いきものがかりと私。

2009年3月。

そろそろ新年度を迎えようとしている春先は、
やや暖かな空気が漂いつつも、
桜は全然咲く気配がなく、
春を持て余していた。

そして、
とある小学5年生は、

暇を持て余していた。

(自分史にいきものがかりを絡めたよわよわエッセイです)

1.出逢い

始まりは春の街。

2009年3月。

父親のある一言だった。

「いきものがかりって知ってる?」

知らないわけがない。
こんな特徴的な名前。
一度聴いたら忘れない。

だけど当時は、
9時には寝なきゃいけなかったし、
YouTubeも発達していなかったし、
ちゃんと聴いたことはなく、

父親に

「知ってるよー
けど、よー知らん」

と答えたと思う。

父親はというと、
昔から音楽が好きで、
歌うことが大好きで、
よく家族を
カラオケに連れて行こうとする人だった。

そんな父は、「ブルーバード」を聴いて
衝撃を受けたらしい。

早速母親と、
レンタルショップへ行き、
「ブルーバード」と「気まぐれロマンティック」の
シングルCDを借りた。

今思うと、
「ブルーバード」の破壊力というのは
凄まじいなと思う。

早口だけどリズミックなAメロ。
Bメロの落ち着きとサビへの盛り上がりを
兼ね備えたメロディ、
そしてパワフルなサビ。

けど小学生の私は
「音楽」をまともに聴いたこともなかったので、
とりあえずCDに焼き、
親が運転する車で繰り返し聴いた。

2.小6〜ハマる

それからというものの、
父親が会社の人に
「My song Your song」(アルバム)を
借りてきて、こちらも何度も聞いた。

J-pop初心者の私(小5)は、
音楽に触れるという新鮮さがうれしくて(きらきら)、
車に乗っていきものがかりを歌うのを
楽しみにしていた。

インターネット上の歌詞サイトで
「いきものがかり」と検索しては、
歌詞を5mm方眼のノートに写し、
また車で歌った。

新曲が出たら3ヶ月待って、
レンタルショップで旧作になってから借りた。
(今思えば、よくそんなに待てたなと思う。)

しかし、ハマればハマるほど、
人間は欲深くなるものである。

結局、「なくもんか」は「YELL」と一緒に新作で借りた。

小6のクリスマスには、
サンタクロースから「ハジマリノウタ」のCDが届いた。

理解あるサンタである。

ちゃんと初回盤が届き、
2008年のツアーのDVDは
何度も繰り返し見た。

小学生だったので、
歌詞を書いたノートを学校に持っていき、
ずっと歌っていた。

CDも持っていき、
担任に内緒で教室のプレーヤーを使って
友達と聞いていた。

今思えば、小学生ながら
ちゃんとしたオタクだった。

3.功績

いきものがかりにありがとうって伝えたいことがある。

それは、「カラオケ嫌い」を
払拭してくれたことである。

昔、カラオケに行った時に見た
ピエロの映像が忘れられず、
カラオケ=怖い場所
という認識を持っていた。

それに、行っても歌うものも
アニメの主題歌くらいだったので、

歌うの好きな両親には申し訳なかったが、
「1時間だけね」と言って
カラオケに向かっていた。

今思えば、1時間なんて
鼻くそくらいの時間なので、
両親はきっと満足できていなかっただろう。

しかし、いきものがかりと出会ってからというものの、
歌うことが純粋に好きになり、
カラオケ大好き人間になった。

というか、小学生がいきものがかりを歌うと
絶対みんな褒めてくれたので、
それが嬉しかったのもあった。

今でもカラオケは大好きである。

あの頃いきものがかりに出会ってなければ、
いまだにピエロの映像が怖くて
カラオケに行けていないかもしれない。

いきものがかりには
感謝しかない。(余談)

4.オタク中学生

中学生になって間もない6月。

「いきものがかりのみなさんこんにつあー!2010」に行けることになった。
通称「全国あんぎゃー!」である。

「ハジマリノウタ」についていたシリアルコードで
無事ライブが当選したのだ。

部活を始めたばかりだったので、
行けるのか不安になったが、
ちょうどテスト期間で、
部活を休むことなく行くことができた。

市内のホールにいきものがかりがくる。

中1のわたしはワクワクしていた。

右手にシャーペン、
左手にノートを持って、
いきものがかりのライブを楽しんだ。

MCの内容もセットリストも衣装も全てメモした。

(今考えると、
ジャニオタの素質がありすぎる。)

