remains

 漆塗りの御盆に残った最後の一輪を差し出された父は、首を横に振って棺の前に立ち尽くしたままの次兄を呼んだ。父の意図を察した係員が渉(わたる)の元へと歩み寄り、彼は軽く頭を下げてその花を受け取った。花と楽譜に埋め尽くされた棺に向き直り、渉はしばらく動かなかった。すすり泣く声と重たい静寂に囲まれた内側で、次兄はひたすらに長兄の姿を見つめている。彼の一番近くに納められた楽譜には、渉の名前があった。花に埋もれてところどころしか読みとれないその無伴奏のクラリネット独奏曲には、見覚えのある手書きの筆跡で、『兄へ』と銘されている。思えば、俺は渉が公の場で洋(ひろし)を「兄」と呼ぶところをあまり見たことがない。不思議なはなしだ。渉にとって洋はいつだって、いつまでだって兄であり、それ以外にはなり得ないことを俺だって知っているというのに。渉は手の中の真白な芙蓉の花と、瞼を閉じた洋の姿と、花に千切れた五線譜を順繰りに眺め、ひとつ息を吐いて棺の中に手を伸ばした。とたん、ひどく震えだした右手の指が、棺の縁にたどり着く前に白い花を取りこぼす。揺れる呼吸を飲み込んでそれを拾い上げようと長身を屈め、指先を床に落ちた花に触れさせたところで、彼はついに瓦解した。
 床に膝から崩れ落ちた渉は、しばらくは俯いて嗚咽をかみ殺していたものの、すぐにそれも無駄だと悟ったのか、あたりをはばかることもなくぼろぼろと涙を零し始めた。声をあげることすらしなかったが、ひきつるように喉は鳴っていて、床に落ちる涙のかたちは俺が立っているところからですら鮮明に窺える。いまだ拾い上げられない芙蓉の花びらがひとつふたつとそれを受け止めわずかに揺れて、つるりと表面をなぞるしずくに軌跡を描かれる。すでに頬を涙で濡らした母が次兄に近寄って、何も言わずにその肩を抱いた。渉は母に差し出されたハンカチで目元を拭い、自分の涙が落ちた白の花を拭って、やはりなにも言わずに立ち上がった。渉がどれだけの間泣いていたのか、俺にはわからない。ほんの三十秒ほどだったのかもしれないし、五分もあのままだったのかもしれない。あのとき、時間はひどくゆがんでいた。きっと、俺にとってだけではなく、誰にとっても。
 静かに最後の花を渉が棺に納めたとき、呟く声が聞こえた。他の誰かに聞こえていたのかどうかはわからない、囁くようなか細い震えた声だった。渉が兄にだけ囁いたのかもしれないそのひとことを、俺の耳はひどく精密に拾い上げていた。別段、最期にかける言葉としては変哲のないものだ。そして、俺が一度たりとも洋に向かって口にしたことのない言葉だった。そうだ、まごうことなく、洋を面と向かってそう呼ぶのは渉ひとりだった。それを実感したとき、すこしだけ背筋が震えた。なぜ、とはわからない。寂寥でも後悔でもないことは確かだが、無感動と言えないことだけが少しだけ悔しかった。
 「兄さん」と、次兄の唇が動いたあのとき、あのひとはまだ、たしかに渉の兄だった。——いや、渉をいまだ「次兄」と書く俺だって。

