アイドルの感じる「虚しさ」と、無力すぎるオタク

俺たちの山崎あおいさんプロデュース楽曲。




山崎あおいさんってJuice=Juiceのひとそれなど女性の強さを表現するイメージが強いですが一番の強みは同グループの微炭酸のような、女性に限らない全ての人の心の隙間に冷たい風を通すというか、要するに人の弱さを表現するのがとても上手いんです(微炭酸の主人公は女性ですが)。






体裁的に、「売れたい」を全面に出すアイドルと「売れるとか気にせず自分の世界を出したい」というライブアイドルがほぼ同じくらいの比率で存在するおかしな地下アイドルの世界、思っているより地方から上京してきた子は多くて、夢を追いかけてきた子もいればスカウトに乗ってしまっただけの子もきっとたくさんいて、多分どの子も共通して大体ライブ中は楽しいと思うのですが、家で一人、ふと我に返ったときに、30歳までアイドルを続けているわけもなく、だったら若いうちに夢を掴んだほうがいいに決まっていて、でもアクターであるアイドルは運営に振り回されているだけ。


結局歳を取った時に残るものが無いまま渋谷駅から円山町への行き方だけはスムーズになる自分と、そんな自分の有耶無耶になってしまった夢をずっと遠くから応援してくれている親。


オタクはそんな情景、きっと頭の片隅にあるのでしょうが、そんなことは気にせずいつまでもグループが続くものだと錯覚し、或いは自らに言い聞かせ、ライブを見る。


私はオタクでしかないのでどうしてもオタク目線になりますが、アイドルがアイドルを辞めたあとの人生をいくら想像しようが、ふとアパートで我に返ったときの虚しさを想像しようが、とりあえずいまその子のことが大好きで現場が楽しければそれでよくて、卒業したら枯れるほど泣いてしばらくは何も手につかなくても、結局その後の人生に寄り添うことはできない。


それに対してアイドルは自分がアイドルを辞めたあとの人生に責任を持たなければいけない。


自分の人生なので。


だからこそ時には虚しくなるし、帰りたくもなる。


1パーセントにも満たないかもしれませんがアイドルの人生の一端を担ってしまっているオタクからしたらこの曲を聞いてここまで想像せざるを得ませんでした。


色んな意味で距離感が大事なアイドルとオタク、密接に関わることのできない運命なのに互いに僅かながら人生を負担してしまっているからこそ刺さる楽曲なのでしょう。


それなのにオタクは無知で無力です。


アイドルに対して。


その子がどうしてアイドルになったかも知らないし(聞いたら教えてくれるかもしれませんが)、「運営に振り回され」と言ったものの実際に振り回されているかどうかも知らない。


本当のライブ中楽しんでいるかどうかも知る由はないんです。


なのにアイドルがいつかアイドルを辞めることは分かっていて、その後の人生に対する避けようのない不安感を抱いているのも分かっていて、分かっていながらも救うことなんかできない。


こうやって悲観的な考え方をしてしまえば、双方多分辛いんです。


アイドルとオタク、両者の心の隙間を埋めるのではなく、かといって塩を塗るほど強烈に叩くのでもなく、前述したように冷たい風を当てる程度に強調する山崎あおいさんの歌詞。


「叶うまでどれくらい?」ですって。


オタクからしたら怖くて、泣けすらしない楽曲ですがアイドル的にはどうなのでしょう。


推しへ。


幸せになってください。

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