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懐かしくて新しいこの街に、思い出をまたひとつ重ねて

珍しいものに心惹かれる私は「ンゴロンゴロ」産の珈琲を選んだ。

あししげく通うこのお店は、手作りや自家製へのこだわりを持ちながら、より良くなるように少しずつ変化しているのがたまらなく愛おしい。

出会ったときから変わらない佇まいはそのままに、扉をあけるといつも、新しい景色や香り、音がちらりと覗く。そんなところが好き。

毎日飲んでいる西友の缶コーヒーも嫌いじゃないけれど、ハンドドリップのそれは、さららと心に染み渡っていく。滑らかに、心地よく、体の奥にとけていく。

手間ひまと時間をかけて、飲む人のことを思って注がれた珈琲を味わいながら、私は「五観の偈」や「人間分子の関係、網目の法則」に思いを馳せた。

ていねいなもの中には、哲学と想いがギュギュッと詰まっていて、うけとった私の心はあれやこれやと豊かな想像でいっぱいになった。

こんな風に意思をもって余白をつくるひとときが、私には欠かせない。


ともすると、いつのまにか「目の前のやらなきゃなこと」や「目指す夢」のことで、頭も時間もパンパンになってしまうから。

そんな時こそ、余白をつくる。

考えることと手を動かすことに挟まれ、小さくカチコチになってしまった感じる心を ふわりと緩め。歩いて、あるいて。一息つく。

いつもと変わらない街角でいつもと違う景色が見えて、世界の美しさにふと気づき嬉しくなる。

「自分か世界か、──どちらかを愛する気持ちがあれば、人間は生きていける。だけど俺は、そのどちらに対しても、あの頃、愛情を失いかけていた。」 (「私とは何か」より)

自分を好きになるのが難しいときは、世界のきれいなところを探してみるのもいいかもしれない。

そういえば、あの日も確か、秋晴れの1日だった。

紅葉のはじまった上野公園は秋の匂いと風が気持ち良かったのを、いまも覚えている。

ぽつぽつ話しながら歩いていると、広場の片隅から賑やかな拍手の音が聞こえてきた。

「ちょっと見てみますか?」

私たちは音のする方へと足を進めた。

関西から来たという30代後半のお兄さんが水晶玉をくるくる器用に回していた。

「おおー!」
「でも、意外と地味ですね」

私たちがそんな風に話していたら
小学生くらいの男の子が

「すっげーーー!!!!!」

と、こちらがビックリするくらい元気いっぱいな声を上げながら走り抜けていった。

私もあんなときがあったのかなあ。
きっとあったと思うのだけど、それはもう記憶の彼方のことで、気づいたらボクたちは大人になっていたみたいだ。


成長したのか、知識が増えて慣れてしまったのか、変わってしまったのか......まえに読んだ あかゆしかさんのnote「大人になる、ということ。」には「大人」について、こんなことが書いてあった。

ああ、大人になるというのは、「絶対的な諦めを持ちながら、それでも何かを信じて前に進んでいけるようになること」なんだ、と思った。

自分のことを「子ども」だとは思わないけれど、昔おもったような「大人」になれている気はしない。

諦観の念はあれど、自分のなかで確かな何かを信じて突き進んでいく強かさが、まだまだなのかなあ。

***

社会にでるまえ最後のモラトリアムな4年間を過ごした飯田橋の街は、相変わらずあの頃のままだった。

見慣れない大きなビルが新しく建っていたけれど。

オレンジ色の中央線は勢いよく通過して、黄色い総武線がゆっくり停まり、春にピンク色に染まる桜並木はあの頃から変わっていない。

どうやら、あさってから学祭が始まるみたいだ。

校舎の中の壁や柱は色鮮やかなチラシがパッチワークのようで、窓はサークルの名前でぎっしり埋め尽くされていた。こんなところも変わらない。

隣を歩くこの景色を初めて見るあの人はなにを感じているのかな? なんて思いながらてくてく歩いた。

「夕陽はなんで赤いの?」
「雲の隙間から差し込む光はなんて言うの?」

そんな子どもみたいな質問をするのが昔から好きだった。

両親をはじめとする気を許したひとに、矢継ぎ早にこんな質問をしてしまうことがある。まったく困った子だ。

それは、正しい答えを知りたいわけじゃなくて、ただあなたに話しかけたかっただけ。

もうひとつ正確にいうなら、あなたが見ている私とはきっと少し違う世界を、あなたというフィルターを通して映る世界を、私は知りたかったんです。

***

根津も、上野も、飯田橋も
新しくはなっても何も変わっていない。

私が産まれて育ち、いまもなお暮らす東京の街は、最先端でありながらどこか懐かしい。

それは、きっと、毎日少しずつ薄くうすく私だけの思い出を重ねていっているから。多くはひとりで、ときにはみんなと、またある時はあの人とふたりで。


日本の首都である東京は、私にとっては大切なふるさとだ。

人の多さに辟易したり、作られた街を窮屈に感じることがあってもそれは変わらない。

地方への憧れを密かにもちながら、まだもう少し、このままこの場所で頑張っていこうと思う。


またいつか、この道を歩くときも
「新しくなったけど何も変わっていない」と感じるのかなあ。

そんな日が訪れることが少しだけ楽しみです。



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(3枚目以降は私のSONY NEX-5Rにて)

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