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あとがき――『言葉くづし』とは何だったのか?

こんにちは、小清水志織と申します。
小説『言葉くづし』は、2023年6月30日(金)から同年11月17日(金)まで、毎週金曜日に note に連載した作品です。
先週の第21話をもって、無事に完結いたしました。まずはここで、

冬花「皆さまどうもありがとうっ!」

そして、

夏炉「まったく、話を引っ張りすぎなのよ!」

という二人のヒロインのお言葉を紹介したいと思います(笑)
読者の皆さま、本当にありがとうございました!

1、原案 又の名は 化石

実質的な制作は2023年6月頃にスタートしましたが、その「原案」となるものは2年ほど前に遡ります。
他でもない、この note に化石のごとく眠っている某マガジン……『夏炉冬扇』(2021年8月26日(木)~2022年2月20日(日))がそれになります。当時、読んでくださっていた皆さまには大変申し訳なかったのですが、私は10本の記事を上げた時点で、未完成のまま『夏炉冬扇』を挫折してしまいました

まったく情けない話です……。

挫折の原因としては、

(1)物語の詳細を詰めないままの見切り発車だった
(2)キャラクターづくりが不十分だった
(3)詩作のほうに傾倒していたために小説の投稿ペースを守れなかった

などがあると考えています。本当にごめんなさいと申し上げるほかないのですが、最たる原因は「私が書きたい物語」を私自身がわかっていなかったから、に尽きると思っています。

なぜ物語を書こうとするのか。
どんな物語を「好き」だと思うのか。
物語を通じて、何を表現したいのか。

こうした根本的なことが曖昧なまま筆を進めてしまったために、途中で方向性を見失ってしまったのです。

長らく凍結状態だった『夏炉冬扇』を、もう一度書き直すきっかけになったのは、新海誠監督の『君の名は。』でした。

公開から随分と経ったあとでようやく観たのですが、あるアニメをきちんと観て、心の底から感動したのは久しぶりのことでした。アニメって凄い、物語って凄いと雷に撃たれたような衝撃を覚えました。

また私も物語を書きたい……と、ふつふつ情念が沸いてきて、無性に物語を作りたくなりました。紆余曲折を経て、ぼんやりとしていた輪郭が、ゆっくりとかたちになったのが『言葉くづし』でした。

2 テーマを途中で割りこませた

この物語のテーマはふたつあります。

ひとつはタイトルにも使われるように〈言葉のちから〉、もうひとつは〈生命の循環〉です。

〈言葉のちから〉をテーマにしたいという欲求は『夏炉冬扇』の頃から変わっていません。小説や詩を書くなかでアマチュアながらに言霊や言葉のちからについて考え、作品に盛り込みたいと思っていました。

作品の内容を検討する過程で、まずはその世界観を反映した詩を作ってみることにしました。いくつか出来上がった詩のうち、最もお気に入りなのが、詩『言葉くづし』です。

小説版『言葉くづし』と内容が異なる箇所はありつつも、ヒロイン冬花の内面を想像して書いた詩が、ひとつの大きな指針になりました。「つらい出来事に直面したとき、現状を打破する方法のひとつとして言葉がある。苦しみを和らげ、次のステップへ進ませるちからを言葉はもっている。その反面、言葉ではどうにもならない現実もまた存在する」という、信念とも諦めともとれる気持ちをぶつけました。

それが冬花の母親・雪枝の「つらくなったら 言葉をくづして」などの台詞に繋がっています。

もうひとつのテーマ〈生命の循環〉という考えは、物語を作りながら浮かんできたことでした。

実を申し上げると、当初はもっと短い話にするつもりだったのです。ふたりの少女が運命的に出逢い、彼女たちだけの〈言葉〉を交わし、その上でひとつの美しい情景さえ描ければ満足するはずでした。

それが第5話「松寺橋」を書く段になって、このままではメッセージ性の弱い物語で終わってしまうのではないかと焦りました。いま思えば制作に焦りは禁物で、最初の路線を途中で変えるべきではなかったのですが、私は全く予定していないテーマをどんと据えることに決めたのです。

それが〈生命の循環〉というテーマでした。

ヒロインの冬花は義母との折り合いが悪く、大雨の深夜、逆立つ感情を抑えきれずに家を抜け出します。びしょ濡れになった先に辿り着いた天神橋で、不思議な少女――夏炉(霧島小夏)と出逢うわけですが、いきなり取っ組み合いの喧嘩を始めてしまうのです。しかし、喧嘩が果ててみれば冬花の心に燻るモヤモヤがすっきりと流れ、夏炉への既視感と「あったかいかんじ」だけが残ります。

