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憧れたひとのこと

憧れた人がいる。
片思い、とかそういう意味ではなくて。

あんな風になりたいなあ、
あんな風に生まれたかったなあ、
の憧れだ。

高校時代に塾で出会った帰国子女の彼女は、
聞いたこともない個性的な名前を持っていて、
無造作なベリーショートヘアが目を引いた。
スリムな体を包むギャルソンのレザージャケットはとても似合うし、
「父親がアメリカ土産でくれた」というバックパックはイニシャル入りのTUMIだった。

穏やかで面白くておしゃれで優しくて賢くて、そしてなによりチャーミング。
魚喃キリコの漫画の中から出てきたように最強なものだから、
私の心は彼女に一瞬で占拠されてしまった。
みんな彼女が好きだった。

それなりにおしゃれを頑張っても、あの子のようにはなれないと知った。
頑張らないで素敵な人と、頑張るほどに野暮ったい私。
どうやったって届かなかった。

進路は別々。やがて春が来て何度か会ったけれど、いつも飾らず自然体な彼女はますます素敵で、なんだか眩しいほどだった。
それは、一緒にいると恥ずかしくなるくらい。
そして、会えなくなった。会う度に苦しくなってしまうことに気が付いたから。
それでもたまに思い出した。
思い出したくて思い出す。
今頃あの素敵な人はどんな人生を歩んでいるんだろうと思っては、
会いたいような、会いたくないような気持ちになった。
思えば彼女は、ずっと私の心に住んでいたような気がする。

会わなくなって7年くらいが経った頃、
SNSを通して私たちは再会した。
久しぶりに見る写真の中の彼女は変わらず美しくて、
私がかつて憧れた仕事をしていた。
胸がツキツキ痛むんだけど、会いたくなった。
でも、結局会えなかった。
会おうって言ってくれたのに、予定なんかないのに、
予定があるふりをした。
そんな自分も嫌だったけど、
きっと会ったら、もっと自分が嫌いになってしまうと思った。
あまりに素敵な人だから、会ってしまったら
7年経ってもまだ垢抜けられずに野暮ったいままの自分という現実を
突きつけられるような気がして、それがとっても怖かったのだ。

そう、会わないままがいい。
憧れが昇華された瞬間だった。

勝手に憧れて、勝手に自分と比べて、
勝手に自分を嫌いになって、勝手に怖がった。
なんて歪んだ感情なんだろうと、今では思う。
でも若かった私には、彼女はそのくらい鮮烈なアイコンだった。
あんなに憧れた人は後にも先にもいなかった。

彼女はきっと、年を重ねてなお美しくかっこよく素敵な人のままだろう。
そんなあの人を一目見たいような、見たくないような。

今はもう胸も痛まないし、憧れの気持ちはないけれど、
彼女のことを思う時、私はやっぱり18歳の私に戻るのだ。
あんな風になりたいと願ったあの頃の私に。

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