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故郷を歌うアイドル(BTSの政治性について)

BTSのアイデンティティの発火点としてたびたび話題に上るのが、彼らの出身地の話です。BTSはメンバーが7人いるのに、ソウルで育ったメンバーがひとりもいないことで知られています。

とは言っても、ジン(JIN)とナムジュン(RM)はソウルから程近い場所で育っています。日本でいえばジンの出身地の京畿道の安養市が都内の町田市、ナムジュンの京畿道高陽市が埼玉県の所沢市という感じで。(あくまで私のイメージです)

そして、ユンギ(SUGA)とテテ(V)は、慶尚南道の大邱広域市です。大邱はソウルと釜山に次ぐ国内第3の都市圏を形成していますから都会ですが、アジア有数の巨大都市ソウルから見たら一地方都市に過ぎません。日本でいえば名古屋あたりのイメージでしょうか。

そして、ジミン(JIMIN)とジョングク(JUNG KOOK)は同じ慶尚道で国内第2の都市釜山です。日本でいえば大阪でしょうか。共に慶尚道に位置する大邱と釜山は、ちょっとアクが強いイメージがあります。

最後にホソク(J-HOPE)は全羅南道の光州広域市出身なんです。光州は都市の規模的には、日本で言えば福岡くらいの感じです。


BTSメンバーの出身地

韓国は日本の面積の約4分の1という小さい国の割に、地域対立がくっきりと存在する国です。いまの若い世代は随分意識が変わってきていると思いますが。

例えば、大統領選挙などの地域別得票率を見ると、いまだに選挙が地域合戦の様相を呈していることが如実にわかりますし、私自身も韓国内で金大中大統領(注1)は全羅道の誇りだと熱く語るタクシードライバーに出会ったことがあります。


地域合戦の様相を呈する大統領選の得票率



BTSメンバーの中でユンギ、テテ、ジミン、ジョングク、4人が慶尚道出身で、それに対してホソクが全羅道出身なわけですが、全羅道と言ったら、日本の皆さんも中高生時代に歴史で習った百済のことで、慶尚道というとほぼ新羅にあたります。

この2つの勢力は歴史上ずっと対立してきました。しかも、それは対等ではなくて、慶尚道側が支配側、全羅道側がそれに抑圧される側としての一方的な関係があるわけです。それは決して古い話ではなく、例えば日本でもその名が知られる戦後のセマウル運動(注2)でも慶尚道を優先したインフラ整備が進み、全羅道は後回しにされました。いまだに民間レベルでも結婚や就職などをめぐる差別がくっきりと残っています。このような歴史と差別構造の文脈の中で、1980年の光州事件(注3)についても理解しなければなりません。

光州事件の悲劇は当時の軍事独裁政権が民衆を無惨に殺戮したことだけに留まりません。全斗煥政権は、この事件を北朝鮮の策謀による暴動と位置づけて、国民に刷り込みを図りました。その結果、保守が地盤とする慶尚道では、全羅道の革新勢力のバックには北朝鮮がいると公然と非難し差別する風潮が生まれ、地域対立がますます先鋭化したのです。

BTSの曲の中に「八道江山」(2013年のアルバム『O!RUL8,2?』収録)という、歌詞に方言ばかりが出てくるユニークな曲があります。曲の中ではJ-HOPE(全羅道代表)とシュガ(慶尚道代表)掛け合いがあるのですが、これがもう、笑いながら泣いてしまうような何とも言えない味わいがあるんです。ド本気な一途さとコミカルさのハイブリッドのようなこの曲は、歴史的背景を知った上で聞くと、感情がどうしようもなく揺さぶられます。


私は2019年に光州を訪れました。すごく魅力のある街です。BTSのホソクだけでなく、少し前だったら、東方神起のユンホ、KARAのハラや元miss Aのペ・スジ、最近ではMONSTA Xのヒョンウォンやチャンギュン、STAYCのジャユンなども光州出身で、「K-POPスター通り」の建設が進むほどK-POPファンには知られた街です。(人口規模の割に芸能人の輩出が多いイメージがあるところも福岡に似ています。)

光州に行って肌で感じたのは、いまだに事件の衝撃が風化しておらず、どこかであのときの時間と現在が繫がっているということです。この場合の「風化する」とは、確かに生きていた小さな声がかき消されて死んでしまうことです。記念碑という固形物としてモニュメント化されてしまうことです。広島の原爆ドームもやはりモニュメント化からは免れられておらず、それは別の言い方をすれば、個別の捉えがたい経験が、形式的な全体性の「語り」に覆われてしまっているのです。ここには「語る」ことがむしろ歴史を形骸化してしまうという逆説があり、つまりそれは「語り」から「騙り」への変質です。(注4)


