OD・非常勤講師問題

1.大学院博士課程修了者の進路

 大学の上には,大学院があります。法規上の目的は「学術の理論及び応用を教授研究し,その深奥をきわめ,又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い,文化の進展に寄与すること」です(学校教育法99条)。

 厳めしい雰囲気を醸し出していますが,大学院に入る人は,以前に比して増えてきています。大学院は修士課程と博士課程に分かれますが,後者の入学者をみると,平成初頭の1989年では7478人でしたが,2018年では1万4903人に膨れ上がっています。平成の期間にかけてほぼ倍増です。

 大学院博士課程入学者の時系列カーブを見ると,1990年代以降の伸びが顕著になっています。グラフの提示は省きますが,それまでの増加が緩やかであったのと比べると,驚くべき傾向です。関係者の間ではよく知られている,大学院重点化政策によるものです。

 博士課程は,大学や研究所等に勤める学術研究者の養成を主眼としますが,社会が高度化する中,民間からの需要も高まるだろう。法律の上でも,高度専門職業人の養成を期待されている(上記の引用条文)。こう踏んで,博士課程の定員がどんどん増やされました。

 「こんなに増やして大丈夫か」という声もありましたが,博士課程修了者の行先はどうなっているのでしょう。2018年春の正規職員就職率を計算すると,大学学部卒業者は86.0%,大学院修士課程修了者は83.6%となっています(上級学校進学者は分母から除く)。昨今の好景気を反映してか,高いですね。ところが博士課程になると54.2%まで陥落します。その代わり,「一時的な仕事」「進学でも就職でもない」「進路不詳・死亡」が31.0%を占めます。

 予想通りといいますか,博士課程修了者の進路は厳しいようです。専攻別にみると,もっと悲惨な現実が露わになります。以下の図は,専攻別の進路内訳を帯グラフで表したものです。文科省『学校基本調査』のデータより作成しました。

大学院A

 博士課程修了者の進路は,専攻によって違っています。理系の専攻は比較的行き場があるようで,正社員就職率が高し。工学は56.9%,保健(医学等)は68.5%です。これらの領域では,博士号取得者のような高度人材への需要が比較的あるためと思われます。

 対して,文系の専攻は悲惨です。人文科学では,正規職員就職率が21.8%でしかなく,不安定進路が62.0%と幅を利かしています。芸術専攻では,修了生の3人に2人が不安定進路です。

 全体的に見て,不穏な藍色のゾーン(不安定進路)が垂れており,博士課程修了生の行き場がないことが知られます。紫色の「不詳・死亡」ですが,さすがに死亡者はほぼ皆無でしょう。このカテゴリーの多くは,調査時期(5月)に連絡が取れず,進路不詳に割り振られた人だと思われます。しかし,修了して間もない5月時点で音信不通とは穏やかではありません。

 これは修了時点のデータで,不安定な生活を何年か経てから,大学教員等の正規職に就く人もいます。しかし,そういう人は多くはないでしょう。2016年2月に,仏教研究者の女性が自ら命を絶ちました。博士号を取得し,大学教員への道を模索したものの上手くいかず,絶望した結果です。学術振興会,学士院の特別賞を立て続けに受賞したものすごい人ですが,こういう人でも厳しいのです(スゴ過ぎることが敬遠される原因になったのかもしれませんが)。

 より細かい小専攻別のデータも出せます。人文科学専攻は,文学,史学,哲学からなりますが,こうした小専攻ごとにみるとどうでしょう。このレベルだと数が多いので,先ほどのような帯グラフにすると大変です。正規職員就職率と不安定進路率をとった2次元の座標上に,各専攻を位置づけるグラフにします。下図は,34の小専攻の布置図です。%の母数(修了生)が50人に満たない専攻は,率の信ぴょう性が乏しいので対象から除いています。

大学院B

 横軸と縦軸はほぼ表裏なので,ナナメの配置になります。右下は,正社員就職率が高く,不安定進路率が低い「めでたい」専攻ですが,医学・薬学の保健系や工学系が多くなっています。

 斜線は均等線で,このラインより上にあるのは,横軸より縦軸の値が大きい専攻です。左上のゾーンに,文学・史学・哲学といった人文系の3専攻が位置しています(赤色)。史学専攻の正規就職率は12.7%,不安定進路率は64.6%。ある方が「博士課程の史学なんて『死学』みたいなもんだ」と言っていたのを思い出します。法学・政治学の不安定進路率が高いのは,司法試験浪人が多いからでしょうか。

