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【Vol.4】成田誠治郎 帝国海軍従軍記

この記事、連載は...私の母方の祖父である故・成田誠治郎が、帝国海軍軍人として従軍していた際の記録を元に再編集したものである。なお、表現などはなるべく原文のまま表記しているが、読みやすくするため、一部を省略、追記、改変している部分があることを予め了承願いたい。

海兵団の野外演習

新兵教育の締めくくりとして辻堂に泊まって、翌日鎌倉まで追撃戦。
辻堂附近の畑に入った時、サツマイモが食べ頃であったので、空砲を打ちながら片手でイモ掘りをして生で食べた。

日曜の行軍

横須賀附近の衣笠公園、久里浜のペリー総督上陸記念碑、走水、按針塚、神武寺等へ肉ジャガ弁当を持って、花見気分で一般市民と一緒に日中楽しんだ。

この様な時には専属の写真屋が同行しており、団体ものから個人ものまで忙しく写していた。
これが何よりの郷里へ送る贈物であった。

予防注射はありがたい

新兵は期間中3回位予防注射を行った。
注射した後は釣床をとって全員休みとなり、昼食は食えるがその他は寝ることが許されるのでとても気分がよかった。
私は副作用もなく少し熱が出る程度であったが、分隊150人の中では相当発熱して病院に行ったものもいた。

釣床の中に入って酒保(売店)から買った菓子の残りを食べたり、となりのベッドの友人と雑談したり、貴重な骨休みである。

ラブレターの公開

新兵当初に教班長より恋人、婚約者等がいたら申し出よと言われてあるが、内緒にしている者が多かった。

中には、彼女より一方的に堂々とラブレターを郵送して来ることがある。
届出されているものだと問題はないが、無届け者より来ると教班長が検閲してあまり甘いものだと本人を呼びつけ、〇〇〇〇子を知っているか、知っているというと根堀り葉掘り聞きだす。
文面と合わないと徹底的にやっつけられる。

余り甘いことが書いてあると新兵全員の居る前で大声で発表させられる。
甘い部分で小声になると、教班長(当直)が声から、小さくて聞こえないと言われる。
本人はあわをくってとんでもない言葉になることがある。
きわどい所は何回も言わせる。
そんな時は何度も追及されて、本人は真っ赤になってシドロモドロになり全く処置なしである。

その後、変な彼女があるとの罰で樫の棒で尻2~3回引っぱたかれる。
本人は恥ずかしいやら痛いやらで大変な仕打である。

巡検中にガス一発、くすくす笑う

夜9時になると巡検といって、当直教班長と教育隊の士官による見廻り点検がある。
その時は、当直班以外の新兵は皆釣床に入って、寝ている者、目を覚まして勉強をしている者様々いるが、日中の疲れでよく眠っているものが「巡検」と大声で分隊に入ったとたんに「プー」、ガスの出る時がある。

その本人は無意識であるが、それを聞いて笑うものがいる…と、今笑った者廊下に出てこい、となる。
なかなか出てこないと、分隊に処置をまかせる。
その後どうしても笑った本人を探し出す。

その隣のものが仕方なくその人の名前を言うことになり、また樫の棒の厄介になる。

新兵は丼一杯で、3食を食べても腹がへって眠れない。
それで或る分隊では、巡検後、窯炊所の残飯捨場へ空腹を満たすために残飯を食べに行って憲兵に見つかり、ビンタを5、6発もらって顔をはらして帰って行くということを聞いた。

班員の中に悪いことをして教班長に知られると、食事は全部残飯にして捨てさせる。
そうなると先ず水を飲むが小水となって出るため、どうしても固形物らしきものが腹に入らないと逆に腹が痛くなる。
その為に酒保で買った菓子等を残存しておく者は希である。

本当に新兵時代は犬のようになる。
叱られてお前は犬か、犬は海軍に必要ない、軍服を脱いで郷里へ帰れ等と言われる。

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