ひらひらと、頼りなく風に吹かれて、煽られて、めく れる頁、めくれる言葉、歌になる言葉、歌が記された 紙片、ただの頼りない、薄いいちまいずつの紙が、そ こに言葉が記されてあるというだけで、どこか尊いも ののように錯誤される、たとえそれが、意味を纏った 言葉や、蛙の子のような音の元となるものであったと しても、それはりかいされ、愛唱され、夢のなかで口 ずさまれることすらある、また風が吹いて、吹き飛ば すほどでもない、そよそよと、他人のようなよそよそ しさで頁をひるがえらせ、そのせ
2004年から2005年にかけて制作放映された『ウルトラマンネクサス』は、それまでのウルトラシリーズの約束事というか暗黙の了解のようなものをいったん崩して多くの新設定を導入した異色作として知られる。そのためか、視聴率的には大苦戦を強いられたが、その物語が完結した現時点から振り返ってみると、単に奇を衒った斬新さを狙ったものではなく、それらの新設定は必然をもって練られ、周到に配置されていたのがわかる。そう考えると『ネクサス』はまぎれもない傑作であり、ファンの間でもっと語られてい
もうここは詩からウルトラマン、アイドル、音楽と、自分が興味あるものであればなんでも書ける場にしていきます。アイドルのライブレポート書いてふっきれました。
2024年4月27日(土)、下北沢MOSAiCで行われた月刊PAM、船井美玖BIRTHDAY LIVE「あの日の記憶」に行ってきた。御存じの方には蛇足になるが、月刊PAMとは船井美玖(ふないみく)と宇都宮未来(うつのみやみらい)の二人によるアイドルユニットである。去年のプレデビューあたりから知って、8月あたりから数は少ないものの何となくライブに行き始めた。個人的には二人のうちの船井美玖ちゃんの方を推していて、去年は行けなかったので、今年こそはと思って行ってきた次第。 ライ
ウルトラマンに関する長めの評論、ここに出しちゃおうかな。
雲が木の枝の頂に突き刺されていて その傷口から青いものが覗いている ひとりで歩いていると 常に何ものかから斥けられているように感じる もう終りかもしれないと思って 低いところにあつまる枯れたような眺めを見つめてきた どんな力で ここまでやって来たのか どんな日々を 数えてきてしまったのか この身だけでなく すべてが赦されるまでに どれだけの日々を数えねばならないのか そのすべてを背負うような気持ちで さらに歩いてゆく すでに寒い その白さのなかで 百舌がはやにえを作っている
(註)以下の文章は2015年5月に書いたものです。ご了承ください。 「帰ってきたウルトラマン」のアイデンティティについて ――あるいはウルトラブレスレットの問題 円谷プロダクションとTBS製作による特撮テレビドラマ『帰ってきたウルトラマン』は、一九七一年四月から放映が開始された。表題に「帰ってきた」とあるように、製作側の意図としてはかつて大ブームを起こした先行作品『ウルトラマン』(一九六六年)の続編的な意味合いが持たされていたであろうことは想像に難くない。ところが実際に
何日も詩が書けないと不安になる。これは昔からそうだが、特にインターネットを通して詩を発表するようになってからはその傾向にますます拍車がかかったように思える。そのため、年間で100篇とか詩を書くようになっている。要するに多作なわけだが、おそらく多作であることは僕の詩を書く態度や動機と直結しているように思える。どういうことか。 正直に言えば、僕が詩を書くのは自己救済のために他ならない。若い頃から現在に至るまでずっと社会不適合者でありつづけた僕は、社会の中で自らを証明するすべを
noteはじめてみたので、とりあえずなんか書くことにする。 とべ、または岡部淳太郎です。詩人として岡部淳太郎の名前で2005年頃から活動。これまで(2024年4月現在)に自費出版で3冊の詩集とAmazonオンデマンドで2冊の詩集を出してます。既刊詩集は以下の通り。 1『迷子 その他の道』(2006年・ミッドナイトプレス) 2『生の拾遺』(2012年・七月堂) 3『風葬の春』(2022年・七月堂) 4『幽霊、詩と散文』(2023年・Amazonオンデマンド) 5『散乱