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夜を掬う

るるる……るるる……

山の奥深く。
虫の音に何百というカエルの輪唱がかぶさって、山は震える鈴の音色に包まれている。
そこへ、空気をかすかに乱す話し声。

(こんばんは。今夜はとりわけ空気が澄んでいますね)
(空のあなたが羨ましい。さぞかし気持ちの良いことでしょう)
(水面に泳ぐあなたこそ、波に揺られていつも楽しそう)

空に浮かぶ月と、湖面に映る月。

彼女らのいつものやりとりに、山の木たちは首を振ったり頷いたり。さわさわ葉擦れが湿った風をつたい、ほかの森への便りを届ける。
そんな夜の山を、男がひとり登ってきた。

天を衝く黒い木々の下、苔に侵された小道が滑りそうになるのをこらえて男は進む。たどり着いた吊り橋に足を踏み出すと、ぐらりと体が揺れた。両側の綱をがしりと掴み、そろりそろり橋の中程へと進む。呼吸をととのえ橋の揺れに慣らす。

橋の中央に着いた男は背中にかついだタモ網を構え、大きく振りまわして夜をすくう。星が闇に払われて消える。男の網に捕らえられたのだ。男はすくいとった星を麻袋に落とすと、また橋のまわりをすくう。あらかたすくい終えると、男は麻袋の口を閉めてもと来た道を帰ろうと歩き出す。

空の月が男に気を取られた隙に、鳥が湖面の月を咥えて持ち去った。下から照らす明かりがなくなり、男はふらつく。袋の口をわずかに開けて、中から漏れる星の明かりで足元を照らした。

毟り取られた山はそれでも何事もなかったように微動だにしない。闇に傷をひたしてじっと待つ。あとは太陽の光が癒してくれるだろう。

ふもとの小屋で、男は拾った星を磨く。砂で丹念に磨かれた星はぼんやりかすかな光を放つ。その光は七日ほどしか保たないが、寝室の常夜灯にするとよい夢が見られると言い伝えられているのだ。男は明晩の祭でこれを売るつもりでいる。

ほー。ほー。

フクロウが月を捕らえた勝どきをあげている。
夜はまだ続くだろう。


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