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我が家の闘病日記

「わー、3年ぶりだったらおじいちゃんおばあちゃんも楽しみにしてますね」

美容室、母娘で並んだ鏡越しに、担当美容師が嬉しそうに笑う。
そう、久しぶりの実家帰省に備えて、私たちはウキウキと夏休みの計画の話しをしながら、身なりを整えてもらっていた。

「そうなんですよ、うち、すごい田舎だから、プールもスイカ割りも花火もBBQもできちゃうんです。ようやく会えるって両親も張り切ってて」

これが全部夢物語になるとも知らず。


DAY  0

明け方4時半ごろ、娘の呼吸音に違和感を覚えて目が覚める。
母の勘はこの時点で何かを察していた。
娘に触れると、熱い。嫌な予感しかしない。

9時。病院に電話開始。繋がった小児科がとても対応が優しく、16時になってしまうが、PCR検査予約可能とのこと。

娘の熱は38度台だが、びっくりするほど元気。
食欲も旺盛。

16時 陽性確認。

……き、来たかついに…!!!
もう腹は括っていたけれど、実際に陽性のマークを突きつけられて「おお…」と思わず声が出た。
「今日からを0日として、10日間、自宅療養していただきます」

これが実家に帰省する夜行バスに乗る予定の2日前のこと。
ああ、この夏も会いにいけないのかぁ…

夜ご飯は何が食べたい?
娘に聞いて返ってきた返事は「唐揚げ!!!」

うぉい!母さんのセンチメンタル返せや!
めっちゃ元気やんけ、10日もどうするんやー!

この時点で、ずれ込んで陽性になるのは面倒だと思った私は、マスクも外して娘と接する。「今すぐ私にウィルス移してくれたまへ」
夫は仕事もあるので、1人寝室へ。

夜中、トイレに行くと、寝室に煌々と灯りがついていた。
いつも21時には寝てしまうのに、まさか発熱…?
心配になって覗きに行くと、窓全開、クーラー26度、扇風機強の状態で、タオルケットに包まっている夫が、缶ビールを枕元に置きつつ、いびきをかいて寝ていた。
は?
死亡推定時刻をずらすトリック中か!

DAY 1

早朝から、ぐんぐんと熱を上げる娘。
昨日と打って変わって元気も食欲もなくなる。

9時 39度だが、寒がっているので、まだまだ熱は上がると推測。
この頃、私の喉も軽く痛み始め、ついで、異常なほどの眠気に襲われる。

娘が心配、と添い寝してはウトウト。
「の、のど渇いた…」とか細い声で起こされては慌てて起きる。
午後、娘41℃突入。

「お母さん、見て…!」体温計を渡す目が「この数字ヤバくない?」としっかり私を捉えていた。
朦朧としている様子もないので様子見。

実は、私の子供の頃も、40度台の高熱をザラに出していたので、ここらへんは割と冷静でいられる。もし38度でひっくりかえる体質だったら、慌てたかもしれない。

「うぉい!!それはもう、病院に連れっていった方がいいだろう!!」
あ、忘れてた、夫は38度でひっくりかえるタイプだった…

よし、次から黙ってよう。

さすがに娘は呻いている。「熱い、しんどい、なんとかして…」
母、眠気を振り切って、娘を保冷剤で徹底的に冷やす活動開始。
頭、脇の下、首、太もも、保冷剤当てるたび、ジューと湯気でも出そうだ。
燃えるような火の玉ガール、鎮火しろ!
祈りを込めて、ありったけの保冷剤を次々投入。
カロナールを一度投下。


この日、私は娘に呼ばれる時以外のほとんど、ウトウトしていた。
もし、この異常な眠気がなかったら、娘が心配で心労が溜まっていたような気がするが、ひたすら一緒に寝ていられたのは幸いだったかもしれない。

DAY 2


娘、熱下がる。
「お腹空いた…」
よっしゃ!それが聞けたのならもう大丈夫!

