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レポ71:能古島灯台(2021/1/14)

福岡県福岡市の福岡湾の真ん中に浮かぶ能古島(のこのしま)。博多港と外洋との間を航行する船舶を見守る灯台を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、自身の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ71:能古島灯台(2021/1/14)

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福岡県の県庁所在地である福岡市には3つの離島があります。その中の能古島(のこのしま)と小呂島(おろのしま)に向かう渡船場へ(※残る一つは玄界島)。

博多(はかた)駅から福岡市地下鉄に乗ること約20分、終点である姪浜(めいのはま)駅から渡船場へ向かいます。

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姪浜駅北口から西鉄バスに乗って揺られること約15分。姪浜旅客待合所に到着しました。時刻は既に16時です。

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待合所の中はかなり広く、奥にはくつろげる椅子もあります。渡船の時間はwebサイトでご確認ください。

 参考:福岡市営渡船時刻表

今回は近場の能古島へ訪れることにしました。

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能古島から市営渡船が入港してきました。ちなみに奥に見えているのが能古島です。こう見ると目と鼻の先ですね。

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渡船「フラワーのこ」は地元民の足として毎日能古島〜姪浜間を往復しています。夕方のこの時間帯は、島の小中学校から帰る生徒や、逆に本土の学校や買い物から帰る島民の方々で何十人という人数が乗降していました。

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船の中央部は自動車も乗り入れ出来るようになっています。乗船する時に左右どちらかに別れてデッキに上がります。

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都市部の街並みと一時のお別れです。

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船内には島の歴史などの説明が掲示されていますが、能古島は日本でも数少ない外国人に占領されたことのある島です。約1000年前の刀伊(とい)の乱に始まり、元寇などもありました。

…と思っていたら、あっという間に対岸の能古島に到着しました。港に灯台はない様子。

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渡船場ではレンタサイクルもありますが、今回は時間が遅いため島の西鉄バスで向かうことに。

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バス停は船を降りてすぐの緑地前にあります。1時間に1本しか出ないので要注意です。

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島のマップにも灯台が描かれていますが「灯台へ続く道は整備されておりませんので近くに行く事は出来ません」と注意書きがありました…
…とりあえず現場に向かってみます。

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15分ほどバスに乗れば終着駅の「アイランドパーク」に到着します。春や秋には美しい花が咲き、都会の喧騒から離れられると人気の観光スポットです。勿論、この日は閉園時刻間際で入ることは出来ません。

 参考:のこのしまアイランドパーク

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「アイランドパーク」のバス停から、さらに北へ向かいます。北端の也良崎(やらのさき)方面まで歩きます。

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道の途中にはミカンなのか、至る所で柑橘の栽培をしていました。目の前にあるのはイノシシ除けの防護網でしょうか。

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途中、也良崎(やらのさき)万葉歌碑があります。この也良崎は国を守るために関東から派遣された防人(さきもり)が置かれたことが確定している、日本唯一の場所です。万葉集ではその防人を詠んだ歌が多いです。

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万葉歌碑を過ぎるとすぐに突き当たりに辿り着きます。ガードレールが目印です。

まずはこの突き当たりの左手に向かいます。

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すると、道の先にはイノシシ除けの防護網があり、隙間を抜けることも出来ません。残念ながらこのルートは断念します(一応、このルートを進むと島の北端まで出られるそうですが、灯台には直接通じていなさそうです)。

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そこで先程の突き当たりを右手に進みます。

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右手に曲がり電柱1本先に行ったくらいの処。ここの電柱から崖下の海側へ電線が伸びているのが分かります。これが灯台用の電線です。

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道の反対側から見た(北向きの)アングルです。

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少し分かりにくいですが、この木の根元に灯台まで通じるルートらしきものが隠されていました。

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灯台までのルートというか、単なる急斜面の山道ですね。画像じゃ分かりにくいですが、かなりの急勾配で非常に滑りやすく危険です。
※灯台までの道は非常に危険です。くれぐれもご注意ください。

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基本、入口から迂回せず真っ直ぐ海側方面へ駆け降りていくイメージが良いと思います。途中、道らしき道は完全に見失いますが、目印の電柱を横目に、道なき道を下っていきます。帰りは無事に上がれるのか少し不安になります。

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すると、誰かがご丁寧にロープを括ってくれていました。これには本当に助かりました。ロープを付けてくれた方、本当にありがとうございます!

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そのまま下っていくと、いきなり視界が開けて灯台が現れました!

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高低差があり、高さ12mの灯塔と目線が合うのは少し不思議な感じがします。

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細長い四角柱の形状となっている塔部分は、下から見上げると迫力があります。下からでは灯器も全く見えません。

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少し画像が粗いですが、初点灯銘板の記載は「残島燈台」となっています。現在の「能古島灯台」という表記になったのは戦後とのことですが、初点灯は昭和28年(1953年)であれば名称が変わっていてもおかしくないですが…謎です。

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灯台近くに更に下に降りる階段がありました。

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降りた先には灯台巡視船が係留するであろう、小さな防波堤がありました。

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対岸に大きく見えている島は志賀島でしょう。

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さらに沖合には玄界島(げんかいしま)を臨むことも出来ます。

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岩場からひょっこり顔を出す能古島灯台。

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充分に満喫して、これ以上は暗くなるので大変危険だと思い、帰路につこうとした矢先。能古島灯台の点灯が始まりました。

ガタイの大きさの割にほんのりと点灯する姿もまたオツなものです。

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なんとか、夜の帳が下りる前に帰りたいと思っていたので、無事に上れて良かった。
最終バスの運行も終わっていたので、この場所から渡船場まで約3.5kmの道のりを30分ほど歩いて帰りました。

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村上 記




年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。