 人数は少ないものの(ドットが小さい),人文・社会系は厳しいようです。「民間からの需要が増えるだろう」。こう見込んでの大学院重点化政策でしたが,その思惑は当たらなかったようです。

 よくよく考えれば,実現可能性の低い話です。当時の政策担当者も,腹の内では分かっていたことでしょう。本当の目的は,少子化による学部学生の減少を,大学院生の増加で補うことではなかったか。私の師匠の言葉を借りると,「ヨコに延ばせないから,タテに延ばす」です。大学院重点化政策は,衰退期に大学が己の維持存続を図るための秘策であった。ベストセラーになった,水月昭道氏の『高学歴ワーキングプア-フリーター生産工場としての大学院』(光文社新書,2007年)では,こう指摘されています。

2.大学教員市場の閉塞化

 博士課程,とりわけ人文・社会系の修了生の行先は,未だに大学等の研究機関しかなく,院生もそれを強く望んでいます。しかし大学は冬の時代を迎え,ポストは減少傾向です。教員が定年退職しても,後任の公募をしないことが多し。それでいて,椅子を奪い合う院生は増えていますので,競争が激化するのは道理です。

 その様を数字で可視化してみましょう。竹内洋教授が,大学教員市場の開放係数という指標を考案されています。博士課程修了者1人につき,大学教員の新規採用ポストがいくつあるかです。

 高度経済成長期の最中,1965(昭和40)年春の博士課程修了者は2061人。この若き博士たちにいくつのポストが用意されていたか。前年と比べて,大学本務教員は3037人増加(5月時点の教員数の比較)。これを新規採用ポストの数とみなすと,博士課程修了者1人につき1.5個の大学教員ポストがあったことになります(3037/2061=1.5)。

 当時では,需要が供給を上回っていたようです。新卒の博士全員が大学教員になっても,まだイスが余っていたと。成長の時代の恩恵といいますか,羨ましい限りです。

 しかし時代ともに,数値は下がってきます。下の図は,1963年から2018年までの長期推移です。当該年の博士課程修了者1人につき,大学教員の採用ポストがいくつあったかの指標です。

大学院C

 おおむね右下がりの傾向です。70年代の半ばに1.0を割り,需要が供給を下回るようになります。大学院重点化政策が始まる90年代の初頭にして係数は0.5,その後みるみる低下し2018年では0.1,10人の博士が1つのポストを奪い合う事態になっています。政策により,博士課程修了者が大幅に増えためです。

 最近の大学教員公募では,送った著書や論文等の業績を返却しないケースが増えています。憤りの声が上がっていますが,分かるような気もします。3ケタの応募があった場合などは,返送作業も大変ですからね。

 別の角度からのデータも見てみましょう。博士課程修了者の大学教員就職率です。昭和末期の1988年度では,大学の新規採用教員(新規学校卒)は1626人でした。同年春の博士課程修了者は5330人。単純に考えると,大学教員就職率は30.5%となります。

 最近ではどうでしょう。下の表は,1988年と2015年の比較です。専攻別の数値も掲げています。修了生が少ない専攻は,率の信ぴょう性が乏しいのでペンディングにしています。

大学院D

 一番下の合計をみると,大学教員就職率は30.5%から8.5%に低下しています。80年代の末では3人に1人でしたが,最近では12人に1人です。奇しくも,先ほど見た大学教員市場の開放係数(0.1付近)とほぼ一致しています。

 いずれの専攻でも率が下がっています。陥落が最も大きいのは工学専攻ですが(41.6%→6.4%),研究所や民間企業への就職者が増えているためかもしれません。人文科学は8.3%,社会科学は13.6%ですか。厳しいですね。事態が悪化していることの理由は明白。分母(a)が増え,分子(b)が減っているからです。

 上表のデータは,本務(専任)教員として大学に就職できた人の率です(任期付きを含む)。それが叶わなかった人の多くは,非正規(非常勤)教員として大学に潜り込んでいます。雇用の非正規化が進んでいますが,大学もスゴイことになっています。次節では,その一端をご覧いただきましょう。

3.増える専業非常勤講師

 大学教員は,専任教員と非常勤講師に大別されます。大学に正規に属している教員と,細切れの授業するために雇われている教員,言うなればバイト教員です。

 非常勤講師はさらに,本務あり非常勤講師と本務なし非常勤講師に分かれます。作家や研究所勤務等の本業がある人と,それがなく非常勤講師をメインに生計を立てている人です。後者は,専業非常勤講師と呼ばれたりもします。

