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中学受験をふりかえる⑥

「娘の持つキラキラ」というのはY先生の表現だ。
キラキラしている時は音の粒もキラキラするよ、と先生はよく仰るのだが、当時はレッスンに行くごとに娘が明らかに疲弊しているのが見てとれたようで「本当に大丈夫?」とよく聞かれた。Y先生の配慮によって、教本を減らし練習時間はかなり短くなっているにも関わらず、音の覇気は失われていく。
塾とピアノの両立をしようとがんばるほど娘がどんどん疲れていくのを感じた。

A先生は、ピアノとの両立を応援してくださると言いながらも、持ち前の熱血漢さとなんとかこなしていく娘への期待(?)からなのか、一度減った宿題は再び増えつつあった。

そんな生活を約半年続けた。
毎日辞書をも背負って持っていくため、たった5分の距離の繰り返しでもいつも背中の痛みを訴えるようになった。お友達もできて塾は楽しいと言っていたけれど、耐えきれず辞める人は多く入れ替わりも激しかった。

そんな時、お友達が辞めた後に「あいつは大手に行った、うまくいくとは思えない」とA先生が話していたと娘から聞いて、正直怖さを感じてしまった。自塾の肯定はいいけれど、他塾の否定はするべきではないと思ったし、まして子どもにそれを伝えることは他塾へは行くなよ、という牽制のように思えた。

音楽の道、など言っていられないくらい教本の進みは遅かったしこれでは本末転倒だ。相変わらず私と小学校の相性はあまり良いとは思えなかったけれど、娘は以前より楽しく通うようになっていたし、この辺で二兎を追うのはやめて内部進学を心に決め、ピアノをがんばることにしようか、と夫と話し始めていた。

転塾も検討はした。
だが最寄り駅にはひとつもないし、以前も書いたように我が家のライフスタイルでは電車での通塾はやはり難しい。

すっかり疲れた表情が常となった娘。
ある日、家族が揃った日に「まだ塾とピアノ、続ける?」と聞くと、「もう塾はつらい。友達とは離れたくないけど、背中が痛いし、先生が物を投げるのも怖いし、このまま(上に)進学するのでいい」と即答した。
言った後はどこかほっとした表情に見えた。

半年間、精一杯がんばった。
こんなにがんばれてすごかった。
心からそう思ったし、内進先は私が合わないだけで良い学校だとは思っているし、娘の体力・気力的にもこれでいい、と夫婦で納得し小5の初夏、中学受験への道を断ったのだった。

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