 
洋は渉にとって、そしてその他大勢のひとたちにとって実際にあらゆるものであり、それは(認めたくはないけれど)きっと俺にとってもそうだった。ひどい皮肉だと思う。もう十年近くも昔、幼い俺の目の前で、あのころ俺のすべてであったものをいとも容易く踏みにじってみせたのは、この長兄であったというのに。だとしても、俺は結局彼の背中から目を離すことはできず、彼が俺に無遠慮にぶつけてきたいくつもの言葉に抉られた傷を忘れることもできなかった。身長はほとんど変わらない、しかし俺よりも線の細い兄の背中は、そうとは思えないくらい俺にとっては大きなもので、尊敬も敬愛もしたことはないがそこには常にひとつの畏怖があった。歳月を経て膿んだ傷口が孕む熱を抱えたままに、逃げ出しても追い詰められても足を取られて転んでも、俺はその途方もない存在とそれを抱える百七十四センチの細い体を俺の世界から追いやってしまうことはできなかったのだ。どうしても目を逸らしたくて俯いたまま八年間も喘ぎ続けたのちに顔を上げたとき、彼はもうそこにはいなかった。棺の中で瞼を閉じる、陶器のように白い肌をした兄だったもの。俺は、洋を憎んでいた自信がある、きっと誰よりも切実に。しかしそれは言葉にならない衝撃だった。だとしたら、呼吸を止めてしまった洋を目にしてから、出棺のあの一瞬までほとんど口を利けなかった渉にとってはいかほどだったのだろう。それほどまでに、俺たち兄弟にとって、洋は呼吸を止めるものではなかったのだ。
 享年二十八歳で洋が死んで初めて、俺たちは彼がひとであったと知った。
 洋が完全に灰と骨とそのほかいくばくかの無機物になってしまうのを待っている間、渉はやはりひとことも発することはなかった。俺の知る限り、洋の死に触れて渉が泣いたのは、あの一瞬いちどきりだ。洋の死が伝えられて、渉が実家に戻ってきてから数日、彼は誰に対しても、兄や自分の同業者、あるいはマスコミ、それこそ自分の父であろうと、口を閉ざしたままだった。誰一人として、二〇一六年の八月四日、天才クラリネット奏者の坂川洋(ヨウ)が、ホテルのスイートルームのベッドに腰掛けピストルで自分のこめかみを撃ち抜いた理由を知りはしなかった。当然、俺もだ。誰もがそれを聞き出そうと渉に詰め寄ったが、彼は洋が死を選んでから通夜が執り行われるまでの間ついぞ実家の玄関のドアを開くことはなく、すべてが終わるまでひたすらに沈黙を守り続けた。それが、意図的であったのかそうでないのかはいまでも知らない。
 兄のからだが両腕で抱えられるほどの大きさになってしまったあと、火葬場の外まで押しかけていたマスコミに向かって渉はようやく口を開いた。自死であることは間違いないと思う、と言い切った渉は、その理由を知っているのかと問われて一瞬口をつぐみ、視線を伏せて呼吸を置いてから顔を上げ、ひとこと「四十九日が明けるまで待ってもらえませんか」と言った。そうしたら、僕がすべて話します、と。よく聞けば、震えた声だった。

 そのころほとんど縁を切っていた家族から洋の訃報を連絡され、数年ぶりに実家に帰った夜、何の気なしに眺めていたニュースサイトのトップには彼の名前があった。父親からの電話を受けた瞬間よりも、それを目にしたあのときの感覚のほうをよく覚えている。ああ、あのひとは死んだのか、と。そのときようやく事実を知った気分だった。洋には、俺が高校を卒業して家を出てからは年に数度しか会うことがなかったし、会話に関してはゼロに近い。それ以前も、海外の大学院を出てからはソリストとして世界中を転々としていた彼とは、「兄弟」と呼べるほど顔を合わせもせず、だというのに洋が自分の兄だという事実だけは会わずにいる時間に希釈されることがなかった。それは洋が死んだあとも同じであり、もちろんそれを知った瞬間ですらも。俺(たち)にとって、兄は死んでしまうものではない——それどころか、どちらにせよ同じだ。概念に呼吸は必要がない。だから、「兄」としてではなく、「若き天才クラリネット奏者」としての坂川洋が死んだと知ったとき、あのときがほんとうの実感だった。当然のごとく、矛盾していた。あのとき俺たちの内側では、死ぬはずのないものが死んだのだから。霊安室で形式的に手を合わせた兄の遺体が、形而下の存在としてそこにあることを臨んでいながら飲み込み切れず、まるで死を理解できない幼子のようだと自嘲した。どうして、目を醒まさないの。
 決して生き返ってほしいと思っていたわけではない。俺は洋が心底嫌いだった、虚勢でも言いわけでもなく、ひとつの真実として。ただ、ただ純粋に疑問だったのだ。あのときの俺は、どうしてあのひとが二度と起き上がってくることがないのかがわからなかった。
 葬式の翌日には俺は実家から大学近くのアパートに帰り、適当な理由をつけて四十九日の法要と納骨には顔を出さなかった。普段から特に会いもしていなかった兄がひとりいなくなったところで、俺の日常生活にはなんの支障もない。数回休んでしまった期末試験について何人かの教授に頭を下げ、一足遅れて追試とレポートに追われながら、練習に顔を出せなかったことについてサークルのメンバーに釈明をしたあとはそのままいつも通りだ。俺はそれまでとなにも変わらず笑っていられたし、アルト・サックスを吹けたし、あえて兄や兄の死について考えることもなかった。少なくとも俺は、弟としてふさわしい悲しみかたはしていなかったと、それだけは確実に言えるだろう。悲しい、とは、おそらく後にも先にも一度たりとも思わなかった。

