自分自身の再起
チェムリアップスォーー!!こんにちわ。
遂にこのシリーズは最後ですね。一番大事なところです。
活動の原動力となっている想いの4つ目
・自分自身の再起
いくら世のため人のため、利他の精神で生きていたとしても、そのベクトルが自分のメリットとかけ離れていたら、そもそもできないですよね。その比率はそれぞれあるとは思いますが。
家からも出れない状況だった人間が、一つのきっかけからどんどんいろんなことが繋がり、カンボジアまで引き寄せられました。
”自分のため”と”カンボジアのため”という方向性がどのように揃って行ったかをお話しします。
ちづみさんがインタビューしてくれたものもあるのでこちらも呼んで見てください。
最初の店で同期の競争レースから大ゴケした
遡ると、自分が料理人を志して調理師学校に一年行き、一流の料理人になる。と心に決めた時、
この店で何年修行して、ここでこのスキルを身につけて、それで次の店で…〜33歳で独立する。
と19歳の時に33歳の独立までのプランを一旦、あの当時の自分の完璧を決めていました。そして、独立してからの工夫の引き出しは修行中に身につけよう。と思っていました。それが最初の店で完全にコケて、理由はどうあれ、同期の競争リレーから離脱したんですから、それはそれは症状とは別に、またものすごく落胆していました。そして症状から、当時はトラウマで包丁も握れない、飲食店にもご飯を食べにいけないよな状況でした。
なので実際誰と出会って誰に感化されても、どれだけ病院に通って治療を受けても、そのまま次のステージで飲食店で働くのは正直怖かったんですよね。治療を乗り越えたのに、また振り出しに戻ってしまうのが本当に怖かったんです。
秀人さんにお誘いのお話しいただいたときも、その直後は決意を固められていましたが、それ以降はずっと揺れていました。自分の事さえもコントロールできない自分が、カンボジアに行っても迷惑をかけてしまうのではないか…。と
頼ってくれる人たちが嬉しかった
ですがやはり、治療へのモチベーションは、早く治して、”カンボジアで給食事業を立ち上げる”目標がその先にあったからこそ頑張れました。そして苦しみを作った本人よりも社会貢献して、社会から必要とされる人間になろう。と思えるようになって来ました。あの人への復習は、店を燃やしにいくことでも、覆面をかぶって逆襲しにいくことでもなく、あの人より活躍することだ、と。
怒りってパワーになりますよね。笑
そして周りの人が、弱っている自分を頼りにしてくれている人がいることが、心から嬉しかったんですね。治療への原動力は親を安心させることと、これでした。
そこから、次第に自分の思いや目標を積極的に口にたり、SNSで発信してみたんです。人間って自分の感情や目標を言語化することで、整理されたりします。相手がいると尚、その人の反応を見て、自信がついたりしますよね。
そうしていくうちに、治療もうまく行っていたせいか、だんだん気持ち軽くなってきて、自信がついてきました。
その時の体験があるから、今も積極的に自分の中身を発信しようとしているのかもしれません。
まとめると
自分としては直近のステージで
・全く新しいことがしたい
・料理はしたい(将来は料理人として行きたいので)
・料理屋に入るのは恐い
・たくさんの人と出会って話がしたい
で、給食事業立ち上げは
・自分の中で全く新しいことだった(事業の立ち上げを経験できる)
・料理も多少できる
・たくさんの人と話ができる
・社会貢献ができる
もう完全にマッチしたんですよね。ここで活動するのは、
自分が再起するのにベストな場所だ!
と感じました。国際協力をしている人の動機の中では、珍しいともいますが。入り口はこんな感じです。
そしてその後、
・日本では救われる子供が、カンボジアでは救われていない現状
・吉岡秀人さんへの憧れと恩返し
・下見できた時に活動地で活動している日本人たちにベタ惚れした
上記3点を見て、感じて、もっともっと活動の必要性や意味を自分が気づいて行き、モチベーションがゴンゴン上がって行きました。困っている時に助けてくれた人たちが導いてくれた先で、自分よりも困っている人たちがいたら、そりゃあその人たちのために頑張りますよね。
以上、自分の活動への原動力の4つを紹介しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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