CDで何度も再生した歌声が
直接耳に入ってきた。

聖恵ちゃんの歌はCDよりも情熱的で、
リーダーは思ったよりお喋りで、
ほっちは飄々としていた。

2階席だったけど、
3人の姿をしっかり目に焼き付け、
耳に覚えさせた。

それからというものの、
所謂オタクと化した。

テレビ番組は録画してDVDに焼く。
雑誌は表紙だったら買う。
CDはフラゲして、
発売日に放送部に頼んで
給食時間に流してもらう。
サンタクロースには、
アルバムかライブDVDを頼んで
クリスマスの朝5時ごろから再生した。
WALKMANでは、
ずっとずっといきものがかりを聴いていた。

ライブは中学時代は毎年一回は行っていた。
ファンクラスツアーとNEWTRALツアー。

一途なコイスルオトメである。
私の青春ラインはおそらくいきものがかりだなと思っていた。

今もこの頃(2009〜2012あたり)の曲を聴くと
当時の夢中になっていた頃の自分を思い出して
愛おしく思う。

もちろんこんな調子なので
中学校でも、
私が「いきものがかりオタク」であることは
友達の友達くらいなら知っていた。

「○○ちゃんってカラオケでいきものがかりしか歌わないってほんと?」
「いきものがかりが表示してる雑誌見つけて、○○ちゃん買ったかなって話してたよ!」

優しい世界である。

ちなみに、生徒会の役員だったので
ありとあらゆる生徒主体の集会で
いきものがかりを流しまくったし、
所属していた吹奏楽部でも
演奏しまくった。

中学校を私物化しすぎて
申し訳ないがこれもいい思い出である。

5.高校時代

私は高校生になり、
とても多忙になった。

課題は多いし部活は休みがない。

いきものがかりを聴いてばかりだった中学時代とは違い
バタバタと時間が過ぎていった。

しかし、ありがたいことに
学校まで1時間ほどかかったので
バスの中では常にいきものがかりを聴くことができた。

「笑顔」のカップリングの
「ホントウノヒビ」を聴くと
汗をかきながらバス停まで行き、
涼しい車内で再生したあの時の空気を
思い出すことができる。
あのイントロ、大好きだ。

部活では、吹奏楽部で県予選を勝ち抜き、
次の大会に進むことになった。
(と言っても私はほとんど演奏してない)

大会前日にリーダーの結婚が発表されたことを覚えている。

だから「笑顔」が生まれたのか?とか
勝手な想像をさせてもらったのを覚えている。

「I」が発売されたばかりだったが、
私は趣味だった「歌詞を覚える」ができず
ヤキモキしていた。

というのも、日々勉強で記憶力を使い過ぎて、
歌詞が入る余地がなかった。

しゃーないのでたくさん聴いて
メロディを叩き込み、
暇を見つけてはカラオケで歌った。

「あしたのそら」も「123〜恋がはじまる」も
「マイサンシャインストーリー」も「なんで」も
大好きで何度も繰り返し歌った。

ちなみに、
部活をずる休みして「I」のツアーに参加した。
グッズの列に並んでいると、
「書きますか?」と
スケッチブックにメッセージを書くように
他のファンの方に言ってもらった。

