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中学受験をふりかえる②

これはあくまでも主観なのだが、それなりに伝統のある私立校には「はっきりと表現はできないけれどなんとなくあるカラー」みたいなものが存在する、気がしている。それは決して学校が掲げているもの、という意味ではなく、生徒や卒業生から感じる雰囲気というか、全体に漂う空気感のことを指す。

東京に生まれて40ン年暮らしていると、都内近郊の様々な一貫校出身の人々と出会うもの。その中で、〇〇出身の方からは芯の強さを感じるなぁ、とか、△△出身の方って自由だなぁ、とか、そういうことは中学受験を意識するずっと前から感じることでもあった。

伝統が続けば続くほど卒業生は増え、代々出身の家庭も増えていく。さらに生粋の卒業生が教員となってファミリーは拡大し、カラーは脈々と受け継がれる。そう、だからこそ、私立なわけではあるけれど。

そういう意味で、入学前には見抜けなかった娘の小学校に漂うカラーがだんだんと合わないな、と感じるようになったのである。

中学校に上がれば外部からの生徒も増え、濃度は薄まるといえど、少し窮屈そうなまま内部進学させてもよいのだろうか。学力低下への懸念とともにその思いはなかなか消えず、内部進学/外部受験のどちらに転んでも大丈夫なように、一旦中学受験塾に通う方向へ舵を切ったのだった。それは小4の晩夏の話。


と、なると、さて塾選び。

夫はコロナ禍であってもテレワークという選択肢は絶対に持てない仕事に就いている。それどころか、ますます多忙の一途を辿っていた。さらに娘は電車通学なので時間に制限がある上、当時弟はまだ幼児で、幼稚園受験の真っ只中にあった。そういった送迎の難しさから、近場の塾を選ぶ以外に選択肢は到底なかった。

幸い自宅からほんの5分ほどの場所に、中学受験もやっている個人塾があり、問い合わせると少数精鋭ではあるが、枠はまだあると言う。ホームページを見ると熱い想いがあるし、ふむ、実績も悪くない。

学校の勉強はなかなか進まないし、そろそろ塾にでも通ってみる?と言うと、新しいことに挑戦するのが好きな娘は二つ返事で「やった!行きたい!」と言ってくれた。当時はやはり変化に飢えていたような気がする。そして秋も深まる頃には体験授業のち、通塾を開始した。

そして、そのころはまだ、私も娘も、ここから始まる個人塾生活がどれだけ過酷なものなのか知る由もなく、塾通いという環境の変化をただただ楽しみに感じていたのであった。

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