 その日、テレビをつけたのは気まぐれだった。やることもなく、そこにテレビのリモコンがあったから。赤いボタンを押した直後、画面が映るほんの一瞬前に聴こえてきたのは、知った声だった。シャッターの音がする。次兄がダークスーツに黒いネクタイでそこに座っていた。すこし、痩せただろうか。
「洋(ヨウ)は——兄は稀代の天才だったと、躊躇(ためら)いなく言えます。僕の前には、いつもあのひとの背中がありました」
 渉にとって、洋がどういう存在だったか、というのは、俺にとってどうであったかということよりも、おそらくはるかに難しい問いだ。渉自身だって、ギフテッドと呼ばれるにふさわしい人間であることに違いはない。しかし、洋の才能はそれとは決定的に異質ななにかであった。そのことを誰よりもよく知っていたからこそ、渉にとって洋の背中はあれほどまでの意味と価値を持っていたのだろう。渉ほどに洋の才能そのものを憧憬していた人間を、俺はほかに知らない。
「僕が僕自身の才能をどう思っていて、なにを目指しているか、僕の内側にどんな音楽があるか——そういったことはすべて、兄の前では無力でした」
 訥々と語る渉は、表情ひとつ動かさないものの、俺や洋でなければ聞き取れないほどわずかに声が震えていた。切られるシャッターがそれほど多い会見でもないものの、彼の言葉を聞きたい人間が少なくともこの程度はいるのだということに、少し驚いた。渉は、洋が死んだ理由をもう語ったのだろうか。あえてそれを彼の口から聞きたいとは、俺は思わなかった。どうせ、いつかどこかで知ることだ。洋がどうして死んだのかには、自分でも意外なほどに興味がなかった。必然だったのだろう、という感覚が強い。呼吸を止めるはずのないものであった彼にとって、死が自ら選ぶようなものであったとは思えないのだ。ピストルの撃鉄を上げ、引金を引いたのが洋の指だとしても、それを決断したのは彼ではない。必然であるとはきっとそういうものだ。
「僕は、洋が絶望して死んだのだとは思ってほしくありません。洋の考えていることがわかった試しなどありませんが、それがあの人の本意でないことだけはわかります。洋にとって、あの絶対的なまでの才能の行き場を失うことは、死ぬ理由でも原因でもなかったのだと、——兄にとっては、それそのものが死ぬことと同じだったのだと、思っています」
 そのことばが、どんな文脈を背後において発されたものなのかは知らない。けれど、絶望などということばが、誰よりも似合わない人間だったことは俺だって知っている。ぱちぱちと光るフラッシュと、鼓膜を不規則なリズムで弾くシャッターの音の隙間にはいくつもの沈黙が聴こえる。渉は一瞬瞼を閉じた。いま、どんな気分でいるのだろう。俺が知るわけもなかったし、共感なんて一生御免だ。そう強がったところで、洋が死んでからの二か月弱、俺たちが抱いている感情が根本のところではひどく似ているということだって、俺も渉もどこかでわかっている。
「僕がどんな御託を並べたかなんて、ほんとうのところはどうでもいいんです。……あの、クラリネットの音色だけ、坂川洋(ヨウ)という天才がいたことだけ、後世に残るのなら、それで」
 悲しみでも寂しさでもないこの感情は、おそらく喪失のそれだ。俺は兄を喪失した。なんということはない、この二十年間、俺の内側にはいつだって喪失されうる兄の姿があったということだ。俺は一分一秒も欠かすことなく彼の弟であったし、——これも非常に認めたくないことだけれど——いまこの瞬間から未来も、そのことを望んでいる。そうでもしない限り、俺たちはこの途方もない存在、(俺たちにとっての)いっさいのほんもの、そういった果てしない質量の喪失に耐えることはできないのだろう。
「洋さんのことは、好きでしたか」と、前列にいた記者が渉に問うた。
 その質問を受けて、渉ははじめて小さく笑みを浮かべた。目を細めて斜め上の宙を仰ぎ、たっぷり数秒沈黙をたたえたあとに、彼はおどろくほどにまっすぐと前を見て、「はい」と頷いた。迷いのない声だった。「死者を悪く言うわけにもいかないでしょう」と渉は肩を竦めて微笑んで見せたけれど、あのひとことが嘘でも冗談でもなかったことはわかる。——それくらいなら、俺にだってわかる。
渉が次の言葉を発する前に、俺はテレビのチャンネルを変えた。大学三年の夏休み、カーテンを閉め切ってクーラーをかけた九畳のワンルームで、カーペットの上に寝転がる。くだらないバラエティから流れてくる笑い声に同調する気にはなれなかった。夕飯はなににしようだとか、洗濯物が溜まっているだとか。そんな日常の上に被さってくる、どうにもしようのないもどかしさに両耳を塞いで、瞼を閉じた。

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東堂冴

おぼえていますか

2014年9月発行の同人誌『おぼえていますか』(東堂冴)のWeb公開バージョンです。
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