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3.11をツイートで振り返る ー 親と連絡がとれるまで

2011年3月12日〜19日のツイート

10年後の振り返り

振り返る前に、二日前の2月13日の地震について書いておきたい。東日本大震災の余震だという。10年経ってもなお余震があるのが怖ろしい。『怖』の字を見て、畏怖という言葉を思い出した。どちらも読みで『おそれ』となるが、畏は鬼が杖を振り回す様で、怖は心+布で、布は広げると下にピタリとつくことから、怖は何者かにぴたりと後ろからつかれている感じを持つことだそう。つまり、杖を振り回す鬼にぴたりと後ろからつかれている状態が、続いているのだろうか。想像を超えている。

また、前の投稿で書いておくべきだったのだけど、2008年末から失職しており、時間があるのでNGOのボランティアスタッフとして活動したりしていた。その一方で2011年当初から2ヶ月程度ウェブアプリを作る仕事をして、4月からの就業を前に、3月は諸々準備やNGOの作業などをしていた。

3月12日くらいから、首都圏在住の高校の同級生らと連絡を取り、皆様々な手段で無事を確認できていて、私はまだだったので、焦っていた。数日経った頃、父が人工透析を受けているので、どこかで透析を続けているに違いないと思い、こちらから仙台市の拠点(のようなところ)に電話を掛けてみたら、透析をするために仙台にきていると聞いた。それが3月16日の人づてにという投稿。

この時からツイートにブレーキをかけるようになってしまった。というのも、仙台に透析のためにチャーターバスを出しているが透析する人しか乗ることができないと聞いたからだ。当たり前な話だ。驚くことはない。だけど、当時のニュースなどでは、病気があって大きな病院に行きたいのに地元から動けないというような情報が流れていた。そのような情報に触れ、かわいそう、ひどいなと思った。そう感じていたところに、あなたのお父さんは週三で仙台にバスで透析に通ってますよと言われ(そういう言い方ではないけど)、ごめんなさいとありがとうのないまぜな感情になり、このことについて触れたくないと思った。冷静に考えれば、報道の仕方に配慮が欠けているということにつきるのだけど。そんなこともあってか、ツイートが怒りに満ちている。

とはいえ、母の無事を確認したという証言はなかったため、そのような情報を得ようとしていた(のが、それ以降のツイートからわかる)。一方で、親戚や見知った他の被災地域などにも目を向けようとしているのは親の無事が第三者から聞けたからだと思う。

また、ガソリン云々のツイートのところで、ボランティアのプロと書いていて、どのような人を称しているのか全く覚えていないが、例えば、これからトラックに物資を積んで被災地に行きます的なツイートをいくつも見たときには、自分との落差(ペーパードライバーで非力で病気持ち)を感じていたことを覚えている。



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