その後、警官に捕まりそうな夏炉を必死に助けたり、気持ちのすれ違いを起こしては仲直りをしたり、不登校ぎみの夏炉をどうにか文化祭に参加させられないか計画したりと、忙しい日々が過ぎていきます。親友の穂乃香たちから心配されるほど、冬花が夏炉に惹き込まれていくのです。

こうした冬花の変化がまったくの偶然に起きたわけではなくて、冬花の抱えている〈生命のルーツへの回帰性〉が彼女を衝き動かしている……という構造になっています。

義母に育てられた彼女は、生みの母親の面影を無意識のうちに探す癖がついています。ふだん言葉にすることは少ないけれど、本能的に自分の出生、そして生みの母親に関する事柄に敏感に反応しているのです。

3 双子と輪廻転生

バニシングツイン、という言葉を知ったのは『言葉くづし』を制作している最中のことでした。双子の片方の胎児が母親のお腹から消えてしまう現象のことで、双胎妊娠の場合、わずかですが一定の確率で起こるとされています。

冬花と夏炉の関係において、この現象に重要な意味をもたせました。

双子を妊娠した聡子さん(夏炉の母親)は、途中で一方の胎児が亡くなってしまう悲しい経験をします。それが判明したのが2000年11月10日。そして、わずか1週間後の11月17日、聡子さんの親友である雪枝の胎内に、いなかったはずのもうひとりの胎児が授かるのです(この子が冬花であり、元から授かった男児=冬仁とともに双子になる)。つまり、亡くなった夏炉の双子の姉が生まれ変わって,雪枝の胎内に冬花が宿ったように見えるのです。

無性に冬花が夏炉に惹かれるのは、出生前に同じ母親(聡子さん)の胎盤を二人で共有した時期があったからではないか、という示唆を与えました。

かなりデリケートな話であり、生命にかかわる事柄を私が書いていいか迷ったのですが、最後まで描き切ろうと腹を括りました。

ここで……ちょっとだけ、不思議な話をさせてください。

実は「11月17日」という日付は、構想を練っている段階で私が便宜的に決めたものでした。それなのに、いざ連載を進めて、最終話まで行き着いたとき、冬花たちの秘密を明かす最終回が「11月17日」に投稿することになろうとは思ってもいませんでした。
しかも、2000年も2023年も金曜日……。
世の中には、人の言葉では説明できない不思議なことが起きるものですね。

4 私のために書いた、最後の作品

長々と制作の過程で感じたこと・考えてきたことを述べてきました。
最後に、私・小清水志織にとって『言葉くづし』とは何だったのか、まとめたいと思います。

煎じ詰めて申し上げると「私が、私のために書いた、最後の作品」だということです。

note を開始して約3年、自分でも恥ずかしくなるほど好き勝手に物語を書き、好き勝手に主張してきたように思えます。ばらばらに散らばった小説や詩、エッセイなどを振りかえったとき「結局、あんたが言いたいことって何なんだよ!?」と怒りにも似た感情が沸き上がってきました

なぜ物語を書こうとするのか。
どんな物語を「好き」だと思うのか。
物語を通じて、何を表現したいのか。

冒頭で申し上げた事柄がぐるぐる頭のなかを巡っては消え、現れては消え……。そんな感情のばらけた状態のまま書き続けても意味がない。そう思いました。

だからこそ、途中で挫折した『夏炉冬扇』を踏み台にして、一度でいいから「私が書きたい物語はこれだ!」と言い切って、ケジメをつけたかった。そうすれば、その根っこをベースとしつつ、次作からはもっと誰かに楽しんでもらえる作品にシフトできるはずだ。そう考えました。

構成や辻褄の部分で力不足なところが散見されますし、文章の表現力も弱いなんてもんじゃありません。私が私のために書いているので、テーマも台詞もかなり独善的です。それでも、書いてみたかった。書いて書いて、もういいんだよ、というところまで行きたかった。私が、私のために書いた、最後の作品にしたかったのです

それにもかかわらず、多くの読者の皆さまに恵まれて、本当に感謝の言葉も見つかりません。皆さまから反応をいただけたことで、『言葉くづし』という道を最後まで走り切ることができました。改めて、深くお礼申し上げます。

現在は、次作の小説に向けて準備しているところです。それまでは休み休み、別の作品をアップしたいと考えておりますので、よかったらご覧くださいませ。

それでは、このあたりで筆を置こうと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
外も寒くなって参りましたので、どうか皆さま、温かくしてお過ごしください。

令和5年11月
小清水志織

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