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攻めの"何もしない" に全賭け。

よく悩んでいる大学生に聞かれることがある。
「やりたいことが見つかりません。どうしたらいいでしょうか?」

この質問に対していつも
「とりあえず何もしなければいいと思うよ」と答えている。

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きっとこの事に気付けたのは浪人時代の経験が大きいと思う。約500日ほど(だけ)、1日24時間の中心が勉強という生活を送っていた。直近的な数値で見える結果や変異はあるが、結末の生産性はない。そして自分が苦しくなれば微々たる数値も変動し、それでまた心が凹むという生活を。

この生活はほとんど引きこもっている生活と精神的には変わらず、日々「何してんだろう自分」という意味を見出せない現状と「これに乗り越えれば」という謎の未来期待に意味を見出したい狭間で揺れていた。

しかしながら時代的状況を考えると何がしたいかわからないと悩めるこの瞬間は本当に豊かだと思う。

例えば70年前ならば戦後でとりあえず生きるためにやるしかないというマインドと風潮があったかもしれない。
例えば400年前ならば生まれ育った環境ですでにステータスが決まっており、課される家業=生きる道と思っていたかもしれない。
でも800年前ならば、もしかしてその時代も安定的で、何をしたらいいのかわからないと悩んでは句を読んで川に流していたのかもしれない。

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どの時代に生きようがやりたいことか否かを判断する基準は気付くことだ。ただそれだけ。気付くための手段の一つとして「ひきこもる」をオススメする。

簡単に言えば、『「暇が人を堕とす」or「暇が人の可能性を見出す」』という賭けを『N歳の自分ではどうなるかを実験するだけ』だ。その結末はその瞬間次第で左右される。そればかりは根性論ではどうする事も出来ないし、意図的に出来るわけでもない。

ただ見えない糸にいつの間にか絡まってしまうのを何もせずに待つ事だ。

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ただ「何もしない」というわけでもない。「何もしない」の真相は
「行動せずに何もしない分に溜まるエネルギーを脳みその想像活動に全賭けしよう」という意図が正しい。「(表面上は)何もしない」が正しい。

小学生の時に昼休み外で遊ばずにただただぼーっとしている子が1人はいただろう。彼らこそ「幼少期から何もしないを実践している勢」でもある。きっと脳内で別世界の魔物と戦っていたに違いない。

同期がぼーっとしてる場合は物陰から愛でることをオススメする。とりあえず話聞こう。怒っちゃだめ。話聞いた後に色々と考えよ。(話ずれた)

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要するに人間の想像力は年齢の積み重ね、経験、様々な人間関係からいつの間にか収縮されてしまう。それを一旦全て排除し、攻めの「何もしない」を貫き、自身の想像力にエネルギーを全賭けする。というのがここでいう「何もしない」の本質である。

この先に「やってみたい」の芽生えを見つける事が出来るだろうし、その繰り返しと初心を忘れない事がその後の燃料になっていく。

結局、自分がどうなりたいかを一番知っているのは自分なのだから。
ひきこもろうぜ!!

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