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荒野にて

北の荒野に住むのは、多くは旅の鳥だ。
ヒトの国と鳥の国とを行き来する鳥たちは、ヒトの国から戻るとまず、この荒れ地で羽を休める。王のおわす浮き島からは遠く離れた、静かな土地。低木と雑草ばかりの荒れ地は、平和に虫をついばみ休息する場所なのだ。

荒野に、老いぼれた「もとヒト」が居ついている。そう伝え聞いて確認に赴いた。鳥らしからぬ行動をとる「もとヒト」は用心すべき対象だった。いざ会ってみると、噂ほど老いぼれてはいない。もっと皺くちゃで腰の曲がったヒトを見たこともあるから、それに比べればまだ若いと言える。だが、鳥としては。

「おたくがお目付役?」
彼は私をちらりと見て、すぐ目をそらした。興味がないといったふうだった。
「お目付ってほどのものじゃありません。事情を聞きに来ただけです」私は冷静に答える。
「ヒトのことはヒトの方が理解できるということで派遣されました」
「だろうね」頷きながらも信用していない口ぶりだった。
「あたしは、この土地が気に入ったからここにいるだけだ。妙なことはしていない」
鋭い目をした老人は、見た目にそぐわない穏やかな話し方をする。
「ここの鳥たちはヒトの国から帰ったばかりだから、ヒトの姿をしたあたしを見るのも嫌なんだろうよ。でもあたしだって鳥の端くれだしね。たとえ飛べなくたってさ。そうだろ? 誰の邪魔もしない。ただ荒野を見ているだけだよ」
砂まじりの風が吹きすさぶ、こんな寂しい土地の何が気に入ったのか。
「大昔、この荒れ地の果てに鳥の道があったんだよ」
「こんなところに、ですか」
「うんと古い話さ。もちろんあたしだって見たことはない。荒野の鳥たちに昔話を聞いただけだよ。こんな言い伝えだった。

荒れ地に続いている鳥の道は、太古にできた最古の道だった。
ほかの道が作られてからは、イバラに厚く閉ざされ忘れ去られていた。だが、この途絶えた道をつたって鳥の国へ来た者がたったひとりだけいた。いったん鳥の国を追われた、はみ出し鳥だ。
そいつは、表の道から鳥の国に入っておきながら、すぐに禁を犯して追放された。苦労して鳥になれたというのに、その苦労を数日でふいにしたんだ。呆れた奴だよ。しかも、ヒトの国へ帰される途中で鳥の道を自ら外れた。砂漠をあてもなくさまようようなもんだ。
太古の道は、地上も空からも封じられていた。そいつが鳥の道を探し出せたのは、幸運な偶然が重なったとしか思えない。もっとも、見つかったときには傷だらけで、翼も失っていたというがね。
鳥の道を二度も通り抜けたそいつが再び追い出されることはなかった。鳥の国に留まることを王に許されたあとは、荒れ地でひっそり暮らしたとも、怪我のせいで間もなく死んでしまったとも言われている。どちらもほんとうの話かどうかはわからない。伝説さ」

話し終えた彼はそのまま、ぼんやりと荒野を眺めている。
「それで?」私は、待つのに焦れて促した。
「あなたも鳥の道を探しているという意味でしょうか」
彼はあらためて私を見た。
「まさか。あたしはヒトの国に帰るつもりはないよ。もう一度あの道のりをたどるだけの力もない」
「しかし、ここにいる理由はその伝説だというように聞こえました」
「あたしはね」と彼は続けた。「飛ぶのが得意だったんだ。ハヤブサ連中と競うくらい速かったんだよ。でも、年をとるにつれて、はばたくのも辛くなってきた。所詮はもとヒトだと昔の仲間から憐れまれるのが嫌で、つまりは逃げて来たのさ。そしてここで、この話を聞いて引きつけられた。失われたと思われていたものがまだ存在するんじゃないかって、面白いじゃないか。そうだろ?」
「ええ、まあ」
「おたくは素っ気ないね。ヒトでいたほうが良かったんじゃないか」
一瞬、私の感情が乱れたのを察したように、彼は低く笑った。

もとヒトの中にはごくまれに、年老いて鳥の部分が衰え、ヒトに戻ってしまう者がいる。そういう者たちが集まり自然とできた集落が鳥の国のはずれにある。彼もそこへ向かうべきではないかと思ったが、助言は口にしなかった。否定されるだけだろう。
都へ戻ると、私は太古の道について調べた。といっても鳥の国に文献は存在しない。口伝で伝えられていないか長老格の鳥たちに聞いてまわると、たしかにそういう言い伝えは残っているらしかった。しかし場所が違った。荒れ地とは正反対の方角だった。
伝説に信憑性がないことを伝えるために、私はまた荒野へ向かった。
だが彼はいなかった。荒れ地を去っていた。渡りの鳥たちに尋ねても行方は知れなかった。ヒトたちの集落へ向かったのではないかと鳥たちは言ったが、私にはそうは考えられなかった。夢の話を聞いていたからだ。

「さいきん、夢をよく見るんだ。昔、鳥の道を来たときの夢をね」
私の去り際に、彼は楽しそうに語ったのだ。
「夢のなかのあたしは若返って、もう一度鳥になろうとしてる。その場所が太古の道なんだよ」
「夢のなかで、でしょう」と私は釘を刺した。
「そうだとも。それでも、素晴らしく気分がいいんだ。夢のなかで飛ぶと、目が覚めても体が軽いんだよ。気分だけでも鳥でいられるんだ」

荒れ地の空から、北の地平を見渡す。夏が始まり、荒れ地の緑も繁りはじめていた。雨や葉陰が旅人の道行きを助けてくれるといいが。祈りながら、私は太古の道に背を向けた。


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