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レポ81:宇品灯台(2024/2/14)

中国・四国地方を代表する国際港湾の広島港。戦時中は宇品(うじな)港として栄え、現在に至るまで海上交通の要所にある灯台を訪問しました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、自身の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ81:宇品灯台(2024/2/14)

広島県広島市は、日本の各都市の中でも世界で初めて原子爆弾が落とされた都市としても有名ですが、国際的な港湾都市としても発展しています。

大小8つの区から成っており、広島港のある南区や中区には公共バスではなく、広島電鉄の路面電車での移動が市民の足代わりです。

通称「ひろでん」、本数もとても多く便利

街中には「バス停」ならぬ「電停」が沢山ありますが、広島駅から宇品(うじな)方面の5番線に乗り、30分くらいで宇品灯台のある宇品島の最寄り駅「元宇品口」に到着します。電車賃も格安です(2024年2月現在 220円)
 参考:広島電鉄 路線図

広島港旅客ターミナルへも徒歩圏内です

現地の写真を撮り忘れたのでGoogleマップで恐縮ですが、元宇品口駅と宇品島との位置関係は下図の通り。ホント目と鼻の先です。

宇品「島」となっていますが、短い橋(暁橋)が架かっており陸続きで歩いても行けます。島の南端に宇品灯台があり、南西部一帯が元宇品公園となっており、瀬戸内国立公園の一部にもなっています。

島の東側にあるグランドプリンスホテル広島が目立つ

宇品灯台すぐ近くは駐車場があるので、自動車でもアプローチは可能ですが今回は徒歩ルートをご紹介。徒歩ルートも幾つかありますが島の西側に広がる元宇品海岸の景観を楽しみながら歩くルート。

島の西側を海岸線に沿って歩くと分岐点が見えてきます。一見、マンションエリアに入り込むように思えますが、標識の「海岸散策コース」に沿って進んでください。

この場所から山ルートと海岸ルートに分岐

標識には「宇品灯台・P・WC」ルートもあり、勿論コチラでも灯台に辿り着きますが、山の舗装道路を進む感じになるので今回は割愛します。

標識アイコンの宇品灯台とクスノキが特徴的

「海岸散策コース」をズンズン進むと、すぐに海に開けた景色が広がり、2基の灯台陰影が見えてきます。

この陰は、、立派な灯台に違いない

この2基は広島港内湾を出入りする全ての旅客船を見守る、広島港東防波堤灯台(右舷:赤灯)と広島港西防波堤灯台(左舷:白灯)の夫婦灯台です。

宇品島からだと灯台の位置関係は分かりにくいですが、、
広島港宇品旅客ターミナルからの眺望、
夫婦灯台が港湾の出入り口を見守っているのがよく分かる

さて、海岸散策からは宇品島の木々と砂浜と海の自然のコントラストが美しく楽しめます。この時期以外の季節でも良い景色が見れるようです。

 参考:アース・ミュージアム元宇品 自然観察ガイドの会

分岐点の標識から灯台まで徒歩10分程度の道のりを歩くと白亜の灯台が唐突に姿を現します。意図的なのか分かりませんが、灯台を遮る木々が全くなく、灯台全体がモロに見えるような構図。

手前の人たちと比べると灯台の大きさが際立ちます

塔高(灯台の建造物としての高さ)21メートルは広島県では最も高く、その存在感は十分です。
立地も考慮した灯高(平均海水面から灯りまでの高さ)は47メートルにも達するとのことです。

灯台へはこの場所から遊歩道を軽く登って行くルートもあります。

ここが海岸から灯台への遊歩道登り口
こんな遊歩道を少し登れば灯台です

階段を登った先には立派な灯台がドドンっと出てきます。ただ手前の立派過ぎるクスノキに思い切り遮られており、良い感じに灯台が見えません。

どのアングルでも隠れちゃう

このシンボリックで立派なクスノキは樹齢300年以上、高さは宇品灯台(高さ21m)と同じくらい!?に見えるので20メートルはゆうに超えていそう。

宇品灯台の歴史は広島の軍都化の歴史にも関係があります。
広島には1888年(明治21年)に第五師団司令部が置かれ、中国・四国地方の軍事拠点としての色合いが濃くなっていきました。そして1894年(明治27年)7月、日清戦争勃発に先立ち、広島からも軍隊が派遣されることになります。

同時に軍事施設も拡充され、1894年(明治27年)6月には「宇品島南端信号塔」を陸軍運輸通信部が設置します。昭和になり、太平洋戦争が終戦する1945年(昭和20年)まで信号塔として宇品港へ出入りする船舶に旗りゅう信号を用いて港内航行方法等の情報を伝達するために使用されてきました。

1950年(昭和25年)1月に「宇品島南端信号塔」に灯器を取り付け「宇品港灯柱」として新設、同年7月に名称が「宇品灯台」になったとされます。
1971年(昭和46年)3月に改築され、現在の姿になりました。

 参考:アース・ミュージアム元宇品 宇品灯台

灯台の周りには宇品小学校の子どもたちが作ったプレート作品が展示されています。

灯台そばからはどれだけ見上げても全容を収めることは出来ません。それぐらい大きな灯台です。毎年11月1日の灯台の日近辺では、灯台内部に入れる一般公開イベントもされています。

側には立派な駐車場とバイオトイレがあります。散歩をしたり、釣りなどのレジャー客などが利用しているみたいでした。

宇品灯台の灯質(光り方)は「単閃白赤互光 毎10秒に白1閃光、赤1閃光」と赤白の光が交互に点滅するように光ります。
また、光源の第6等閃光フレネルレンズは日本唯一で、1895年(明治28年)のフランス製のものを現役で使用しており大変貴重です。

紅白の明滅が特徴的な宇品灯台

灯台下の海岸エリアをグランドプリンスホテル広島まで少し歩くと、様々な地形の自然観察が出来ます。例えばマグマが冷え固まる時に出来る規則正しい節理など。他にも断層や岩脈などが露出していて丁寧に紹介されていました。

こちらは方状節理と呼ばれるもの

広島港宇品旅客ターミナルから島嶼(とうしょ)部に渡る定期船からも、宇品灯台はよく見えるので、赤白の防波堤灯台とともに、広島港の存在を示す役割を果たしています。

似島(にのしま)に渡る船上から撮影

俯瞰で見ると防波堤の右舷側と宇品島の海岸散策エリアが一体となっていることがよく分かりますので、宇品灯台こそが内湾に入る玄関口としての役割を担っているのでしょうね。

似島の「安芸の小富士」より撮影
灯台の右側(写真奥)は貿易港、左側(手前)が旅客用のターミナルと機能が住み分けされています

軍事拠点としての歴史を持ちながらも、現在では世界的に有名な観光地となった広島において、元宇品と宇品灯台の役割は小さくないな、と感じました。

村上 記

年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。