見出し画像

【読者の方からのメッセージ】”繊細である”ということ

2023年2月20日発売の『精神科看護』2023年3月号に掲載していただきました。

▼雑誌の詳細情報はこちら
https://www.seishinkango.co.jp/s2_kb369.html

ANGLE
ひとりの「人」としてみてほしい
―入院の経験から看護師さんへ伝えたいこと

とびら(ライター/ファシリテーター)

精神看護出版HPより

この雑誌によって私はライターデビューを果たし、たくさんに人に想いを伝えることができました。
そして、記事を読んだという人からお手紙をいただきました。ファンレター第1号です。

そのお手紙には、私の文章が、実際の年齢よりも大人びて感じることや、私の想いへの共感が記されていました。
そして、最後に言及してあったのが「繊細さ」でした。
このお手紙をきっかけに、私は”繊細であること”について考えました。

私の中で、”繊細であること”はどちらかといえばマイナスなイメージをもつものでした。
「とびらは繊細だね」
「とびらは繊細すぎるのよ」
「全くもう繊細なんだから」

どれも幼少期からよく言われた言葉です。この言葉の意味は、
「そんなに細かいことを気にしないでよ」
ということでした。少なくとも、私はそう受け取っていました。

だから、”繊細である”ということは「細かいところに気づきすぎてしまう、生きづらい要因のひとつ」だと思ってきました。

しかし、今回頂いたお手紙には
「私の持論では、女性には繊細さが最も大事だと思っている」
と書かれていました。
もちろん、差出人の持論なので賛成するもしないも私の自由なのですが、
このときなぜか、”繊細であること”の価値が急に高くなったのです。

これまでにあった
”繊細である”がゆえに苦しかったこと、生きづらかったこと、つらかったこと、馬鹿にされたこと…
たくさんの負の側面だけでなく
”繊細である”がゆえに気づいてよかったこと、幸せだったこと、うれしかったこと、褒められたこと…
たくさんの良い側面の思い出がたくさん湧き出てきました。

私がここまで繊細でなかったら、きっと居心地のいい場なんて興味なかっただろうし、
私がここまで繊細でなかったら、きっと言葉の使い方なんてきにしなかったでしょう。

私が「今、ここ」でライター・ファシリテーターとして活動しているのはすべて、私が”繊細であったから”だったのです。

これからも”繊細である”がゆえに大変なことがたくさんあるでしょう。
しかし、私は、”繊細である”がゆえにこの活動をしていることを忘れてはならないのです。

私が気づくことで、他の人にも学びを与えられるかもしれない。
私が気づくことで、他の人の傷つきを減らせるかもしれない。

私の気づきは、たくさんの人の喜びにつながっているはずなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?