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レポ15:日立灯台(2018/11/10)

"おおみか灯台"の愛称でも呼ばれる日立(ひたち)灯台のある茨城県日立市の大甕(おおみか)町。今回は"日常"と"非日常"の入り交じった灯台を訪れました…

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ15:日立灯台(2018/11/10)

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かつて常陸國(ひたちのくに)と呼ばれた地域の入口であった茨城県日立(ひたち)市。元々鉱工業で発展してきた日立製作所の創業地でもあります。そのため、日立市は日立グループの企業城下町となっています。

日立市の港湾地域一帯は、国内有数の工業地帯として開発されてきました。高度経済成長に伴い工場で生産した商品の陸上輸送に限界がきたこともあり、港湾工事がなされ1959年(昭和34年)第一号の船が入港しました。

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日立港はその後も順調に発展を続け、1967年(昭和42年)6月の関税法に基づく開港指定を受けました。その日立港開港に先だって、昭和43年3月31日に初点灯したのが今回訪れた日立灯台です。

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日立灯台は国道245号線を北上しているとひょっこり顔を出していますので、すぐに分かると思います。少し飛び出た地形の古房地鼻から太平洋に向かっている様が画になりますね。

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でも、いざ近づいてみるとその「異様さ」、というか違和感に気づかされます。

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そうなんです。日立灯台は公園内に設置されていて、すぐ隣にすべり台などの子ども遊具があります。その光景は、ヨソ者の私には少し奇異なように映りました。ここまで距離感が近いのも珍しい。

でも、近所の子ども達は"日常"として「灯台のある風景」の中で遊んでいます。この地域の方にとってはそれが当たり前。

ヨソ者からするとそれがいかに"非日常"で貴重かというのは、地元の方からすると知る由もないでしょう。

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日立灯台は和ろうそくをイメージしたという、オシャレなデザインです。でも、デザイン灯台には登録されてはおりません。

普段、灯台の中には入れませんが、灯台の足元に螺旋通路があり、子ども達が走り回って遊んだりしていました。

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公園内には石川啄木の『一握の砂』の詩文が刻まれた石碑があります。石川啄木はこの地と直接のかかわりはないですが、元々、大甕駅前に建てられていたそうで、工場勤務の乗降客に宛てたメッセージだったのでしょうか。

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公園からぐるりと港方面から車で迂回して灯台の眼下に降りると、太平洋の荒波と強風が容赦なく吹きつけていましたが、そんな過酷な環境でも毅然と立つ白亜の灯台は少し輝いて見えました(夕暮れ前だったからかもしれませんが)。

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現在は大型船や外国船が常時出入りできる「特定港」に指定された日立港(常陸那珂港と大洗港の3港湾が統合され「茨城港日立港区」と改名)。重要港湾を出入りする船を常に導いています。

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地元の子ども達が「灯台のある日常風景」が如何に貴重なのかを知り、地元を胸張って誇れるように、日立灯台は今日もまた淡々と"日常"と"非日常"の狭間に溶け込んでいきます。

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村上 記

年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。