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干し柿

柿の実が色づき、鳥の国にも冬の気配が訪れた。
「こら。つまみ食いはだめだよ」
ヒヨドリの若いのが、見つかってバツが悪そうにあちらを向いた。
「実は傷つけないように枝から落として」
若鳥は惜しそうな目で、それでも素直に、くちばしで柿のへたをつついた。枯れ葉を敷き詰めた地面に柿の実を落とし、拾って干し柿をつくる。渡りでない鳥たちの、冬の間の保存食なのだ。
干し柿づくりはもとヒトの担当だが、僕の干し柿は中でもとくに評判がいい。それで柿の木を何本も預かっているのだが、毎年赤くなった実を鳥たちにつつかれてしまう。渋柿だとわかっているのに我慢できないのだ。助手になったばかりのこのヒヨドリも、熟れた実を目にして待ちきれないらしい。

落とした柿の実をヒヨドリと一緒に作業所まで運ぶ。皮を剥くのもこの体では力仕事だ。渋柿を加工するのは僕にしかやれないから、干す段取りができるまで助手は見学である。
「いつ食べられるの?」
「寒くなって雪が降ってからだよ」
雪ってどんなだろう、とヒヨドリは楽しそうに歌った。
この春に巣立ったばかりの若鳥は、見るもの聞くものすべてが面白いのだ。大きな黒い目がきらきらと光をためて世界を見ている。
ヒトの国も見てみたいな、とヒヨドリが言った。
「どうしてヒトの国を出たの?」
鳥のことばで説明するのは無理だ。だから僕はこう答える。
「卵のなかは快適だったかい」
「うん。そりゃあ。あったかいし、お腹も減らないし」
「それなのに外に出て来た」
「そりゃあ、狭かったからだよ。窮屈で苦しかったもの」
「それと同じことだよ」
ヒヨドリは首をかしげてふーん、と言った。
「そうか。ヒトの国は小さすぎたんだね」
僕は黙って頷いた。むしろ鳥になって小さくなったのが本当なのだけれど。

びゅうん、と強い風が吹いた。
まだ日は高いのに、みるみる辺りが暗くなってくる。
「影の鳥だ」
ヒヨドリが叫び、作業場の奥へと逃げ込んだ。軒の下から空を見ると、鳥の形をした黒いかたまりが空を横切っていく。
「あんまり大きくないし、こっちまでは来ないよ」
それでも若鳥は怖がって、体を細くしたまま、影の鳥が去るまで出てこなかった。

いつからか、鳥の国の空に、巨大な鳥の影が現れるようになった。
真っ黒なそれは雲のようでもあり、実態のある鳥のようにも見えた。影は太陽を覆い隠し、鳥の国に闇を落としながら、ただ過ぎ去っていく。それだけのことなのだが、鳥たちはざわつく。猛禽の鷲やハヤブサでさえ。さらわれるとか、太陽を食ってしまうとか噂されているのだが、実際に何かが起きたということでもなさそうだった。
影の闇はすぐに去るときもあれば、半日とどまっている場合もある。昼の鳥たちはてしまって動けないので、僕のようなもとヒトと夜の鳥たちで最低限の仕事を請け負わなければならない。夜の鳥たちだとて、闇に慣れているというだけで怖がることに変わりはない。この前に影の鳥が現れたときは、夕焼けづくりの仕事ができないまま夜を迎えてしまった。青空にいきなり闇が降りてきたので、新手の影の鳥かと騒ぎ立てた慌て者もいたらしい。
鳥の国は中立地帯だから、ここにいる間は捕食されることはない。けれどあの得体の知れない巨大な影にはひどく危険を感じるらしい。鳥の王は「恐るるに足らず」というおふれをずっと出しているのだが、ことばだけで鳥たちの不安はぬぐえない。あの巨大な影がもたらしているのは、鳥の国よりずっと古くて大きな恐怖なのだ。

カビよけのためいったん湯がいた柿に、わらをなった縄を通し、作業所の軒下に吊す準備ができた。鳥の体ではいちどきに運べないので吊すのはひとつずつだ。僕が柿を持ちあげ、ヒヨドリが縄を軒下の金具に引っかける。かなりの数なので休み休み、日暮れまでかけて行う。収穫のたびにこれをやるので、実を採りつくす頃には全身が痛くなる。
初めての干し柿に若鳥は興奮気味だ。毎日やって来ては、ほとんど変化のない柿の実を嬉しそうに見守っている。みずみずしい実の色に飽きずに見とれている。
「実がしぼむまでは放っといていいんだよ」
縄をないながら僕が言うのに、
「食いしん坊がつつきに来ないように見張ってるんだ」と、ヒヨドリは誇らしげに胸を張る。
「おいしいかなあ。おいしいよねえ」
出来上がったら褒美にひとつやるよと約束したので、雛のようにきょときょと首を振りながら、どの柿がいいかといつまでも選んでいるのだった。

干し柿の水分が抜け、色が変わってずいぶんたった。そろそろ取り入れると聞いて、ヒヨドリは喜び勇んで軒下へ飛んでいった。
「もうどれにするか決めてあるんだ。これ!」
端のほうの大ぶりなのを引っ張るので、それだけを残してほかの柿の縄を地面に下ろす。保管のための穴に移したあと、残りのひとつをほどいてやった。ヒヨドリは平らな石に干し柿を置いてひと口つつくと、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
「すごくおいしい!」
そのとき、ゴオッと風がうなって、ヒヨドリの柿を引っさらった。ヒヨドリはあわててあとを追う。僕は空を見上げた。影の鳥が、これまでに見たことのない大きさの闇が空の端から近づいてくる。ヒヨドリは干し柿に夢中で気付いていなかった。影の鳥は恐ろしい速さで森も川も黒に塗りつぶしていく。柿に追いついたヒヨドリが僕を振りむこうとした瞬間、影に呑みこまれた。影は作業場まですっぽりと覆い、中の僕も無の世界に放り込まれた。闇に溺れそうになりながら、脚の感覚を必死に思い出す。
光が遮られただけだ、すぐに元に戻る。これまでもそうだった。
気を取り直して、手探りで作業場の外に出た。ヒヨドリの怖がる声をたよりにのそのそと進む。怖がらせないよう声をかけながら、ヒヨドリに寄りそった。ヒヨドリは縮こまって震えていたが、僕に気がつくとこう言った。
「干し柿はどこ?」
辺りの地面を探したけれど、暗闇では見つけられない。
「影の鳥に食べられちゃったのかな」
「たくさんあるから平気さ」

影の闇はまだ終わりが見えなかった。こんな巨大な影なら、ほかの仲間も大勢巻きこまれているに違いない。みな怯えきっていることだろう。
ヒヨドリが僕にもたれかかった。羽毛の温もりに僕はほうっと溜め息をついた。
「じきに行ってしまうよ。すぐに明るくなる」
闇が終わるのを待ちながら、僕らはもうじきやって来る冬の話をはじめた。


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