肯定

それが適切な選曲だったかは分からないが、とにかくいまは琴線が多すぎて、敏感すぎる琴線に触れない曲がなかなか見つからなかった。私にとってそれは恋愛の曲ではなく、初めて聴いた時、ライブ中の感動的な場面、推しの成長、時系列的には縦に長く続く五感をぎゅっと閉じ込めた小さな瓶のようで、コルクを開けてしまったら二度と元には戻らないものだった。私はそれを二文字か三文字で表現してしまうことをおそれている。
彼女にとって私は一過性の銀山、ないし宝箱?……いや、そんな大層なものではないだろう。とにかくいずれ奇跡は過ぎてしまうことを前提に交わっていることに関しては全く構わないのだが、私にとっての彼女が地下鉄の手すりのような存在なのかもしれないと思うと胸がギュッと締め付けられるというか、尚更自分を責めたくなった。別に、倒れても痛くないのに、周りの視線が集中して、ちゃんと手すりに掴まっとけよとか、あるいは同情されたりとか、そんなことが嫌で掴まっているだけの手すりが彼女であってほしくないのに、本当の私はそう思っているのかもしれない。
阿Qのように、そんな手すりを創造できたら。半端に生きて気付かぬうちに死に近づくことができたら、彼女と出会わなくてもよかったし、自分が嫌いになることなんてなかったのだろう。でも、この曲が好きな自分は好きだ。音楽に芸術を感じることができただけで、自分の人生を肯定するには十分だと思えた。

(小説です)

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