そして誰も来なくなった File 15
K市はコンパクトシティを標榜している街だ。賽川という大型河川を横切るアーチ状の橋を渡ると、都心軸と呼ばれる中央通りが現れる。通りの両側にセレクトショップや有名カフェのチェーン店、書店、居酒屋などあらゆるタイプの店が立ち並んでおり、平日の日中といえども人口密度が高い。僕は自動車をもっていないので、バスを使ってするすると雑踏の街へ滑とり込んでいった。
バス停を降りて、美里から転送された地図を頼りに目的のネットカフェを探す。都心軸のなかでも特に繁華街として知られる旗町へ迷い込むと、途端に視界の両側にテナントが押し迫るような感覚に襲われた。狭い場所が嫌いな僕には、正直足を運びたくない場所なのだが、スマホのナビが「二十メートル先、右方向です」と急かしてくるので、それに釣られて体が熱気の昼日中を歩いていく。
五十センチほどの黒板に『ヱルキュール』と店名が書かれたネットカフェに来ると、スマホを片付け、気を引き締めてからドアをくぐった。リリンとベルの音が鳴ったと思うと、すぐに店の奥から手を振る二人の女性が見えた。
「飛鳥~! こっちこっち~!」
「待ってたわよ~!」
「ちょっと、こ、声、でかいって!」
他の客がいるのに、二人の傍若無人ぶりには呆れる。恥ずかしさに顔を真っ赤にして、それ以上声を出さないように慌てて席に駆け寄った。
「もう、飛鳥くん。遅いじゃない。待ちくたびれたわ」
わざとらしく欠伸をするマーガレットさんに閉口しながら、僕は席に着いた。すでに美里はカフェオレ、マーガレットさんはエスプレッソを注文していたので、僕も倣ってブレンドコーヒーを頼んだ。
「さて」
マーガレットさんは一つ咳払いすると、持参したノートPCを開けてワープロを起動させる。
「二人とも元気そうでよかったわ。今日来てもらった理由はね」
マーガレットさんはそう前置きして、僕らに一枚のワープロを示した。青い画面のタイトルに『アスカとミサトの怪奇事件簿~仲良し男女はこの謎を解くことができるか?~』と書いてある。僕はもう少しでブレンドコーヒーを吹き出しそうになった。
「なんですか、これ…?」
「あら、気に入らなかったかしら? 今回の事件を、裁判の証言前に整理したくてね。それであなたたちを呼んだの」
「そうじゃなくて! この変なタイトルを訊いてるんです!」
「え? いいじゃない、飛鳥。男女で謎解きだなんて、トミーとタペンスみたいでしょ」
「そういう話かよ! 僕が言いたいのは」
「仲良し男女っていう表現だ」と叫びそうになって、止めた。他の客だっているのだ。個人的なことで騒いでいる場合ではない。
「まあ、いいです。僕も、二人に訊きたいことが山とありますから」
マーガレットさんは胸を張って席に座り直した。
「何から始める?」
僕は迷わず言った。
「ダイニングのブレーカーが落ちたとき、美里が何をしたか、です」
「話しにくいことなんだけどね」
美里は周囲の視線を気にするように、肩を縮ませて話し出した。白と青色のワンピースが、華奢な彼女にとても似合っている。
「急にダイニングが真っ暗になったとき、私もパニックになったの。どうしたらいいかわからずに怖くなって、誰かにすがろうとした。そうしたら、突然それまで横にいた今藤さんがバタンと斃れてきた。信じられなくて、気を失いかけたけど、このままだと私が犯人扱いされるって思ったの。だって一番近くにいたのは私。疑われても仕方なかった。だから慌てて彼をテレビ台の後ろに運んだの。今考えれば、いけないことなんだけど」
マーガレットさんはブラインドタッチで美里の供述を記録していく。僕は頷いて先を促した。
「なるほど、遺体を動かすのはいけないことだけど、一つ訊いていいか。美里、大の男一人を運べるほど怪力だっけ?」
テーブルクロスの下で、鋭利なハイヒールの一撃が僕の足の甲へ突き刺さる。頬を膨らませた美里が鬼の形相でこちらを睨む。
「カ、カハッ…! 何するんだよ」
「花も恥じらう乙女を侮辱した罰よ」
「ええ? 人に攻撃を仕掛けてよく言えるな」
「佐渡飛鳥よ。もう一度、痛みを味わいたい?」
「…わかったよ。で、質問の答えは?」
美里は眉を寄せて回答に躊躇した。
「それが…私にもわかんないの」