 大学教員は①専任教員,②本務あり非常勤講師,③専業非常勤講師の3つグループからなるのですが,時系列でみると内訳がかなり変わっています。下のグラフは,それぞれに該当する教員の数を,1989年と2016年で比べたものです。なお複数校で非常勤講師をする人がいますので,兼務教員(非常勤講師)の数は延べ数であることに留意ください。

大学院E

 どうでしょう。大学進学率の上昇もあり,大学教員の数は増えています。しかし増加率が最も大きいのは,緑色の専業非常講師であるようです。専任教員は1.5倍にしか増えていませんが,専業非常勤講師は6倍近くに膨れ上がっています(1.6万人→9.3万人)。非常勤講師は延べ数であることに注意が要りますが,この変化はすさまじい。

 人文科学専攻の教員に限ると,専任教員は1.9万人から2.3万人の微増ですが,専業非常勤講師は0.8万人から4.2万人へと激増しています。今やこの専攻では,専任教員より専業非常勤講師のほうが多くなっています。語学の授業を外注する大学が増えているためでしょう。

 なぜ大学教員の非正規化が進んでいるか。大学の人件費抑制志向が強まっていることに加え,行き場のないオーバードクターが増え,なり手はいくらでもいるからです。需要側と供給側の要因が見事にマッチした結果であると。

 「資格を持っている人が教えることに変わりないのだから,別にいいのではないか」という意見もあるでしょう。しかし,そうとも言えません。大学非常勤講師の給与は,ここに書くのが憚られるほど安いです。

 給与は受け持った授業の数(コマ数)の関数で,「1コマ3万円」というのが相場です。誤解するなかれ,これは1回90分の講義の対価ではなく,月あたりの対価です。講義は月に4回ですので,1回あたり7500円。「90分で7500円ならまあまあじゃん」と思われるかもしれませんが,授業準備や学生の質問への対応等の時間を含めたら,時給換算の額はみるみる下がります。熱心にやった場合,学生のコンビニバイトと同じくらいになるのではないでしょうか。頑張れば頑張るほど時給が下がる。何ともおかしな話です。

 給与アップの交渉なんてとんでもない。というか,事前に給与を聞くことすらできません。代わりはいくらでもいますので,給与を聞こうものなら,「じゃあ結構です。他の人に頼みます」と言われます。私自身,それをやってしまったことがあります。紹介してくれた先生にも話がいったようで,「非常識なことを聞くな」とお叱りを受けました。「給与を聞けないほうが,よっぱど非常識ではないですか」という反論を飲み込むのに,難儀した記憶があります。朝日新聞の記者さんにお話したところ,驚いておられましたね(「貧困ポスドクの悲哀 時給バイト以下,突然クビ」2019年5月15日)。

 私は2005~16年までの11年間,大学の非常勤講師をやりましたが,12年頃から「もらえる分しか働かない」と割り切るようになりました(学生さんには申し訳ないとは思いつつも)。他にもこういう人はいるようで,首都圏大学非常勤講師組合の『大学非常勤講師の実態と声 2007』をみると,「専任との給与差を考慮して,質の低い授業をすべきと考えてしまう」「もらえる分しか仕事したくない」といった記述がみられます。授業の大半を(専業)非常勤講師に外注している大学で,こういう人が多いとしたらどうなるか。まさに大学崩壊です。

 それだけならまだしも,露骨に有害なことをする輩もいます。たとえば卒論代行です。1本請け負えば,手取りで15万円ほどもらえます。半期1コマの授業と同じくらいの対価です。自分の専門も活かせるので,これはオイシイ。良心を痛めつつも「背に腹は代えられぬ」と,こういうことに手を染める講師もいるのです。卒論代行業者のホームページをみると,「スタッフは全員博士号持ち!」などと謳っていますが,多額の税金で育てた知的資源がこういう所に流れ込むというのは,何とも悲しいことです。

 不安定な生活にあえぐ専業非常勤講師の増加。現状を放置したままだと,大学教育の質が脅かされることになります。なすべきは待遇の改善です。1コマの対価を上げる,長期休業期間中の給与やボーナスを出す…。こういうことは各大学の良識次第です。非常勤講師への依存率が高い大学は,真剣に検討すべし。

