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今月もゆる~~~く開催……もとまち朝市!

 毎月第3土曜日に、南相馬市原町区の三嶋神社参道で開催している「もとまち朝市」。今月も11月19日に開催した。もとまち朝市は、去年の11月からスタートしたので、今月でちょうど1周年ということになる。
 まぁよく続いたものだ。ゆるゆるだらだらと。主催者も出店者も来場者も、楽しいと思える空間を続けてきたつもり。
 1月から5月までは、出品する野菜がなくなるので休んだし、7月は新型コロナウイルスの感染拡大を受け開催を見送ったが、それ以外は開催していた。野菜、フリマ、コーヒー、似顔絵描きなど、ジャンルを限定せずに出店してもらったのも、良かったのかも知れない。出店5店舗でスタートし、途中2店舗まで出店が減ってしまったこともあったが、今では毎回8~10店ほどの出店がある。来場者の人数は、面倒なので数えていないのだが、少しずつ増えているんじゃないかなぁ。

11月19日の、もとまち朝市の様子

 来場者も出店者も、徐々に増殖中のもとまち朝市。実は朝市を開催するに当たって、こだわっているポイントがいくつかあるのだ。

もとまち朝市のこだわり

何で開催出来たのか?

 そもそももとまち朝市を開いた理由は、街の高齢化率が高くなり、買物に不安を抱える人が増えたことだ。そしてせっかく開催するからには、出店者も来場者も楽しく過ごせる場にしようということは決めていた。
 しかし、みんなが買物を楽しむ場とはどんな場だろう?これを考えたときに真っ先に思い浮かべたのは、楽しいコンテンツを盛り込んだ、お祭りの縁日のような場だった。お好み焼きに金魚すくい、クレープの屋台が並ぶ風景……イヤちょっと待て。それってお祭りを開くっつーこと?お祭りを開く金なんて無いし、ノウハウもコネクションも無い。そりゃ無理じゃね?それに、買物に不安を抱えている人たちに向けたものなのに、お祭りにするっつーのはどうなの?
 ということで、お祭りを開くというアイデアは即却下となる。じゃあどうしよう……買物に出掛けるのが困難なら、近くで売れば良いんじゃねえの?と思ったのだが、販売しようにも売るものが無い。仕入れる金も無い。どうしようか……野菜の委託販売なら出来るかも。知り合いの農家さんにお願いして、野菜を借りてきて販売しよう。販売する場所は……私たちは街づくりのグループを作っていて、そのグループが根城にしている空き店舗、通称「あるって(『歩いて』という言葉の、この地域の方言)」がある。その「あるって」の裏庭に長机一つ並べて、小さな市(いち)を始めてみようと思ったのだ。
 そこでそのアイデアを以て、地域の商店会長さんに相談に行った。すると開口一番、
「あんなトコでやるんでは応援出来ないな」
と言われてしまう。ありゃ、こりゃダメかと思っていたら……
「三嶋神社の参道でやんなよ!神主に話は通しとくから!」
と、ちょっと信じられない言葉が。
 

三嶋神社

三嶋神社という場所は、原町区本町(もとまち)という街の真ん中にある、街のランドマーク且つシンボルになっている場所。野菜販売で実績を作ったら、お借りしてマルシェを開きたいなと思っていた場所だったのだ。それが最初から使えることに。
「え、ホントに使って良いんすか?」
と訊くと
「大丈夫!ちゃんと話しとくから」
と、なんとも有難い言葉が。しかも、テントや椅子などの備品まで貸してくれると。これで一気に開催が本決まりとなったのだ。
 こうして、地元の方々の大変な協力があって、もとまち朝市は開催出来ることになったのだ。

