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ジャパンブルーという呼び方は嫌いだった

今日は日差しが春めいている。工房の大きな窓ガラスに埃が目立つようになると、春が来るなあ、と思います。
藍染色のことをジャパンブルーと呼ぶのは嫌いでした。明治になって日本にやってきた欧米人が、そこら中に溢れている藍染の着物やのれんやらを見て感動してつけた名前だと聞いていますが、日本の長い歴史の中でいったいどれだけの藍染色を呼ぶ名前があるかって考えると、空しくて。
明治の藍染っていえば、あの布団袋の色でしょう、実用的で頑丈でそっけない木綿糸と藍染。あれに感動するなんて欧米人の感性はわからん、と思ってた。
でももしかしたら、私の想像力不足による偏見だったかもしれない。巷にあふれていた実用品としての藍染品は、窯から出たばかりの新品でなくて、使い古して生活感の滲む藍染だったはずだと思いいたりました。かつて古布が今ほど高くなかった頃、色々な藍染布を見て回りました。擦り切れた箇所に丁寧にツギをあてた布がとても美しいと思ったこと。その色褪せた布に丁寧に端切れ布を継いだ名もない人の技術の高さに感動したこと。
鎖国が解かれて初めて見る日本という国で欧米人と呼ばれた人が感動したのは、そういう暮らしそのものだったのかもしれない。

この色褪せた赤穂緞通を納品した先は、鋭いとしか言いようのない美意識の持ち主がやってられる祇園のお店なんですけど、下記の投稿を読んで、あの見事な店内に収まっているくたびれた緞通のことから、ジャパンブルーという言葉について、糸ハセやりながらぼんやりと考えています。

赤穂緞通工房ひぐらしwrote #藍染 #日記 #赤穂緞通

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