係なく自分の魅力なのだと誇れれば最高。いずれにせよ、大人になってからの第二言語の習得がどれほど苦労を要することか。英語しか話せない人が多い国ではそれを理解できる人は、都会部以外では少なく、しかもアジア人というフィルターで見られていることにことさら敏感になる自分がいることにも事実です。

先の彼の大人の対応には、まさに詠嘆そのものでした。

今のアメリカには、ここで書かれているようなことが日常的に起こる世界に代わっているような気がします。

https://cakes.mu/posts/23181?fbclid=IwAR0AyPde1BLTOVJkd7P8vCvkQXKR_LxRdfEW4_AZ-g5CmCxnLLNuDrkzd60


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