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少し先にある世界

2022年2月12日、ピアノの配信コンサートをした。本来なら、声楽あり・合唱ありな音楽会に、「枯れ木も山の賑わい」で参加する予定だったのだが、ご時世もあって急遽演奏会がなくなって、それじゃあピアノ隊だけでも何かやりましょうよということになった。というか、した。

連弾の1曲目もソロの2曲目も、実は10月ぐらいから練習していて、でも仕事がバタバタしていてまとまって自分自身での練習時間はとれていなかった。ただ、どう考えても今までの演奏の中では一番よく弾けていた。と思う。大きなミスもなかったし、やっている最中は緊張しながらも楽しかった。

はずなのだが、アーカイブを見た私の感想は「こんなんじゃない」だった。細かいミスや音の粒立ちなどはどうでもいい。そんなことより、もっと音楽というのは遠くに届けるものじゃないのかしら。こんな小さな空間も満ちていない。自分の想像の、音楽の矮小さ。浅はかさ。過信。そんなものが一気になだれ込んできて、相当落ち込んだ。

そして、愕然とする。
あれ、いつからこんなに真剣なんだっけ。

それは決して悪いことじゃない。仕事じゃねえんだぞ、真面目にやれ。そういう言葉を、好んで生きてきたと思う。反面、「趣味だからやれている」という気持ちも強く持っていた。
今わたしの目の前には山積している仕事があって、そのどれもを取りこぼしたくなくて、毎打席毎打席死ぬ気で打ち返しているのだ。覚悟を決めてこの5年はしがみつくつもりなのだ。これ以上の荷物は私には持てない。持てないはずなのになあ。

今回延期になった演奏会の主催者の先生が、いつかの打ち上げで言っていた言葉を思い出す。「真剣のちょっと先に、あるんだよ、その世界が」。いやいや、私なんか真剣のちょっと先まで見えるほど練習できていない。そんななのに、なんでこんな崖っぷちに立っているような気がするのかしら。

そんなことを考えていたら体力ゲージも気力ゲージもゼロになって、山積している仕事がさらに山積した。あー、やんなきゃ、なあ……。

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