日記

地下アイドルを見ていると、ライブを見ながら「地下だなあ」としみじみ感じることもあれば、なぜエビ中がぴあアリーナMMでやってこちらはWOMBなのだろう、と心から思うこともある。メジャーデビューしてしまうと数字という錘が常に首に括り付けられ、少しでも結果が伴わないと錘から伸びる紐を知らない第三者に引っ張られ、かといって結果が伴った場合でも第三者はなんとか粗を探して紐を引っ張る。他人の推しを批判する書き込みを見て、お前のこと誰が好きなん、だけで一笑に付せばそれでよい。それでよいのだが、案外気にしてしまうものである。「柏木ひなたの歌唱力は大学生レベル」という掲示板への書き込みを私は未だに覚えている。そもそも、歌唱力における大学生レベルとはなんなのだろうか。
とはいえ、地下アイドルにとっても数字は重い呪いであるはずである。ひとつのグループに何人もの人生が懸かっている。が、アイドル本人からしたらあまりに他力本願すぎないか。曲がバズれば売れるし、TikTokやYouTubeが伸びれば売れる。しかし、歌や踊りを頑張ったところでそれを撮影している人はいないし、その肉眼で感動した200人前後の観客に影響力はない。
もっとも、TikTokがバズりながらも売れていないアイドルをたくさん見てきたので、果たして上の世界への道は想像を絶する狭さなのだろう。
さて。上の世界とはなにか。私は知らない。
定期的に地上波の歌番組に出演して、年末の予定が埋まっていて、ライブを行えばチケットは入手困難。多忙をきわめるアイドルは幸せなのか、アイドルファンなら一度は考えたことがあるはず。移動中にしか睡眠時間がなく、そんな移動中にも取材が入ったというももクロを見て(記憶違いだったら申し訳ない)全く関係のない私は大変だな、程度にしか感じることはなかった。そんなグループにはお金と声援の大きさが見返りとしてやってくる。
身体的、精神的な疲労も当人にしたら嬉しい悲鳴であり、やりがいも大きいはずで、なんていったって、広い会場のステージに立つなんてまさに夢だ。
分かっている。分かっているのだ、が。
少しでも数字が落ちた時のダメージはカウンターとして殴りかかってくる。あるような無いような傷を見つけて小さな針でチクチク刺してくる第三者もやはり存在する。芸能界にはジャニー喜多川みたいな人がいるかもしれない。
売れたことで推しの辛そうな顔を見ることになるのなら売れてほしくない。だったら収入が少なくてもいいからこのままでいられる方が、というファンのエゴである。
そんなこと、売れてみないと分からない。そもそも今は笑顔が多いのか?なんとかパワハラに耐えて、それでも我々の前では笑顔を絶やさず歌い、踊っているだけなのではないか?
上の世界を知らないが、下の世界も知ったわけではない。心に刻んでいるが、それでも。
売れることで簡単に接触できなくなる、ということではなく、あくまでアイドルのことを思っているのだ。私は、きっと。
昔から、モーニング娘。のメンバーがトーク番組で喋る時に最初に名前を言う伝統が嫌いだ。元は矢口真里さんが名前を覚えてもらうためにやっていたそうだが、生々しくて、売れたいという気持ちが出すぎていて好きになれなかった。
なのに、頑張るアイドルを応援したくなる。その対象がファンタジーであって、目の前の名声や経済ではない、あるいはそれを隠してアイドルらしく振る舞っている、ただそれだけで好きになれてしまう。
引っ張ってしまっているのは私の方なのか。
願うだけなら自由である。

(推してるグループが広まるために自らSNSで告知したり番組にメッセージを送ったりするファンが好きじゃないです、なんとなく。オタクは無力であってほしい、アイドルに対する見えない壁は存在するべき)

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