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レポ74:鶴御埼灯台(2021/4/30)

九州本土最東端の鶴御崎(つるみさき)。かつて豊後水道の境界線に設置された日本軍の要塞遺構に建てられた灯台を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、自身の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ74:鶴御埼灯台(2021/4/30)

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今回訪問する鶴御崎(つるみさき)は、大分県の南東端に位置する佐伯(さいき)市のさらに東端。「九州本土最東端の岬」で有名です。
豊後水道の入口にあたりこの岬より南は太平洋となるため、かつて旧日本軍の豊予(ほうよ)要塞がありました。佐伯駅から鶴御崎までは自動車で1時間くらいの距離です。

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鶴御埼灯台へ向かう道中にミュージアム・パーク丹賀(たんが)の「丹賀砲台園地」がありましたので、少し立ち寄ることにします。愛媛県・大分県の間にある豊予(ほうよ)海峡の防備のために大日本帝国陸軍の豊予要塞が設置され、その中でも丹賀砲台は前線基地として設置されました。

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ドーム状になっている施設はかつての砲塔跡です(砲塔跡には入口から全長80mの斜坑をリフトで登り、地下道の先にある螺旋階段の上にあります)。

ドームの中は当時の砲塔井と呼ばれ、高さ12.8m、幅21.0mと巨大な空間に砲台が収まっていたのです。丹賀要塞では昭和17年(1942年)に30センチカノン砲の実射訓練実施時に砲身の破裂事故が発生し、多くの死傷者を出す悲惨な事故により丹賀砲台は再生不能となりました。壁面の爆発跡が痛々しいです。

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砲塔は南西方向を向いて設置されており、正面には「元の間海峡」が見えます。鶴御埼灯台はさらに右の岬のさらに奥に位置します。

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戦時下の要塞事情を学んだ上で鶴御埼灯台に行く途中、「360度の大パノラマ 展望ブリッジ」というの文字が見えてきましたので、せっかくなので登ってみることに。

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少し山道を登ります。途中には旧軍事施設跡(砲台跡や防空壕跡)がありました。

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頂上からは展望台があり、そこから広がる360度パノラマは絶景です。遥か遠くの水平線の中に白亜の灯台が佇んでいます。手前の新緑とのコントラストも美しい。

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展望台から眺めた灯台まで下りの道のりが続き、灯台近くの駐車場に到着します。

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灯台までは緩やかな坂道を歩いていけばすぐに辿り着きます。

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鶴御埼灯台は初点灯が昭和56年(1981年)3月と、比較的最近に建てられた灯台です。それ以前は大日本帝国海軍の海軍望楼(ぼうろう)が明治27年(1894年)に設置され、海上の防衛などの役割を担っていました。

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そのため、灯台のある周辺はミュージアム・パーク鶴御崎として整備され、旧海軍望楼は「最東館」としてギャラリーになっています(訪問した日は閉館)。

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海軍望楼の趣のある遺構を眺めながら、遊歩道を歩くと気持ち良いです。

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遊歩道の先には「九州最東端(北緯32度55分、東経132度5分)」の柱があり、佐伯駅の観光案内所で灯台の絵が入った「到達証明」を発行してもらえます。

ただ鶴御崎は厳密には「九州本土 最東端」で、離島を含めると水の子島が九州最東端となるそうです。

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遊歩道を先に歩いてしまいましたが、灯台の入口は登ってきた道を右手側に進むとあります。オーソドックスではありますが、比較的最近の灯台で綺麗な白亜の塔が美しいですね。高さも14mと見応えは充分です。

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灯台入口から右手側に行くとこちらにも遊歩道があります。遊歩道の先には恋する灯台プロジェクトにも認定された素晴らしい景色が広がります。

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振り返れば灯台が燦々と煌めく太陽を反射して眩しい。手前にある三角屋根は旧海軍望楼の天窓のようでした。

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旧海軍望楼跡と鶴御埼灯台の時間の経過にズレがあり、蔓が巻きつく遺構と光輝く灯台が面白いコントラストを生んでいます。ちなみに要塞遺構の表面はあえてザラつくように施されており、これは戦時下で建物表面が光を照らさないような工夫だとか。

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ちなみに灯台近くの駐車場から別の道を行くと灯台を下から見上げることができます。海抜197mにある灯台は下から眺めても壮観です。

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また突き当たりには砲台跡地があり、丹賀とともに豊予要塞を構成する要衝だったんだな、と分かります。

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今回は軍事施設の上に建てられた珍しい灯台でしたが、周辺にも当時の軍遺構など、立ち寄る所があり見応えがありました。

村上 記

年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。