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 チェコの国民的作家カレル・チャペックの戯曲『白い病』を阿部賢一さんが訳出、無料公開して下さっていた。未読のチャペック作品、ありがたく、拝読した。しかも書き出しから「ペストったらペストだ」で始まるように、時宜にかなった今こそ読むべき内容だ。

 このnoteでの公開がきっかけとなって書籍化も決定、9月15日に岩波文庫として公刊された。

 なお、これに伴いnoteでの公開は終了している。書籍化に際しては、訳文の全面的見直し、チャペックによる「前書き」「作者による解題」も付録として収録、とnoteで読んだ人もまた楽しめる内容になっているとのことなので、そちらでも再読したいと思う。

作者チャペック、作品概要

 チェコの西半分であるボヘミア地方で1890年に生まれた作家カレル・チャペック。多才な方で、かつそれぞれの仕事が一流。この作品はそんな彼の1937年作品。この年に演劇初演・戯曲出版・映画公開が一気にされた。3幕14場からなる。今から遡ること83年、第二次世界大戦直前、軍靴の音がもう確実に聞こえてきていた時期の作品だ。翌1938年にはナチス・ドイツが当時チェコスロヴァキアのズデーテン地方を併合し、さらにチェコスロヴァキアを解体し、1939年にはプラハを占領、と続く時期だ。なお、カレル・チャペックは1938年に肺炎で死去しており、プラハのヴィシェフラド墓地に葬られている。冒頭に掲げた写真がそのカレル・チャペックの墓。2019年10月に筆者が撮影したもの。

 プラハに進駐したナチスドイツは、反ナチス分子としてカレル・チャペックを捕らえにチャペック邸に踏みこむも、4カ月前に死去したことを知らされることとなる。なおカレルとの共作もある兄ヨゼフ・チャペックはナチスドイツにより強制収容所に送られ、そこで死去している。

戯曲『白い病』

 作品の内容に入ろう。この作品は疫病と戦争を題材にしている。今からほぼ100年前の1918年から19年にかけて流行したスペイン風邪を知るチャペックが、疫病の恐ろしさと、1937年当時の戦火迫る世相とをからめて書いた傑作だ。

 舞台は世界で一番の軍隊を持つ或る国。どうやらヨーロッパの国らしい。ペイピン病という新しい感染症が世界中で流行している。この病気は中国で発生し、パンデミックとなっているというのだ。何やら今般のウィルス禍を連想させる。セリフにこんなものもある。
「いいかね、中国では毎年のように興味深い新しい病気が誕生している」

 誰も効果的な治療法も薬もワクチンも生み出せないなか、町医者ガレーンが特効薬を開発する。そしてそのガレーンは、戦争をやめることを各国元首が誓うことが特効薬の製造法を知らせる条件だと言い出す。人の命を救うのが医者だ。折角命を救ってもすぐに戦争を始められてはたまらない。ガレーンは従軍医師としての戦場での経験から、鉄砲やガスで人が死ぬのは見過ごしていられない、と言うのだ。
「軍艦をつくるのと同程度の予算を病院に充当することができれば――」と嘆くセリフも今般の状況にもあてはまると言えるだろう。

 何群かの人々の人間模様が重奏的に描かれる戯曲。その中に貧しい一家がいる。夫婦、息子、娘の4人家族、一家の働き手である「父」は軍需産業に勤めている。周りの同年代がバタバタと「白い病」に倒れていくことに対し「50歳が人間の死ぬ年齢であるわけないだろう?」と言ってみたかと思えば、ライバルがいなくなったことで財務部長に就けるとなると「何もかも〈白い病〉さまさまだ!」と祝杯をあげる人物だ。

 そして彼の働く軍需企業の経営者クリューク男爵、ガレーンに嫌々ながら治療の場を提供する枢密顧問官ジーゲリウス教授、そしてこの国を事実上治めている「元帥閣下」、彼らが発する言葉こそ、カレル・チャペックが穿つ我々の世界の実態だ。

「武器に何十億費やしたと思う! 永遠の平和? それこそ犯罪だ!」
「今日、平和を口にするとは扇動罪だ! どんな権利があって、世界中が武装解除するよう頼めるっていうんだ!」
「ただ永遠の平和を妄想しているだけ。哀れにも、心を患っているのです。今日、永遠の平和を夢見るとは――彼は、精神病院で診療を受けた方がよいと、私は医師として思いますね。」
「収容所ですよ、男爵。患者は全員、白い斑点を発症した者は全員、監視下の収容所に移送されるのです」

 紹介はここまで、断片にとどめておこう。この作品は今を生きる我々みなに大事なテーマを取り扱っているいる。そしてそれにもかかわらず、そこはカレル・チャペック、重苦しくならず軽やかに描く。鮮やかな幕切れに至る筋立ても見事。おもしろすぎて、あっという間に読める。私などが紹介するよりも是非、ご自身で読み、感じていただきたいと願うばかり。

 これは、このご時世で生きる我々が読むべき文学の一つ。

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