美里によれば、今藤をテレビ台へと運ぼうとしたとき、誰かが今藤の身体をもったかのように彼の体が軽くなって、ほぼ力を入れずに目的の場所へと運べたそうだ。そして、まだダイニングが暗いままだったときに、美里は首筋に衝撃を感じて意識を失った。
「合理的に考えれば、それはギルバートの仕業ね」
マーガレットさんは画面から顔を離さずに言った。
「ギルバートは美里ちゃんが今藤を運んでいるのを見て、これは使えると思ったのよ。今藤の肩をもって美里ちゃんを助けて今藤を隠し、直後に貴女を気絶させれば、貴女を犯人に仕立て上げられる」
「じゃあ、私はどこへ隠されたんでしょう?」
「そうね。きっとダイニングの隠し扉でしょう。ほら、私が地下空路へ降りていったときの入り口」
「ギルバートは、マーガレットさんと同じく、招待状を投げ捨てて入り口を開いたのでしょうか」
「さあ、そこまで不明だけど。でも、開け方を知っている彼なら、招待状を投げる手もあるし、自分だけリモート操作で開けるように設定していたのかもしれない。ひとまず美里ちゃんを扉の裏に隠して見えなくした後で、電気を復旧させる。やがて今藤の遺体が発見され、周囲は驚いた。捜査の区切りがついて、他の客が自室へ下がったのを見計らい、美里ちゃんを地下空路の奥の部屋へと移動させた」
僕はううんと唸り、親指と四本の指で三角形をつくるようにして手を組んだ。
「確かにありえそうですが。でも、ギルバートはそれを実行することが物理的に可能だったのでしょうか。美里が消えたのは夕方五時ころ。捜査が済んで各々が自室へ帰ったのが夜の八時過ぎ。マーガレットさんが地下空路へ行ったのは、えっと」
「午前四時前よ」
「ありがとうございます。つまり、約八時間で美里を奥の空間へ運んで、戻ってこなければならない。いくら美里が痩せているとはいえ、人ひとりを運んで片道二時間ほどの距離を進むのはかなりの労働です。仮に午後九時から始めたとすれば、行きは美里を抱えているので三時間はかかるでしょう。戻ってくるので二時間。ここで午前二時です。しかも、ギルバートは朝の六時すぎには朝食の準備を整えていた。ほぼ不眠不休でできるような仕事でしょうか。まったく彼は疲れを見せませんでした。彼がそこまで体力のある人物には思えないのですが」
「あ、飛鳥。それにはカラクリがあるの」
美里が自身のスマホを出して画像を見せる。
「これ、私たちが通ってきた地下空路。ちょっとだけ撮影してきたの」
マーガレットさんが唇に手を当てて喜ぶ。
「あら、いい証拠画像ね。どれどれ」
僕も一緒になって画像を凝視した。美里とマーガレットさんが地下を歩いている動画が流れている。音声はなかった。
「見えにくいんだけど、あの地下空路は入り口から奥の空間にかけて少しずつ傾斜しているの。緩いスロープみたいに下がっていっているのね。私がマーガレットさんと戻ってきたときにキツく感じたのは、長い上り坂を歩いてきたからなのよ」
「美里ちゃん、よく気づいたわね」
「偶然です。私が疲れて地べたに寝転がったとき、あれって思ったんです。なんだか頭の位置が足よりも低いなって。だから、もしかして地下空路が傾斜しているんじゃないかって考えたんです」
「名推理ね。探偵になれるわ」
鼻を高くして、美里は続けた。
「だから、きっとギルバートは私を扉の後ろに隠した後、私を台車のようなものに固定したんだと思います。そして勢いよく手で押せば、傾斜に従って台車ごと一番下の空間へ運ばれる。おそらく三十分ほどで辿り着くでしょう。ギルバート自身は、スクーターかソリのようなもので下へ降り、私を台車から外して扉を閉める。そして地上へと戻ってきたんです」
「なるほど。ギルバートにすれば、行きに約三十分、帰りに二時間。仮に午後九時から始めたとしても、日付が変わる前に地上へ戻ってこれますね」
僕の言葉を受けて、元探偵の女傑はキーボードのエンターキーを叩いた。
「よし、これで名探偵ミサト失踪事件は解決。次は何を考える?」
名探偵ミサトならぬ、梶原美里は体を乗り出して言った。
「あの、そもそも論なんですけど。どうしてギルバートは今藤を殺害したんですか?」
(つづく)
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