日常の楽しさ


 それならば、野菜を借りて販売するのでは無く、農家さんに直接野菜を持ってきてもらって、販売してもらおうとプランを変更した。軽トラの荷台に野菜を並べて、軽トラ市にしてしまおう。それなら設営の手間も省けるし、農家さんも参加しやすいだろう。
 ここで市の名前が「もとまち朝市」に決定する。午前中の短い時間なら出店の負担も少ないし、何よりこの地域の人は朝が早い。朝のうちに散歩がてら寄ってもらって、買物していってもらおう。そして農家さんと「今日は○○が安いよ」「これは漬け物にすっと美味いんだ」などと丁々発止(そう、まさに丁々発止だ)やり取りしてもらって、買物自体を楽しんでもらおう。農家の皆さんは野菜の美味い食べ方を知っている。その情報も一緒に提供してもらおう。そう思ったのだ。
 こうした売り方は、昭和40年代ころまで商店街の買物では普通に為されていた。今は南相馬でも失われている買物のしかたになってしまっている。この頃の商店街の買物は、ただ商品を売り買いするだけでは無かった。店の店主と色々と話し、道で知り合いに会えば立ち話に花を咲かせ、みんな楽しく買物をしていた。子どもが間を縫うようにチョロチョロと遊び回り、その様子を回りの大人が見守っている。そんな優しい買物の場が、日常の中にあったのだ
 「ここなら、昭和の商店街にあった『日常の楽しい買物』を再現出来るかも知れない」
都会では失われたコミュニティが、残るこの街なら可能かも知れない。そのためにはどうすれば良いか……主催者の私はどう振る舞えば良いか……考えて出した結論は、
「自らゆる~~~い雰囲気を作り、みんなでその場を楽しむ」
ということだった。もともと物事をカッチリこなしていくことが苦手な私である。ゆるゆるの場の心地よさは知っていた。もちろん、ゆるゆるの場を作るためには、そのための準備をカッチリ用意することが大事なのだが。

ゆるさへのこだわり


 出店者を人づてに紹介してもらい、1件1件訪問してコンセプトを説明し、同意してもらった人に出店をお願いした。最初はそのコンセプトが徹底しきってなかったので、目指していたゆるい場にならなかったのだが、2回目以降は修正も上手くいき、目一杯ゆるい場にすることが出来たと思う。

出店者さんと来場者さんが、楽しそうに話している様子
移住してきた若者も出店


 初めは野菜販売のみの出店だったが、途中からフリマも出店するようになった。というか、フリマのスタイルで出店が可能なら、扱う商品は何でも良いということに。

色々な食器を並べる出店者さん
どっさり古着や布を並べて売る出店者さん


「ゆるくやってもらえれば、何を販売してくれても良いですよ」
というわけだ。
 出店希望者さんに、必ず話していることがある。

  • 「そんなに儲かりませんよ」

  • 「お客さんとの会話を含めて、ゆるい雰囲気を楽しんで下さい」

という2点だ。もちろん売り上げを上げてもらいたいのだが、それ以上に、みんなで場の空気を作っていこうということ。ここで言う「みんな」とは、出店者さん、来場者さん、設営を手伝ってくれた皆さん、ご近所さん……つまりそこにいるみんなである。
もとまち朝市は、みんなで作る場ということ。
みんなで徹底してゆるい場を作っているのだ。

思い思いに過ごす

いい加減が好い加減

 ある来場者さんが言っていた。
「もとまち朝市は、じわっと始まってじわっと終わるのが良い。そしてじわっと増殖してるのも良い」
 もちろん開催時間はちゃんと区切っているのだが、出店者さんそれぞれの準備が整ったらそろっと始め、昼近くになったらそろっと終わる。開催時間の間は、みんなそこで思い思いの過ごし方をしてもらう。出店者さんはもちろん商品を販売してもらうのだが、立ち話に興じてくれても全然構わないし、ものを買わずにただウロチョロするだけの来場者さんがいても構わない。そうした人にはむしろ、私が話しかけるようにしている。皆さんそれぞれに、楽しんでもらえたらそれで良い。
 その辺りはとてもいい加減なのだ。
 そのいい加減さが「好い加減」になれば良いなと思っている。

主催者が率先して遊ぶ

最後に

 もとまち朝市はこれからも、「日常を楽しむ」ために、ゆるゆると開催していくだろう。この日常においては、その場にいるみんなが「場を楽しくするコンテンツ」だ。みんなが持っているコンテンツを、知らず知らずのうちに場に提供しているから、特別な出し物を用意しなくても楽しい場が出来る。
 つまりもとまち朝市は、既にこの街にある宝物を発掘し、みんなで「ほら、こんな宝物があったよ」と確認し合う場なのだ。
 街を元気にするためには、特別なものを街に招き入れるやり方もあるだろうけど、こうしてその場所に眠っているものに目を向けて行く事も大事なのではないか。私はそう思うのだ。

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