学校評価と統計(データ)について考えてみる

今日の講義から,学校評価というものについて再考してみようと思います。

そもそも学校評価とは,平成18年の教育基本法の改正に伴って平成19年に学校教育法が一部改正され,このとき、学校評価の実施に係る総合的な根拠規定が法律に盛り込まれたことによって平成20年度から実施されたものです。

教員になってからずっとあったものなので,特に最近までその存在に疑問すら抱かなかったのですが,最近学校評価部会の主任をするような機会も増えてきたことで,「正直どうなの」と考えるようになりました。

だって,評価項目にも評価基準にも,

根拠なんてほとんどない

んですから。

ABCを決めるときに,「80%以上ならA」みたいなものって,結構なんとなくな部分が大きいです。

「昨年度は84%か…。じゃあ今年度のAの基準は80%以上にしておこう」
みたいなざっくりとした決め方です。

(そうじゃない!という学校もきっとあると思うで,ここは私の経験上で,という意味で捉えてください)


で,結局今の学校評価は,

評価のための評価

になってしまっているなと感じたわけです。


学校評価はその結果を公表しなければなりません。

結果にBやCがたくさんつくのは好ましくないわけです。

だから,Aが多めで,適度にBがつくような項目と基準を設定し,それなりの結果を公表できるようにしている。

正直,そこに子供の姿や成長はあまり見えてきません。


本来なら,その評価をすることによって子供がよりよく成長していけるように学校の運営が改善されていくべきはずなのに,そこには切り込むことがありません。

本当に,大人の都合ですよね。

そして,なにより厄介なのが,

学校評価が多忙化の温床になっている

ということだと思います。


ただでさえ忙しい年度初めや学期末に,学校評価の部会が開かれるわけです。

時間のない中で,ろくに根拠のないデータをもとにあーだこーだと話し合い,公表できる形に報告をまとめるのです。

これ,なんの意味があるのでしょう。

目の前の子供の話を聞いたり,授業準備をしたりすることにこそ,本来は時間をかけるべきなのに。


ただ,学校評価をなくすことは現状できないことです。

では,どうすべきか。


私なりの考えは,

数字やデータを正しく読み取り,上手に使う

ことによって,少しでも意味のあるものにするということです。


出てきた結果にあまり一喜一憂せず,

「こんな結果が出てるけど,実際の目の前の子供はそんなに悪くないよね」

「数値は高いけど,残り数%の子供を救うための手立てをよく考えたいね」

と,実際に子供に相対している自身の肌感覚を大切にしながら,必要な教育活動を無理なく展開していくことで,学校評価が子供に還元できる意味あるものになるんじゃないかなと思っています。



統計学,まともに学んでこなかったんですが,毎回講義が面白すぎて思考が活性化されています。

現状を把握したり,今後の見通しをもったり,因果関係を明らかにしたりするための必要な力を,この講義を通して身に付けていきたいなと思います。


長々とお読みいただきありがとうございました。