しかし、私の方が次に熱が出始めた。
とはいえ38℃台。私にはまだまだ余裕の体温。
それでもご飯作り面倒だわーと思っていたら、娘がうどんを作ってくれた。
キャァ、ありがたや。

さらに時間差で夫も37℃台の発熱。
しかし、夫は、体力回復方法が少年ジャンプなので、自ら焼きそばに肉を大量投下で作っていた。
悟空、ルフィ、夫。仙豆、骨付肉、焼きそば。

娘は肉を避けた焼きそばを貪りつつ
「なんでまだ肉食べちゃダメなのー!?」と御立腹である。
いや、君、昨日ほとんど何も食べられなかったからね?本当ならうどんだろ?
正しい病中病後の食事がなんなのか、考えさせられる。

DAY 3

ほぼ全員回復。
敷きっぱなしの布団、埃っぽい部屋に限界を感じ、全部屋を開け放ち、シーツを引っぺがし、掃除機を引き摺り回し、勝利の雄叫びを上げる主婦。
ああ、空気が清浄化してゆく…!

「俺、熱下がったけど、後遺症あるわ、喉痛い、全然PCRの予約取れねー!」

私は、もう100%陽性だと見込み、回復もしているため検査するのをやめていたのだが、夫は会社に報告しなければならないので、週明けのこの日、各病院へ電話を繰り返しかけていたが、どうにもつながらないらしい。
…もう熱も下がってるし、わざわざ医療機関を逼迫させんでも良くないか?と思ったが、どうも、そういうわけにはいかないとのこと。

ふーむ。ややこしいですなコロナ禍…なんのためにわざわざパニック数字を作り上げるのだろうか…

と、そんなことも思ったけれど、もうちょっと時間が経てば必要なくなるんだろうなぁ。


この日、夜22時。
本来なら、実家に向かう夜行バスの出発時間であった。

夕飯時から機嫌が悪く「まだ本調子じゃないのかな?」と思いつつもぐずる娘に何度か「いい加減にしなさい」と怒っていたのだが、22時になると、彼女はシクシクと泣き出した。
「バス乗りたかった…ジィジとバァバの家行きたかった…」

ああ。そうか、指折り数えていたんだこの娘。
夜のバスに乗って、一晩中バスに揺られて、翌朝田舎につく日のことを。

「バスに乗っている時の発熱じゃなくて良かった」
「実家に行ってからの発熱じゃなくて良かった」

愛少女ポリアンナ(ハウス名作劇場)のごとく、『良かったさがし』を極めていた私は、もうとっくに夏休みの帰省にスッパリ諦めをつけていたが、9歳の娘が、突然やってきたウィルスに対して、そう簡単に割り切れるものではなかったはずだ。
それどころか、回復すれば、もしかしたら行けるかもと思っていたかも知れない。

「行きたかったねぇ。お母さんも行きたかった。次は絶対行こうね」
私たちは、ちょっぴり切ない表情で眠りについた。

DAY 4

夫、ようやくPCR検査へ。
「陽性だった、陽性。まぁそうだよね、陽性だわこりゃ!」
と、もはや疑いもなかった陽性を確認し、うれしそうですらあったため
夫、妊娠検査したみたいな雰囲気を醸し出していた。

一応家族全員回復しているものの、若干の咳と鼻水が見られる。
それと、各々、やはり消耗もしているらしく、随時ウトウト。

ウトウトしているうちはいい。
覚醒すると、「なぜこんなに暇なんだ!?」とイラつくのか、どうでもいい些細な一言から家族喧嘩に発展する←イマココ。


とまぁ、比較的軽症の我が家のコロナ日記です。
ちなみに、私は、葛根湯信者なので、娘の発症と同時に、葛根湯を湯に溶いて、お茶のように飲んでいた。(娘は発熱してしまっていたので飲ませず)
猛烈に苦い。
これを我が家では、『善逸スタイル』と呼んでいる。
(鬼滅の刃で、善逸が飲まされる苦い薬に見立てて大騒ぎで飲む儀式)
私は、実はとても美味しいと思っているんだけれど。

そのおかげなのか、そういう思い込みなのか、とにかく元気になりました!

さて。

あと6日、何をどうすればいいのか、誰か教えてください(泣)


そして、皆様もどうぞお気をつけくださいね。
長すぎる報告お読みくださりありがとうございました。(全然まとめられなかった)


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