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そして誰も来なくなった File 12

ギルバート・ロスは、階段を上がってきた美里とマーガレットさん、そして隣にいる僕に挟まれる形でじっと立っている。他の招待客は、睡眠薬入りドリンクのために寝てしまっているらしく、騒ぎ声が館に響いても何の反応もなかった。肩を強張らせて威嚇しており、狂気が全身からにじみ出ている。

「旦那様の亡霊だと?」

マーガレットは彼から視線を外さずに、こくりと頷く。

「ええ。敬称で呼ぶところから察するに、きっと貴方は先代の主人、ノイ・テーラーに仕えていた執事なんでしょう。だから館の仕掛けにも詳しいし、テーラー本人の願望を誰よりも知っている。そして先代の死後、彼の遺志を独りで継いで、館を守ってきた。ちがう?」

「お前たちに何の関わりがある」

美里が後を受けて答えた。

「大アリよ。その旦那様とやらの悪趣味のせいで、こんな手の込んだ危険な遊びに付き合わされて、たまったもんじゃないわ」

「何故、お前たちがそれを知っている。第一、どうやって地下空路から逃げ出してきたのだ」

マーガレットは呆れたように息を吐いた。

「やっぱり、貴方はノイ・テーラーの表面的な目的しか知らないようね」

「馬鹿を言え。私は二十年以上も旦那様と苦楽をともにしてきた人間だぞ」

唇を尖らせて美里が言った。

「それが傲岸不遜なのよ。どれだけ親しい関係でも、知らないことの方が多いに決まっているわ。人間関係は最も身近な宇宙なのよ」

久しぶりに美里の「傲岸不遜」を聴けて僕はにんまりした。なかなか上手い表現をするなあと、修羅場にも関わらず可笑しさを抑えられない自分がいる。笑えているのだから、まだ何とかやれそうだと思った。

「戯言を…!」

ギルバートは胸ポケットから黒光りする代物を取り出して、足元に座る僕に突きつけた。小型のピストルだった。安全装置を外して、いつでも発砲できるようにしている。

「いくらお前たちが真実を掴んだとて、目の前の男を助けられなければ意味がない。私が島から出ていくまでおとなしくしていれば、ミスター・サドの命は助けてやろう。もし指一本でも私に触れれば…撃つ」

僕の肘に強引に手を回すと、僕を人質に取りながら、一歩、また一歩と、階段を降りていく。僕は足を引き摺りながら、徐々に彼女たちと距離を取らなくてはならなくなった。無抵抗のまま十メートル、二十メートルと歩いていく。二人は僕を前にして、身動きできずにじっと堪えている。

階下のホールまで来ると、すぐには捕まらないと踏んでか、少しギルバートの握力が緩んだ。自分の足元に堅い感触がしたので見ると、先ほど僕が捨てた招待状を踏んでいた。僕はそれをさっと拾った。途端にギルバートの腕に力がこもり、肋骨をぎりぎりと締め付ける。

「勝手な真似をするな」

「いいでしょう。どうせ死ぬみたいですから。最期くらい、美里の名前が入った招待状をもったまま死なせてください」

「ふん、好きにしろ」

一歩、また一歩と館の玄関へ近づく。きっと、島のどこかにモーターボートでも隠してあって、彼女たちから完全に離れた後で、僕を殺し、悠々と逃げるつもりだろう。絶体絶命だった。

二人はまったく動こうとしないのが不可解だった。動けないのか、別の手段を考えているのか。じっと手摺に掴って成り行きを見守っている。

ギルバートは満面の笑みを浮かべてドアノブに触れた。

その刹那だった。

パチン!

僕のすぐそばで熱い光が走った。上を見ると、チチチという不気味な音とともに光が瞬いている。水中から出された海月のようにギルバートの体から力が抜けていく。反射的に僕は彼から体を離した。すると、もう一度、

パチン!

と光線が降り注いだ。次の光線はギルバートの首筋に直撃した。

「飛鳥! 早くその招待状を投げて! でないと、飛鳥が撃たれちゃうから!」

美里の必死の叫びを聞き、慌てて招待状を遠くへ投げ捨てる。光線の攻撃は止み、後には血を流したギルバートがドアの傍で斃れた。

罪を犯した者の、あっけない最期だった。

「美里…!」

何が何だかわからないまま、命が助かったのだということだけ実感できた。階段から駆け寄ってきた美里に、つい僕は遠慮なく抱き着こうとした。彼女の存在を体で確かめたかった。だが。

「飛鳥のばっかやろー!」

石飛礫かと思えるほどの硬い拳に、脳天を叩かれた。うずくまった僕は、声も出ずに床に倒れ込む。正直、ギルバートに人質に取られたときよりも衝撃である。

「何時間、どんな気持ちで待っていたと思っているの! 暗い地下に閉じ込められて、何回飛鳥を呼んだと思っているの! 結局、飛鳥は来なくて、マーガレットさんに助けられて、どれだけ悔しかったと思っているの!」

恐る恐る、顔を上げて美里を見る。涙と雨でせっかくの化粧が台無しになっている。生乾きのハーフパンツも、じっとり濡れて履き心地が悪そうだ。

「ごめん、謎を解くのが遅かった」

美里はしゃがんでいる僕と視線を合わせて、キッと向き合った。真剣な彼女の顔を近くで眺めるのは久しぶりだった。高校のころ、つまらない悪ふざけに馬鹿を言い合ったときの、懐かしい面立ち。

「許さない。絶対に許すもんか」

僕の首筋に美里の細い腕がすっと伸びる。嗚咽と怨嗟の混じった声で僕の肩を力なく叩く彼女に、僕は黙って頭を撫でた。静かに僕の頬を一筋の雨が流れていった。悲しいのか嬉しいのか、よくわからない。あれほど得意としているはずの合理的な説明がまったくできない、初めての気持ちだった。弱くなった雨が、静寂に包まれた館を慰めているように感じた。

「ごめん」

もう一度謝って顔を上げると、まだ美里は泣いていた。マーガレットさんは何も言わず、奥へ下がっていった。

                            (つづく)




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