5年

思えば当時から、試練とか、それに伴う縛りとか、要するにエビ中の型が決められてしまっていた2019年ごろ(6人時代後期)がとても苦手で、別に9人時代や8人時代のエビ中が特別好きというわけでもなく、しかしパフォーマンスにストイックであることが正義、みたいなアイドルはずっと苦手で、アイドルにはずっと笑顔でいてほしいしずっとポジティブを振りまいていてほしい、というのもあるけれど、それよりも私自身がずっと楽をして生きてゆきたい人間だから好きな人が辛そうにパフォーマンスしているのを見ると私も苦しくなってしまうのだ、きっと。どこがゴールかも分からず満身創痍で歌って踊らなければいけない理由がグループによるものなのだとしたらそんなグループはやめた方がよかった、と私はかつての推しを見ていまそう思う。かといって、あの時期だけは絶対に忘れたくない。苦手なだけで嫌いではない。私がずっと思っていることなのだが、6人時代のエビ中で一番大切なことはそのパフォーマンスのクオリティではなくて、めっちゃ素人の女の子たちが音楽番組で紹介されるほどの歌唱力を努力と場数で手に入れたという点で、並列して語られるハロプロとかは何千という応募者のなかから選ばれた数人なのだから才能があるに決まっていて(じゃあ生田衣梨奈さんのデビュー当初の歌唱を見てみろと思ったそこのハロオタ!じゃあ中山莉子さんのデビュー当初の歌唱を見てみろ!)、アイドルの才能があるかどうかも分からない、女優事務所にスカウトされた女の子を適当に集めて結成しただけのグループがここまで評価されるようになったという点が私はエビ中にとって大切なことだと思う。試練にばかり注目してしまうとただの悲しいグループだから。そういうのが本人たちに火をつけたのはもちろんあるだろうが。
だから、新メンバーオーディションの開催が発表された、2021年に向けてのカウントダウン配信を見たその時の私(発表されたのは2021年に替わったあと)は逆にこれからのエビ中が楽しみで仕方がなかったし、その気持ちはいまもなお残り続けている。
最近のエビ中を見ていて、妹メンバーの方が歌上手いじゃん、と思うことは私もある。しかし、じゃあ最初からオーディションで集めた方が良いエビ中になっていたのかな、とは絶対に思いたくない。
いつか「ジャンプ」が笑顔で見られる曲になっても、「ジャンプ」がシリアスで、どうなるのか分からないエビ中の未来に光を見出した一曲で、見ているこちらが苦しくなるほど激しい心臓の鼓動だったことを忘れるわけにはいかない。ついでに『Playlist』と2019年の秋ツアーも、同じ理由で。
多分、私も受験の時期だったから苦しかったのだと思う。エビ中が心の支えで、そしてエビ中に疲れていた。言うまでもなくいまのエビ中も好きだし、新しい推しもいて楽しく応援できているが、現在は現在、過去は過去、見るのは未来だけ、みたいな簡単なことができなくなってきた。無論、私の問題である。が、もう一度、純粋に汗をかいてみたい。

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