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「VSガン」忌野清志郎の言葉。

(忌野清志郎の言葉35)

忌野清志郎が亡くなった年、あるシンガーが、
「逝っちまったね。でも、好き放題やったんだから」と
ステージでつぶやいた。
清志郎は、驚くほど正直な人だったんだろうと思う。
感じた通りに動く、感じたことを歌にする。
まさに、どんなことでもロックにしてしまった。
人生を、自由奔放に楽しんだのだ。
でも、それは、とてもハードな日々だったはずだ。

自由を阻む、規制やタブー、目に見えない権力。
ほんの少し妥協すれば、ラクできたはずなのに
清志郎はそうしなかった。
それは、性分というか、清志郎の根っこに
あるものがそうさせたのではないか。
そして、ロックンローラーであり続けるために、
相当無理した部分もあるのではないか。
タブーに挑む、権力と戦うだなんて、どんなに神経の
太い人間だって、クタクタになるはずだ。
あんなに繊細な歌を書く人、心もそうだろう。

清志郎はいつも多大なストレスを抱えていたはず。
自分を貫くという強い意志が命を縮めたのではないだろうか。
突然襲った病魔、喉頭がん。
清志郎は、それでも歌いたいと考えた。
声を失うなんて、ありえない選択だったんだろう。
だから歌うという選択、
がんを切除しないという道を選んだ。

完全復活祭の追加公演、大阪フェスティバルホールで
清志郎は、ガンについて語っていた。
「今、4人に1人がガンで亡くなっている。
そのほどんどが治療が原因で亡くなっているんだ」
「今はその時期じゃないが、いつか
そのことについてメッセージしたい」と、
そのような内容だったと思う。

忌野清志郎の次の歌のテーマは、
ガン治療についてだったのかもしれない。
タイマーズでガンで亡くなったアナウンサー逸見政孝さんの
ことをテーマにした「イツミさん」という曲を発表しているが、
おそらく、その延長線上にあるものだろう。
歌いたいから歌う、ではなくて、
歌わなければならない。そんな強い思いで
取り組もうとしていたはずだ。

清志郎は昔から、東洋医学に傾倒していた。
過去に、医者にもう治らないと見離された肝臓の病が、
東洋医学を研究し、自ら実践することで、
奇跡的に完治したからだ。
喉頭ガンの治療も、抗ガン剤の副作用が
強すぎるという理由で、途中から
代替医療という民間療法に切り替えていたようだ。
それが正しかったのか、正しくなかったのか。
わかる日が来るのは、もっともっと先のような気がする。

ガンに勝つこと、そしてガン治療をテーマとした
歌をつくること。
そんな夢は、最後までかなわなかった。



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