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『火の顔/アンティゴネ』終演

2023年4月8日〜16日、『火の顔/アンティゴネ』全15公演が終了いたしました。ご来場くださったお客様、気にかけてくださった皆様、誠にありがとうございました。

大千秋楽を無事に迎えることができましたので、終演によせて少々書き残しておこうと思いたちました。

両作品の概要は、下記note記事や公式HPをご参照ください。


翻訳とドラマトゥルク

わたしは深作組の公演に、翻訳とドラマトゥルクとして参加しております。
ドイツ語の戯曲を「上演のために翻訳する」のが前提ですから、〈演出のコンセプト〉に沿い、意味を拡張/限定した上演台本の下地を作るのが、最初の仕事です。あらかじめキャスティングを共有していただけることもありますので、初めての方の場合は、検索してお姿やお声を確認し、コンセプトと照らし合わせながら登場人物像を作り上げてゆきます。翻訳・ドラマトゥルクに決定権はありませんが、コンセプトに沿った構成変更や、上演時間短縮のためのカット箇所などの提案は、初稿から入れ込んでおくようにしています。印刷台本の原稿が出来上がるまでに、演出家である深作さんとの間で、テキストが何回も往復するのです。

『火の顔』のことば

〈戦争と女性〉をテーマに掲げた新ドイツ演劇三部作の二作目に当たる『アンティゴネ』との同時上演、また世相もあり、今回の『火の顔』は、クルトが最後に言及する「43秒で落下してくる爆弾」に、よりフォーカスした内容となっています。クルトとオルガが、原子爆弾の開発者オッペンハイマーが語った言葉を引用する場面などは、2023年版のために新しく挿入されました。「あと数ヶ月、降伏が遅かったら、最初の被爆国は、ドイツだったかもしれない」は、コンセプトについてやりとりしていた時のテキストが、そのまま使われています。〈モンタージュ〉、という手法を知っていただくと、深作組の作劇が受け入れやすくなるかと思います。

登場人物のことばに細かな改訂を加えたのですが、初演から引き続きご覧くださったお客様はお気づきでしたでしょうか?夫婦対オルガとクルト、オルガとクルト対オルガとパウルの対比、家族の中での話し方の共通点など、新しく気づいた要素を取り込みました。稽古が進む間に二人のオルガの性格に違いが生まれたため、千佳さんのオルガと風花さんのオルガで、間投詞や語尾に修正を加えたりもしています。

そして何よりも、クルトです。初演のクルトは北川拓実さんだからこそ選んだ、〈僕〉から〈俺〉への一人称の変化がありました。川﨑星輝さんのクルトは、オルガをずっと〈お姉ちゃん〉と呼ぶのですが、あるきっかけから〈オルガ〉と名前呼びに変わります。星輝さんはその決定的な瞬間を、とても印象深く表現してくださいました。

「クソガキクルト様」「おやすみゲロ豚野郎」などが、初演と同様にお客様の頭に残ってしまったようで、嬉しく、少し申し訳なくも思います。罵倒語やスラングの翻訳は楽しくやりがいがあります。

パウルパイセンはよっぱっぴーでーす!

『火の顔』上演台本より

『火の顔』という作品を捉えるには、たった一つの原因や動機に解を求めるのではなく、行為の積み重ねと相互作用を考察する必要がある、とわたしは考えます。
どの時点で、何をしていたら、暴力を止められたのでしょうか?

演じ手の魅力もあり、クルトに共感し惹かれてしまうかもしれません。その気持ちを大切にしていただいた上で、なぜ、スズメを焼き殺し、学校を燃やし、教会を燃やし、工場を燃やした「放火犯」であるクルトに、惹かれてしまうのか、考えてみてください。

『アンティゴネ』のことば

みなさまご承知の通り、深作組新ドイツ三部作第二作目『アンティゴネ』は、2,500年前にソフォクレスが書き、19世紀にヘルダーリンがドイツ語に翻訳し、20世紀にブレヒト(とカスパー・ネーアー)が戦後のドイツに重ねて改作したものを、わたしが翻訳し、演出の深作さんと共に上演台本を作成したという、幾層もレイヤーの重なった作品です。

ベルトルト・ブレヒトといえば、〈叙事的演劇 das episches Theater〉や〈異化効果 die Verflemdung〉というキーワードが思い浮かびます。登場人物に感情移入させカタルシスを与えるのではなく、出来事を提示し叙述し伝えることで観客の思考を促し、俳優と観客の距離をなくしていく演劇なのです。

ブレヒトの演劇論や、ソフォクレス/ブレヒトの「アンティゴネ」を扱った論文は、オンラインで多数公開されています。ciniiなどをご利用ください。今回の演出や上演テキストの読みを開く、助けになると思います。


見に行ったら、こっちだって見られちゃう!