光州事件の中心地となった全羅南道旧道庁



この点で、光州はいまだに生傷が癒えないままに見える場所であり、声を奪われた霊が、奪われたままにいまも漂っていることを肌で感じました。

光州市内の5・18民主化運動記録館などにある事件に関するめまぐるしい数の展示は、できるだけ精密に事実を明らかにしようという熱量が感じられました。そして、館内に立ち並ぶ多数の人型のオブジェは、容易な解釈に抗うように、物語化を拒むように、見る人に厳しく対峙していました。そしていつの間にか、自らもその場に巻き込まれてしまって身動きがとれなくなってしまい、言葉を失ってしまうような展示でした。


5・18民主化運動記録館にて



光州事件のときに利用された「アカ」のイメージをともなう全羅道に対する差別意識は、いまも国内に根深くあります。ですから、いまも光州事件と向き合い、それに対して何らかのリアクションをすること自体が、韓国という国の大きな葛藤の現場にダイレクトにアプローチすることであり、それは極めて政治的なアクションにならざるをえません。

BTSのようなトップアイドルの中に、このような歴史性から裏打ちされた批判精神が深く織り込まれていることは、日本のアイドル産業を見慣れた目からすれば驚くべきことです。

しかし、それは韓国の人々が激動の現代史に近接した今を生きており、2014年のセウォル号事件や2022年の梨泰院ハロウィン事故の例を出すまでもなく、それが何度もフラッシュバックを呼び起こすほどの苛烈さで人々の記憶に刻まれていることを考えれば、そこには何の不思議もありません。


5・18民主化運動記録館にて


光州生まれの作家、韓江(ハン・ガン)をご存知でしょうか。光州事件が取り上げられた作品として、韓江の小説『少年が来る』(注5)をぜひ読んでみてほしいと思います。この本はRMの愛読書としても知られています。

小説では光州事件で殺された霊が語ります。それは静かな小さい声。韓江は、自身が子どものときに起きたこの出来事を書くにあたって、確かにそこにあった個別の声が、象徴化され、形式化された語りになることに抗うために、小説という形式を必要としたのでしょう。

 
BTSの楽曲の中で、光州事件が取り扱われている曲が「Ma City」(2015年のアルバム『花様年華 pt.2』収録)です。登場するのは、やはり光州出身のJ-HOPEのヴァース部分です。

歌詞の中で、ホソクは自身が全羅南道、光州出身であることを高らかに宣言したあと、「オレは光州の熱気を全身に帯びて、音楽をやっているんだ」と歌います。さらに、「法を放棄することはない」、つまり、法治国家のプライドをかけて民主主義を放棄することはないことを宣言することで、民主主義を無視して法外な弾圧をした光州事件当時の政府を揶揄していることが容易に読み取れます。

さらに、「KIA入れて、エンジン全開」という歌詞がありますが、この「KIA」というのは、車の鍵のkey(もしくはギア)と、自動車メーカーのKiaを掛けています。

そして、「エンジン全開」という言葉。何が想像されるか、例えば事件を描いた映画「タクシー運転手」を観た方ならきっとわかると思います。車ごと突っ込んで、砲弾から町の人たちを守ったタクシードライバーたちです。オレはそれだけの覚悟でやってるんだと言ってのけるわけです。

曲の後半でホソクは「オレに会いたいなら7時に集合」と呼び掛けます。なぜ7時かといえば、韓国内のネット右翼が集う「イルベ」掲示板では、全羅道に対する蔑称として「7時国家」のような「7時」を含む隠語がたびたび使われているからです。(注6) これは、ソウルから見たら全羅道が時計の針の7時の位置にあることからきているのですが、それをライブの開始時間と掛けて、歌詞に登場させているわけです(この事実だけでも韓国内のメジャーアーティストとしてはこの歌詞を発表するのは勇気が必要なはずです)。

https://www.youtube.com/watch?v=HMY9SktZ6lU


ちなみにホソクはすでにデビューの年に「八道江山」の中で「黒山島のガンギエイをいっぺん食べてみたらと言いたいね」と歌っていて、これも掲示板で全羅道が「ガンギエイ国」という蔑称で呼ばれていることに対するカウンターと取ることが可能です。

