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ユメクイの床屋

ある朝、目が覚めた鳥釣りは髪がずいぶんと伸びていることに気がつきました。 鳥釣りは一度気になり出すとずっと気になってしょうがないので、久しぶりに床屋へ行こうという気になりました。年にいっぺんかにへんは床屋に行くことにしているのです。伸ばし放題の髪なのでいつものように自分で切ってもいいのですが、その床屋にはひとつ楽しみがあるのでした。

森の奥の川沿いのひらけた場所が、ユメクイの床屋でした。
鳥釣りが訪れると、一つしかない椅子の上で、山猫がぷしゅーぷしゅーと寝息をたてていました。
「いらっしゃい鳥釣りさん」
店主はひげそりクリームを片手にあいさつしました。
「ちょっと待っとくれよ。こちらはもうすぐだから」
店主はブラシを持つと、猫のひげにクリームを塗りつけ、カミソリを立てて一本一本を丹念に磨きあげました。
「悪いけど、かまどからタオル取ってもらえるかい」
鳥釣りがかまどにある鍋のふたを開けると、タオルがいっぱい湯気を立てています。
「あちち」
蒸しタオルは火傷しそうで、鳥釣りはお手玉しながら店主にタオルを渡します。店主は熱々のタオルを平気で受け取ると、山猫のひげを拭いました。きれいになったひげは、きゅるると弦楽器の音をたてました。
「ほい、おつかれさま」
いびきが止み、山猫はぱちりと目を覚ましました。店主の差し出した鏡を見て、
「うむ、いいひげだ。顔の毛も、注文どおり刈ってくれたね」
「もちろん。ご注文どおり、きっかり0.08ミリ短くしておきましたよ」
山猫が満足して帰っていくと、店主は空いた椅子をぽんぽんとはたいて、タオルをぱんと鳴らしました。
「鳥釣りさん、お待たせ」 

床屋の店主はバクでした。
見た目はのっそりしているバクですが、なかなか床屋の腕はよいのです。そしてバクの床屋にはもうひとつ、すばらしくよく眠れるというおまけがついてあるのでした。床屋の椅子に仕掛けがあるのだと言う者もいますが、ほんとうのところはわかりません。ただ、すこし具合の悪いときでも、散髪ついでに床屋の椅子に座れば、ふんわり心地の良い眠りに落ちるのでした。そしてぐっすりと眠って、目覚めたときには体もしゃんとしているのです。
もちろん客はみな、店主が夢を食べていることは知っています。悪い夢を食べてもらいたくて床屋にやって来る客もいます。いい夢を食べられるのを惜しがる客もなかにはいますが、散髪してもらう駄賃ですから文句はつけません。それに、ほんとうにここの椅子での眠りは極上なのでした。
そんなわけで、バクの床屋は繁盛していました。 

「ずいぶん伸びたねえ」
鳥釣りが椅子に座ると、店主がケープを肩にかけました。
「冬にいちど来たんだが、店をやってなかっただろう」
「ああ、あのときはお腹をこわしちゃってねえ」
「おかしなものでも食べたのかい」
「どうもね、夢を食べすぎちゃったみたいでさ」

椅子の背もたれに体をあずけると、真上にひろがる木の葉がこすれて木陰の音をさせます。それに川のせせらぎも加わって鳥釣りの耳をくすぐります。木漏れ日がちらちらと、寝かしつけのおもちゃのように眠りへと誘っています。
鳥釣りは眠気が近づいてくるのを感じましたが、まだもう少し店主と話していたい気もします。
「夢でお腹をこわすのかい」 
「夢ってひとつひとつは小さいんだけどさ。食べてから腹のなかでふくらむんだよ。それに食い合わせもあってさ」
「食い合わせ……?」
鳥釣りはあくびを噛み殺しながら聞きました。
「そうさ。夢にも味の釣り合いってものがあってだ……」
店主はまだ話し続けているのですが、その低い声からはしだいに意味が失われて、まるで心臓の鼓動のように体に染み込んでいきました。風がそよいで頬をさらりとなでると、鳥釣りは柔らかな闇のなかへとゆっくり落ちていきました。 

ぱしっという音にまぶたを開けると、店主が蒸しタオルを手にのぞき込んでいました。
「終わったよ、鳥釣りさん」
すがすがしい気分で鏡を見ると、背中まで伸びていた髪の毛がすっぱり短くなっていました。顔もぴかぴかです。ただひとつ残念なのは、また話の途中で眠ってしまったことでした。
「話のつづきは夢のなかでしてるよ」
「へえ」
店主の返事に、鳥釣りは驚きました。どんな話を?
「それは覚えちゃおらんよ。だってほら、その夢は食べちゃって俺の腹のなかだろ」
だったら誰も聞いていないじゃないかと呆れる鳥釣りに、
「その話を覚えてるのは、夢のなかの鳥釣りさんと、夢の中の俺だけなのさ」
バクの店主はそう言って、おかしそうに笑うのでした。 


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