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蝉好き

浮き島から「夏支度をするように」とのお触れが出た。鳥の国にも夏がやって来る。

季節の鍵箱を久しぶりに開けた。青いひもの鍵束が夏の塔の鍵だ。
塔へ行く途中、顔見知りのムクドリに見つかった。
「夏の塔へ行くんだろ! な!」
そうだよと私は答えた。鳥は嘘をつかない。
「今年の蝉はうまくいってるかね」
ムクドリはそわそわと体を揺らした。
「まだ確かめちゃいない。まあ、大丈夫だろうよ」
「そうかい、そうかい。楽しみだなあ。な!」
ムクドリがついて来たそうにしているので、私は急ぐふりをしてその場を去った。連れていってやってもいいのだが、一度それをやって、ほかの鳥たちがわれもわれもと押しよせたことがあるのだ。遠足ではないのだから、行列を引き連れて仕事はできない。鳥たちはみな、私の役目をうらやましがっている。つまみ食いの特権があると思われているのだ。ばかげたことだ。

夏の塔に着くと、まっすぐ蝉の部屋の扉を開ける。塔で一番大きな部屋だ。鍵にしていた針金が錆びかけていた。取り替えなければならないだろう。扉を開けると、部屋の中央にはえたケヤキがいっそう茂っていた。ケヤキの枝葉がここの屋根の代わりをしているが、昨夜の雨でまだ湿ったにおいがする。床はすべて柔らかい土で、土の下には蝉の幼虫がたんまり眠っている。鳥たちの夏のごちそうなのだ。幼虫のままでも成虫になってもおいしいというので、いい蝉は浮き島へ運ばれて王の食卓にものぼる。
昆虫のなかで蝉だけをこのように保護しているのは、蝉好きの鳥があまりに多いからである。とくにカラスは目ざとくて、地上に出て来たばかりの蝉まで食べてしまうので、ほうっておくと彼らに食い尽くされかねない。カラス族からは毎年苦情を受けるが、王の好物なのだからと言うとしぶしぶ引き下がる。もとヒトの私は蝉をさほど好まないので、この役目につけているのだ。
私は部屋に入り、ケヤキや土に異状がないかを確認した。それから土を少し掘って、目についた一匹をつまみ上げる。まだ育ちきっていない白いやつだ。つついて弾力を確かめてからかじりつく。やわらかな身は木の実の風味がして、悪くはない。これはつまみ食いでなく味見である。出来を報告するのも仕事だから仕方がない。私はほんとうは、軽くあぶった蝉のほうが好きなのだから。

蝉の部屋の次は、倉庫の扉を開ける。ここの壁には大小の穴が掘られ、それぞれの穴には季節に入り用なものをしまってあった。主に染料と染めの道具だ。夏の空には濃い色を使うため、ほかの季節とは別の蓄えが必要なのだ。染料を作る鍋なども不足しそうだから、もとヒトの職工たちに作ってもらわねばならない。塗りかえ用の刷毛は使い回しで足りるだろうか。空の担当も顔ぶれが若くなったらしいから、色づかいも違ってくるかもしれない。相談したほうがよさそうだ。

倉庫の鍵を閉めて、今度は塔から離れたところにある氷室に向かった。地面を掘って作った貯蔵庫で、冬の間に雪玉や湖の氷を少しずつ運び込んであるのだ。日照りで水が涸れたときのためだが、暑くてたまらない日に氷を持ち出して、つるんとした氷を楽しむのは夏の特別だ。ひんやりした感触を想像してこれも試したくなるが、重たい石の蓋をどけるには私だけでは無理だった。それに、氷室を開けたら中の温度が上がってしまうかもしれない。氷が溶けるにはじゅうぶんな日差しだ。蓋がきちんとふさがっていることだけ報告することにしよう。
空気が湿ってきたのを感じて空を見上げると、雲の色が重たくなっていた。そこでもうひとつ仕事を思い出した。
(雲吹きたちに、夏支度を怠らぬようにと伝えておかなければ)
わた雲や大きな入道雲を吹くために、夏は原料の減りが激しい。在庫確認と補充をしておかないと、夏の終わりには雲が足りなくなってしまうのだ。彼らはいつも上ばかり見上げていて、そうした地道な作業を疎かにしがちで、いつも私が念を押すのである。困ったものだ。
だが、また雨が降りそうだ。雲吹きの小屋までは遠いから明日にしよう。帰る前に蝉の部屋をもう一度開けて、蝉を一匹だけ、ムクドリに持って帰ってやってもいいかもしれない。
そこで、私は急いで夏の塔へ引き返した。


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