 非常勤講師に任せる授業の割合に制限を設けることも必要でしょう。授業の半分以上を非常勤講師に外注するなど言語道断。非常勤講師は研究室もなく,複数校を掛け持ちしている人は時間に追われています。落ち着いた環境で,学生の質問にじっくり答えることもできません。「研究室はない」「時間がない,これから他校に行かないといけない」…。こういう拒否反応を何度もされたら,学生も勉学意欲が萎えるというもの。「何この大学,先生はみんなバイト??」です。

4.変化の兆し

 オーバードクター,大学非常勤講師問題についてみてきました。今になって始まったことではないですが,問題はより深刻化しています。大学院重点化政策により,辛い思いをする当事者が増えてきています。それはデータからも明らかです。

 供給過剰の状態にある博士課程修了者を減らしてはどうか。潮木守一教授は,「当面の間,大学院博士課程の学生募集を停止すべきである」と提言されています(『大学再生への具体像』東信堂,2009年)。悲惨な末路をたどる若者を減らし,1億円かけてフリーターを育てるような愚を止めるには,こうした荒療治が必要かもしれません。

 しかし,このような強硬策をとらずとも,状況は変わってきています。冒頭にて,2018年の博士課程入学者は1万4903人と書きましたが,この数は過去最高というのではありません。ピークは2003年の1万8232人で,以降減少の傾向です。入学者には,修士課程から上がってくる人の他,社会人や留学生等もいますが,どういう層の入学者が減っているか。下の表は,それを明らかにしたものです。

大学院F

 入学者が減っているのは,30歳未満の若年層です。多くは,修士課程からストレートに上がってくる人でしょう(下段でいう伝統的学生)。25歳未満の入学者は,3565人から2557人へと減少。2007年に水月氏の『高学歴ワーキングプア』が出て,博士の悲惨な末路が知れ渡ったこともあるかと思います。

 一方,35歳以上の中高年層はかなり増えています。多くは,職のある社会人とみられます。社会人の入学者は,3952人から6368人と1.6倍の増です(下段)。60歳以上の高齢層は2.1倍に増加。定年退職し,余生の目標を博士号取得に定めた人もいるでしょう。

 下段をみると,2003年では博士課程入学者の大半は伝統的学生でしたが,18年では社会人が最も多くなっています。社会に出た成人が学び直す,ないしはキャリアップを図るための「リカレント教育」の場としての機能が強まっているようです。生涯学習の時代に即した,結構なことだと思います。

 恐れをなしてか,修士からのストレート入学組は減っているようですが,これは致し方ないことです。嫌と言うほどデータを示しましたが,研究者への就職は非常に厳しくなっており,非正規(非常勤講師)でしがみついても搾取されるだけなのは分かり切っています。

 しかるに,学びの最高峰を目指す若者が減るというのは,いささか寂しい気もします。博士課程では,高度な専門知を身に付けられるのは確かで,それを活かす場は大学だけではありません。私は大学とはおさらばしましたが,大学院で学んだことを活かして商品(データ分析記事)を作り,インターネットで発信し,それを買って下さる方がいるおかげで,何とか暮らせています。教員採用試験の本の執筆にも,大学院で修めた教育学の知識が役立っています。

 20世紀は正社員の時代でしたが,21世紀はフリーランスの時代になると予想します。高度フリーランスという生き方もできるようになるでしょう。修めた専門知に社会性を付与し,インターネットで発信する。それを買ってくれる人が出てくればしめたもの。

 非常に厳しい道ですが,こういう志があるのなら,大学院博士課程に進学するのもいいかと思います。繰り返しますが,博士課程では高度な専門知を習得できます。大学等に属さずとも,それを武器に生きていこうという構えがあるかです。まだ読んでませんが,『在野研究ビギナーズ』(明石書店,2019年)という本も出ているようですね。

 最後に,企業社会の側の問題について。日本では,企業内訓練・年齢主義の慣行により,大学院修了者,ましてや博士号保持者などは歓迎されません。「無職博士を1人雇ったら500万円あげます」なんていう政策がありましたが,欧米の人からしたらさぞ奇異に映るでしょう。高度人材を雇えた上,カネまでもらえるのかと。ロスジェネを1人雇ったら60万円,無職博士は500万円。「博士はそんなに厄介者か!」と言いたくなります。

 高度先進国,知識基盤社会を名乗るには,あまりにも恥ずかしい。「博士は頭でっかちで,使えない」。根拠のない偏見は払拭してほしいものです。

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