『アンティゴネ』上演台本より


今回の上演の特徴は、ブレヒトが挿入した1948年版と1951年版の「プロローグ」を、両方とも取り入れ、「エピローグ」でまた1948年版のプロローグが繰り返されることと、ちっとも老人でないテイレシアスでしょうか。

テイレシアスは家族の外から、見えないものが見える〈預言者〉という、第三者の立場で登場します。時間も空間も超えて世界を見渡すその超越性を、ことばの響きや視覚で表現したいと考えた結果、初稿からあのような人物で提案しております。

さて、アンティゴネは、呪われた〈生まれに抗う者〉という名前を持ち、たった一人でテーバイの支配者クレオンに挑み、市民の前で堂々と論戦を張る、勇気を与えてくれる人物です。しかし、自分も同じように行動ができるか?と考えてみれば、正直、難しいと言わざるを得ません。それでも、「いや、違う!」という言葉だけでも覚えて、あの調子で使っていただけたら嬉しいです。必ず、必要な時がきます。あなたの言葉は、塞がれてはなりません。

演出意図もあり、暴力を誘発する権力や、戦争について考えてくださっている方が多いことと想像します。〈今〉、わたしにできることは何か。〈その時〉、わたしにできることは何か。戦うのか、耐えるのか、逃げるのか。〈その時〉を引き起こさないために、口を閉ざさず、考えることを諦めず、学び、一緒に生きてゆきましょう。

「わたしは人間を憎むのではなく、人間を愛するためにこそ生きている!」

『アンティゴネ』上演台本より


余談、平和記念資料館、オシフィエンチム-ビルケナウ

原爆ドーム(2022年3月7日撮影)


今年の三月、『火の顔/アンティゴネ』のコンセプトを身体感覚で少しでも深く理解するため、広島市と呉市を訪ねました。

原爆ドーム近くで解説をしてくださっているボランティアガイドの方の解説、たまたま入店した広島焼き屋のスタッフの方の考え、平和祈念資料館(旧原爆資料館)の音声ガイド、被爆された方の手記……言葉を尽くして〈場の記憶〉を伝えることがいかに重要であるか、改めて感じることができました。被害地域を地図上で眺めるのと、実際に歩いて体感するのでは、大きな違いがあります。

そして〈場の記憶〉を考えると、わたしはどうしても、ベルリンの壁やオシフィエンチム(独: アウシュヴィッツ)=ビルケナウ強制収容所を思い出します。
東ドイツ内にある西ベルリン市をぐるっと取り囲み分断した、高く厚い壁。下記写真をご覧いただけばわかる通り、『火の顔』のベッドの後ろに聳え立つあの壁は、ベルリンの壁を象徴しているのです。

ベルリンの壁(2012年9月21日頃撮影)


初めて〈場の記憶〉というものを強く意識したのは、ポーランドのオシフィエンチム市にある、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を見学した時のことでした。
11月の寒空の下、現地を歩きながら止めどなく頭の中に溢れてくる記録映像や手記の言葉。〈場の記憶〉のようなものを感じ、圧倒され、腹の底から冷えるような重苦しい感覚。しかし同時に、何も知らない人がこの場に立ったとして、同じようなものが沸き起こるだろうか、と疑問も浮かびました。修学旅行生らしき若者の集団は、少なくとも表面上は、非常に快活だったからです。

オシフィエンチム(アウシュビッツ)の第一強制収容所正門
(2015年11月20日撮影)


ビルケナウ(アウシュビッツ第二強制収容所)の線路
(2015年11月20日撮影)


おわりに

劇場の中は、今はまだ、誰もが自由に考えたり、感じたりできる場所ですが、それが来年、半年後、一ヶ月後、一週間後も続いているか?と考えてみれば、わからないのが今の世界です。『火の顔/アンティゴネ』が検閲を受けたり、強制的に中止させられる時代が、また来るかもしれません。

これからもみな様と、劇場でお会いできますように。
わたしにできることを、続けます。


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