さらに「Ma City」の最後には、暗号めいた「062-518」という数字が登場しますが、これは、062が光州の市外局番で、518は光州事件が起こった5月18日のことです。ちなみに、市外局番で地名を表すのは、ヒップホップのスラングでは常套手段です(マンハッタン=212、マイアミ=305など)。こういう仕掛けを歌詞に入れ込むところが「アイドルらしからぬ」ところです。(この曲のアイデアはもともとシュガが高校時代に作った5.18の追悼曲、「518-062」からきています。)

 
光州事件を指揮した全斗煥大統領は2021年の11月に謝罪がないままに亡くなりましたが、事件の対応と経緯に対する批判は絶えません。全羅道の多くの人たちはいまも決して許していないのです。(注7)
 
BTSが「Ma City」を光州のワールドカップ競技場でパフォーマンスした際には、韓国国内で大きな話題となりました。

防弾少年団のメンバーたちは、2015年に出した『花様年華pt.2』収録曲  「Ma city」で自分の故郷に対する誇りを熱く歌った。光州国際高校出身のJ-HOPEがこの歌の中の自身のラップパートに書いた歌詞を見ると、彼が「民主主義都市光州」の地元っ子だという自負心に染まっていることがわかる。 
―ハンギョレ新聞 2019年4月25日
 
現在、「Ma City」はBTSにとって特に大切な曲のひとつとしてファンの間で広く知られており(この曲は2022年10月に開かれた、彼らの集大成ともいえる釜山コンサートのセットリストにも含まれました)、韓国内や世界中の若い人たちに光州事件について深く学ぶための機会を与えています。

日本国内のトークイベントの中で、私がBTSの歌詞の中にある政治的な背景に触れると、「BTSって積極的に政治にコミットしてますね」みたいな感想をもらいがちなのですが、そういう語り方は十分に彼らの姿勢をフォローできていません。

彼らの音楽の深みを知るためには、もうすこし「政治」の意味合いを拡張して捉える必要があります。BTSの認識の土台にあるのは、もっとシンプルに、人は生きていく上で政治的であることは避けられないということです。
RMは2020年のインタビューで「何にでも最終的に政治が関わる。小さな石ころにだって政治が関わってくることはある」(注8)と話しています。

彼らにとっては、例えばさまざまな出身地のメンバーが集まって音楽をするという事実がそのまま政治でした。だから、デビューまもなくして彼らがみずからの出自を歌ったことは必然でした。

他者との摩擦の中で共存するために秩序を作っていくこと。一方で、ときには傷を負いながらも自分独特の道を探ること。このダブルバインドこそが政治であり、BTSの音楽には規範と自由、同一性と差異といった両極の緊張関係が見事に描かれています。
 


*注1:金大中は全羅南道出身の韓国第15代大統領。歴代の韓国大統領のうち、唯一の全羅道出身者。在職は1998年~2003年。1980年5月17日に逮捕されたことが光州民主化運動(光州事件)のきっかけとなった。2000年にはノーベル平和賞を受賞。彼の「自分が血と汗と涙をささげない民主主義は本物ではない」という言葉は、BTSの曲タイトル「血、汗、涙」と響き合う。

*注2:「新しい村」の意。農村の近代化、所得拡大を目指す運動。1970年代に慶尚道出身の朴正煕大統領の指導の下進められた。

*注3:1980年5月18日に光州市で起きた10日間にわたる大規模な反政府蜂起。軍隊の武力鎮圧によって若者を中心に多数の死傷者を出した。

*注4:「語る」ことはわかりやすく因果関係を差し挟むことを通して物語化することが避けられない。しかし、このような作用こそが、人間の声を、中でも歴史の中から虐げられた人々、抑圧された人々の声をかき消してしまうのである。なぜなら、人間は因果関係を好むが、因果関係で生きているわけではないからである。思想家のヴァルター・ベンヤミンはこのような物語的な歴史観に抗うために「歴史的唯物論」を提唱した。

*注5:『少年が来る』 ハン ガン(韓江)著、井手俊作 訳、クオン

*注6:日本国際情報学会誌『国際情報研究』14巻1号 金善映「インターネットにおけるヘイトスピーチと右傾化現象を読み解く」

*注7:「Ma City」については、辛淑玉「光州事件で殺された人々の声が聞こえる~BTS(防弾少年団)から日本と世界を見つめる」(WEB世界 2019年9月18日)に魂が宿った深い考察がある。

*注8:『Newsweek 日本版』2020年12月1日号 「BTSが変えた世界」レベッカ・デービス


(2022年12月) 
*後に大幅に改稿して『推しの文化論』(晶文社)に収録
*本文及び画像には鳥羽和久(及び版元の晶文社)に著作権がありますのでご注意ください。


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