なんで書いたか覚えてないが、
ちゃんと届いたのだろうか。

6.受験生

2015年。
高3の夏を過ぎると、
私も周囲も受験一直線になった。

志望校が同じ友達とは
休日に学校へ行っては
お昼を一緒に食べ、
「受かったらなにするか」を
語り合った。

その中の一つに、
「一緒にバンドしよう」という夢があった。

私は歌が大好きで、
友達はドラムが得意だった。

「夏空グラフィティ」にハマっていた友達は、
いきものがかりとワンオクのコピーをしたがっていた。

私もいきものがかりとかチャットモンチーの
コピーバンドがしたかったので、
その夢を励みに
勉強を頑張った。

2016年に入ると、
「超いきものまつり」の案内が来た。

なんと、その開催日が
私の19歳の誕生日と重なっていた。
運命しか感じなかった私は、
その友達に
「これ絶対受かって行こう!!!!」と誘った。

友達も快く頷いてくれたので、
当選したのちに
高校の麓のコンビニで入金した。

そして3月。

無事、合格し大学生となった。

7.軽音1年生

大学生になった私は、
いきものがかりのコピーバンドをすることしか
頭になかった。

すぐに軽音サークルを探して
入部した。

同期の寄せ集めの5人組(もちろん友達も一緒)と
「生物股長」という名前のコピーバンドを組んだ。

6月にはライブ出演をかけた
オーディションに挑んだ。

初めて取り組んだ曲は「青春ライン」。

飛びながら歌うのは
とても難しく、
聖恵ちゃんを改めて尊敬した。

無事ライブの出演権を得て、
初めて人前でパフォーマンスした。

笑顔で歌うことも難しく、
あっという間に待ち時間の10分は過ぎた。

青春ラインとうるわしきひと。

私の初ライブは
この2曲を披露した。

ライブが終わると、
先輩たちや顔も知らない人が
たくさん褒めてくれた。

うれしくて(きらきら)、
飛び上がりそうだった。(きらきら)

8.大学2,3年生

そのバンドは大学3年まで続いた。

他大学の学祭で演奏したり、
市内のイベントで演奏したり、
学祭の大きなステージで演奏したり。

たくさんの思い出がある。

中でも印象的だったのが、
大学2年の4月にあった「サークル紹介」としての
演奏だ。

大学の庭(?)にいろんなサークルのブースが並び、
そのど真ん中にあるステージで演奏した。

「うるわしきひと」「くちづけ」「青春ライン」の3曲。

いつも通り演奏すると、

新1年生から「握手してください!」と言われた。
照れながら握手した。

学部の友達からもたくさんほめてもらった。

また、この1年後、
この時PAをしていた方にお会いしたのだが、
「いきものがかりのコピーのボーカル、
よかったよね」と言っていただき、
「そそそそそれ、私です!」となった。

いろんな人から反響をもらえたこの日は
私の人生の中でも
彩り豊かな日の一つだ。

そのバンドはというと、
メンバーがサークルを辞めていき、
メンバーを変えながらも維持していき、
OBとなるときにやめた。

「ちこくしちゃうよ」が好きなのだが、
演奏した後に
後輩のLINEミュージックが「ちこくしちゃうよ」に
なっていたのは嬉しかった。

9.久しぶりのライブ

私がサークルに明け暮れている間、
いきものがかりは放牧しており、
飲みにバイトにライブに多忙だったが故、
私はファンクラスの更新を忘れていた。

集牧の際に「太陽」のCDを
会員に配ったと知り、
涙を流したことを覚えている。

集牧のツアーを行うということで、
再び入り直し、
1番近い会場へと足を運んだ。

2011年のファンクラスツアーでは、
整理番号が200番くらいで、
5メートル先にいきものがかりがいて涙が出そうだったことを覚えている。

(目の前が背の高い女の人で、
その人をかわしながら見ていたので
その女の人が来ていたサマーニットの網目を
いまだに覚えている)

2019年のときは、
整理番号も後ろの方だったので
客席の真ん中あたりで見た。

何も変わらない3人のMCにとても安心した。

この時私は大学4年。
教員採用試験を受ける私は、
5月に会場に向かうバスに乗ると、
同級生がスーツを着て
面接に向かっていた。

人の一大事がかかっているときに
呑気にライブなんて、、と思っていたが、
こっちだって一大事である。

楽しませてもらった。

さすがにもうセットリストはメモできなかった。

10.社会人

教員採用試験に無事合格し、
地元の教員となった。

1年目はとにかくボロボロだったので
あまり思い出したくない。

しかし変わらずいきものがかりは
ずっとそばにあった。

しかし、聴き方が変わっている。

特にそう感じたのが「なくもんか」である。

リリース時は小6だったため、
よく理解できてなかったが、

「ひょっとしたらみんなひとりぼっちで歩いているんじゃないかな」

ってほんとに今、
当時(2009年)のよっちゃんと同世代の私は
そんなことをずっと考えている。

コロナもあり、
人との繋がりを感じづらくなった2020年。

それを経ての今なので、
「またいくつもの背中が遠くなる」ばかりだ。

この聴き方が変わっていることに気づき始めてから、
いきものがかりを聴き直すようになった。

また感じ方が変わったらnoteに書きたいと思う。

11.終わりに

さて、ダラダラと自分史のように
いきものがかりとの
小さなつながりをかいていったが、

今日はなんてったって「○」の発売日である。

最近は「ときめき」を聴いて
泣いたばかりなので、
今夜もこのアルバムを聴きながら
眠りたいと思う。

聖恵ちゃん!よっちゃん!
音楽続けてくれてありがとう!!!!!

ずっと大好きだよ!!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?