【Vol.8】成田誠治郎 帝国海軍従軍記

この記事、連載は...
私の母方の祖父である故・成田誠治郎が、帝国海軍軍人として従軍していた際の記録を元に再編集したものである。なお、表現などはなるべく原文のまま表記しているが、読みやすくするため、一部を省略、追記、改変している部分があることを予め了承願いたい。

台湾の基隆に寄港

◯昭和15年4月2日

南方方面の作戦後は休養のため基隆港外に停泊した。
湾口の手前にはトンガリ島があり、海は荒れているため波が高く、タラップから内火艇に乗り移るのが容易でなかったが、20分もしたら桟橋についた。

波止場には大勢の出迎え人が200~300人もいて、兵隊の名前を書いた旗やノボリが“ハタメイテ”、まるでメーデーの様だ。

私が歩いていると〇〇県の方はいませんか、又〇〇市の方がいましたらこちらへ来て下さいと大声で呼んでいる。
この人達は内地から移住して来た方だろう。

40歳位の女の人に、何県ですかと呼び止められたので、新潟県は村上ですといったら、それでよいから是非私の家に泊まって下さいと頼まれたが、残念ながら三等兵なので外泊は許されていないと云ったら“ガッカリ”していた。

私は人並みをかき分けて基隆駅へ行き、日帰りで台北まで行くことになり、マッチ箱の様な客車に乗り、沿道の風景を見ていると、田はシロカキをしている。
水牛が各地にいて農耕に使用しており、田の中で四つん這いになって口を動かしている。

民家は粗末な家が多く、トタン屋根で草が繁っている所もある。
農夫は麦わら帽の大きいのを頭にのせ、くわえ煙草をしながらのノンキな仕事である。

小高い丘には、立派な大型のお墓が横長になっている。
台湾では家よりもお墓に金をかけるという。
また、その豪華な程度で富と食とが決まるという。

約一時間で台北に着き、駅前広場には国防婦人会の方々が机と椅子を用意し、テーブルには茶、菓子、バナナ等が山盛りになっている。
脇では、兵隊さんどうぞ休んで下さいとさかんに叫んでいる。

中には綺麗な人もいるが、一般に背が低くて顔色が日焼けのせいか浅黒いようだ。
町中を歩くと支那料理特有の油くさい臭いがする。私達の好みではない。

駅前から台湾神社まで1時間程歩いて着き、拝礼してから神社より四方を望むと、左側には戦斗機3機が飛行していて、低くて速度が遅いので空港への着陸姿勢と思われる。

神社より帰る時、1km位先左折してまた1km程の処には丸山動物園があると分かったが、疲れたので駅へ戻った。

今回上陸した兵隊は第二艦隊で約1万数千人が交代で休暇をしたことになる。
事前に市民の方に公報しておいたせいもあるが、港から駅まで人、人である。

私達には上陸前に、市内中央部は治安が悪いので出入るなと云われていた所へは行かず、駅の向かい側の高台に行って市街地や港を見下ろしたら、すばらしい眺めであった。

先輩たちから色町のある所も説明してもらったが行く気にはならず、夕方バナナを買って艦に戻った。

翌日、外泊して戻って来た上官に聞いたら、見ず知らずの人に案内され歓待してもらい泊まって来たが、酒の席でうちの娘を貰ってくれないか、または養子になってくれないかとくどかれて、返事に困っていたが断ったとのこと。

一夜の宿でその返事はちょっと無理だと思う。

私の日常勤務は電路員

私の日常勤務は管制盤にあり、各発電機の運転監視及び艦内の電気設備点検を行う電路員である。

電路員は8時間勤務中に2回艦内を巡回点検する。
その時は電路員のカバンに若干の点検工具から予備ヒューズを入れ、懐中電灯を持って見廻りをする。
烹炊所を見て、昼食のおかずに何かうまいものがあれば”ちょっと”いたずらをしてやる。

夏の烹炊所内は室温を下げるため排気扇を運転しているが、それでも室温35~36℃になっている。
排気扇のモータ-に手を触れてみると相当熱くなっているので、”わざと”私が勝手に止める。

すぐ烹炊員が起動機の所に来てどうしたんですかと私に聞く。
すると、私がこれ以上運転しているとモーターが焼けてしまうので止めたと言うと、係が手を合わせて何とかして下さいと言うので、5分後くらいには運転してやり、所内もファンがまた動いた事が分かる。

その時にそっと中に入って行って、排気量を加減するダンパーを少し閉めてやり、おかずを望むと、成田さんどうぞ、と少し竹皮に包んで私に差し出す。
私も納得して貰って帰り、昼食の交代員が来た後に班長と一緒に食べる。

ギンバイの出来る兵隊は蒸気を送っている缶兵、食器消毒の医務科の当番兵と電路員位で、缶兵は肉等を”カタマリ”でせしめて来る。

ギンバイ品は玉子、牛肉、鮭の缶詰等で、2品位を確保することもある。
ギンバイも日数が経って顔見知りになると、カバンを下げて堂々と入って行き、思いっきり包んでせしめてくるようになる。

烹炊所員も役得があり、食糧倉庫へ材料を取りに行ったついでに、良いものを自分達の食い分としてギンして来ているようだ。


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成田誠治郎 帝国海軍従軍記

この記事、連載は... 私の母方の祖父である故・成田誠治郎が、帝国海軍軍人として従軍していた際の記録を元に再編集したものである。 なお、表現などはなるべく原文のまま表記しているが、読みやすくするため、一部を省略、追記、改変している部分があることを予め了承願いたい。
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