中学受験 確実に国語の偏差値を上げる"たった1つ"の観点


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🔷はじめに

こんにちは、暴落が来るぞおじさんです。

今回は、抽象的に感じる「国語」という科目において、確実に成績を伸ばすための"たった1つの観点"について解説していきます。

🔷国語の出題に正解はあるの?

国語の試験で高い得点を得るには、一般的に「作者の主張を正確に掴むこと」「物語のテーマや登場人物の気持ちを掴むこと」が大切である、という解説がなされます。

しかし、大人でも一読して難解に思えるような文章が出題される中、「読んだ人によって解釈が異なるのではないか」「答えを一つに絞ることなんてできないのではないか」という疑問が常に出ます。
以前、センター試験の入試問題について、題材となった文章の作者が「私が書いた意図と出題があっていない」と言い出し、話題になったこともありましたね。

本来、文章を読むということは、時代背景や、読み手個人の環境、はたまた読んだときの気分に応じて、感じ方が異なっていく性質を持っており、多様な解釈と議論が生まれ、それ自体、素晴らしいことです。
子供のうちから、素晴らしい文章にたくさん触れ、自分の中に感動や気づきを蓄えていくことは、今後の長い人生において、素晴らしい財産になることでしょう。

文章に対面することは、様々な解釈の余地を生みます。
但し、「出題する人」の解釈があり、「採点する人」の解釈を通じて、「受験者」の解釈にマルバツを付けていくのでは、受験として成立しなくなってしまいます。

言い換えれば、受験の出題とは、解釈によってぶれない「明確な採点基準」が存在するのです。「受験に勝つ」「偏差値を上げる」という観点では、文章に触れる感動に加え、戦略的なアプローチが必要となります。

🔷中学受験 国語における大きな"勘違い"

中学受験の国語の入試問題は、代表的な出題形式として、文章の材料から「物語文」「随筆文」「論説文(説明文)」「詩」に大きく分けられます。
また、問題の作り方から「記述」「選択肢」「穴埋め」「文法(知識)」に分けることができます。
一般的なイメージでは、論説文はテーマが決まっているので主張は1つに絞られそうだが、物語文は、感じ方によるし気持ちの問題なので、多様な回答ができそう。また、選択肢問題は、答えが決まっているので、明らかに間違っている(キズのある)選択肢を外せば、一つの答えに絞れるが、記述は、多様な答えが存在しそう、という感覚があると思います。

そして、一般的な参考書や普通の塾講師は、それぞれの題材や設問形式に応じた「解き方」であったり、文章の読み方といったテクニックを教えています。そして、そのテクニックのほとんどは「大人の都合で作られた後付け」であるのが実態なのです。

私自身、中学受験経験を持ち、御三家に入学し、その後多数のお子様の指導をしましたが、中学受験のテクニック通りの手順で読解を進めることはあり得ないと、経験的に確信しています。

難しく考えずに、直感的に考えてみてください。中学受験に挑む12歳の子供たちにとって、40分~60分程度の時間内に、『この文章は、物語文である。文章のテーマは"成長"だから、場面転換と時系列、そして感情を表す表現に注意しながら読解しよう!』と考えながら、に読解をしていくことは、果たして現実的でしょうか?

中学受験に臨むお子さんにとっては、小手先のテクニックや大人向けの解説ではなく、普遍的に、いつも通り「どのように問題を解き進めればよいか」信じられる確かな道筋が必要なのです。
(なぜテクニックが乱立するかは、別記事で解説します)

🔷確実に成績を上げるたった"1つの観点"

小手先のテクニックにとらわれず、中学受験で成績を上げるには、「中学受験の国語は採点できること」つまり、明確な採点基準が設けられており「誰が解いても、誰が採点しても、平等に比べられるように作られている」ことに注目することが、最も最短の道筋となります。

冒頭に述べた、「文章を読む」という行為は、きわめて主観的な行動です。それに対し、入試というものは、たくさんのお子さんが一斉に同じ時間で受験し、短期間(最短当日、多くても2日程度)で全科目の合計点で合否を発表しなければなりません。
当然、採点も複数の先生で行うことになりますが、先生個人の文章への解釈や価値観で採点されてしまっては、入試という人生を左右する競争にふさわしいものとは言えません。
つまり、入試問題は厳正で比較できる競争のため、きわめて客観的に作らなければならないのです。
逆に、主観的な解釈の余地が残っている入試問題・出題は欠陥・悪問ということになります。

これを、実際にお子さんが問題を解き、答案を作成する場面に落とし込んで考えてみましょう。客観的な答案が〇で、主観的な答案が✖だとすると、
主観的な答案とは、簡単に言えば、"自分の頭の中にあること"です。国語は、文章題なので、『思考力』・『自分の頭で考えること』が問われているのに、単に頭の中にあることを、勝手に書き出してはダメなのです。
また、選択肢を選ぶときも、頭の中のイメージと照らせ合わせてはいけないのです。
(ここが、国語以外の成績がよく、文章の内容もよく理解できているのに、国語の成績だけ伸び悩んでいるお子さんに多くみられる特徴です。そして、塾や参考書は、これに対する解決策を教えてくれません)

では、客観的な答案づくりとは何かを以下に説明します。

🔷客観的な答案=「出題者とのコミュニケーション」

入試の採点基準は客観的なので、簡単に言えば、"外から見て明らかなこと"です。入試問題において、外からみて明らかなのは『出題の文章』及び『設問文』の二つです。
つまり、客観的で採点基準のある入試問題を作成する以上、作り方としては、「設問で〇〇とはどういうでしょうか」という質問を投げかけ、「本文に〇〇は◇◇です」と記述があるので、絶対に「◇◇」が正解、という作り方をするしかないのです。(これは、論説文だけでなく、物語文でも、かならずそうなります)

したがって、答案を作る際は、頭の中で文章全体で何を言っているのかを考えることも大切ですが、"この設問で何が問われているか"を正確に把握し、
"この質問で〇〇が聞かれているので、◇◇について書かれている本文の箇所を考えてみよう"という『目線の動き方を確立すること』こそが、成績をあげる雄一宇の方法なのです。

あまり説明されない観点なので、これだけではなかなかイメージが持ちづらいかと思います。
本ブログでは、これから、このたった1つの観点に従って、具体的にどのように入試問題にアプローチしていけばよいかを、実際の入試問題の解説等を交えながら、解説していきたいと思います。

ご意見・ご質問等ございましたら、コメントいただければ、極力返信させていただきます。
本日は以上とさせていただきます。


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