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空気はなぜ透明か。~「便利だからそう進化した」の誤謬~

夏休みも終盤にさしかかり、全国の子供たちは自由研究や課題に取り組んでいることだろう。この時期になると毎年「やまなしの正体」について書いたこちらの記事のアクセスが急増する。

「鏡はなぜ上下が反転しないのか」もまた、同様に夏休み自由研究のテーマに相応しい記事で、全国のチビッ子たちの役に立っているのではないかと自負している。


そこで、今回は、新たに自由研究のテーマになりそうな「空気はなぜ透明か?」について取り上げたい。

大人が答えられない、子供の素朴な疑問へ革新的な答えを提供するのも、この私のNoteの重要な使命だと心得ている。


便利だからではない

「空気はなぜ透明か?」という問いに対して、「便利だから、そのように進化した」という答えがあるそうだが、そうではあるまい。

空気が透明なのは「我々の目が受け止めている光を、空気がさえぎらないから」そして、「空気を透過してくる光に反応する器官が目だから」だ。

今から、私が「空気はなぜ透明か」から始まる、「光とはなにか」「目とはなにか」「目はどのように発生したのか」という壮大な進化の物語をお話ししよう。


空気は人のために存在しているのではない

そもそも「空気が透明だと便利だから、そのように進化した」というのは、「なぜ指は5本なのか?」「手袋に手を入れやすいから、そのように進化した」と主張しているのと大して変わらない。

「便利だから、空気を透明にした」ということではなく、「空気を透明に感じるように進化した」ということだろうが、それでもなお、臍茶である。

この例を出すと「進化したのは人間の方ではなく、手袋の方だ」「手袋の指が5本なのは、その方が便利だから、そのように作った」という人が出てくる。確かに、まず人間の手がありきで、手袋を作ったのだから、手袋に関していえば、その主張は正しい。

しかし、(自然科学的な立場をとるならば)人間の目に合わせて空気が作られたわけではない


空気が透明になるよう、目が進化したわけでもない。

そもそも「空気が透明になるように目が進化した」という主張は、「目という器官があって、その目が進化して、可視光線を捉えるようになった」と言っているのと同じだ。

これは、目という器官が最初から生物には備わっていたという思い込みから来るものだろう。

そうではない。光が個体に届いたからこそ、つまり空気という気体を透過して、生物に届いたからこそ、その光に反応する目という器官が発生したのだ。詳細は、後述する。


そもそも透明とは何か

発光体(光を発するもの。たとえば電球や太陽)と受光体(光を受けるもの。たとえば目やセンサー)という関係で整理していくと、発光体と受光体の間の媒体を光が通過する状態を「透明」と表現し、通過しなければ「透明ではない」と表現していることが分る。

もう一つ重要なことは、受光している(=光を受け止めている)ということは、光は透過していない。すなわち、透明ではないということだ。

なんのこっちゃか分からないかもしれないが、要するに、空気を透過する光は、目を透過していないという意味だ。

実はこれは、「空気がなぜ透明か」を考える上で、とてつもなく重要なポイントだ。



光の波長

もう少し、詳しく説明しておく。太陽から出る光は、紫外線~可視光線~赤外線といった波長の違う光があることをご存知の方は多いだろう。

この波長の長さの違いは、エネルギーの大きさの違いを生む。

波長の短い光は、エネルギーが大きく、長い光はエネルギーが小さい。エネルギーの大小は、光が当たった物質に与える影響の大小と言い換えてもいい。

また、別の側面からは波長の違いを媒体の透過しやすさの違いと捉えることも出来る。

光の波長が長ければ、媒体を通過しやすく、短ければ透過しにくい

しがたって、太陽から出た光のうち、波長が短いものは、大気を透過しにくい(大気に吸収されてしまう)。もし、この短い波長の光を捉える受光体(センサーや目だと思っておいていい)があれば、光が空気にさえぎられてしまうわけだから、その受光体から見れば「空気は透明ではない」ということになる。

では、それより波長の長い光はどうなるのか。もちろん、大気にさえぎられることはないので、人間の目にも届くだろう。

このとき人間は、その光に対して「空気は透明だ」というわけだ。そして人間は、この空気を透過する光を「可視光線」と名付けたのである。

さらに波長が長い光があるとしたらどうだろう。そのような光は、空気どころか人間も、地球自体をも透過してしまうかもしれない。そのような光を捉える受光体からすると、空気どころか、人間も、地球すらも透明だということになる。

これが「空気が透明だ」といっている状況の整理ということになる。

しかし、そもそもなぜ、人間は空気が透明に見える(?)目をもっているのだろう



目は透明ではない

その答えは進化論、それも目の進化にある。

ここで「可視光線にあわせて、便利なように上手く人間の目が進化した」という話ではないことは強調しておきたい。

繰り返しになるが、そもそも「可視光線」と呼んでいるものが最初からあったわけではない。目を透過せず、空気を透過する光を結果として「可視光線」と呼んでいるにすぎないのだ。

そして「目を通過しない」のは、もっぱらその材質によるところが大きい。人間の目は、有機物、たんぱく質から構成されているため、そのタンパク質の物理的な特性から通さない光の波長は決まってくる。

たとえばもしある宇宙人の目が鉛で出来ていたら、非常に長い波長の光まで通さないため、その宇宙人にとっての「可視光線」の幅は、はるかに大きくなるだろう。

光に反応する感覚器である以上、まずその光は、その感覚器、受光体に届かなければならない。さらにかつ、その光は感覚器自体を透過しないことが必要だ。

では、目はどのように発生したのだろうか。

ここで、さらに話は大きく広がる。



それは海から始まった

おそらく、多くの生物の目にとって、実は、透明なのは空気ではない。海水だ

生物は、海で発生したことは、おそらくほぼ確実と見られている。

また非常に多くの海洋生物、相当、原始的な生物を含めて「目」を持っていることから、目の発生は、海の中で起きたことと考えられる。

このことから、初めて「目」を獲得した生物にとって、透明でなくてはならないのは空気だけではなく、海水も透明だったことがわかる。ぞの生物に届く光は、海水を透過する前に、まず大気を透過する必要があるからだ。

海水が透明ということの意味は、もう繰り返すまでもなかろう。「海を透明だと認識する生物の目が受光する光は、空気と海水は透過する波長である必要がある」ということだ。

さて、ではそもそも目とはどのような器官だろう。我々は「目は、ものを見るための器官」と認識している。

しかし、目の原点は、光ではなく、むしろ影を認識するためのものだったのではないか



原初の目

目を持つ以前の生物を想像して欲しい。海に住む原始的なプランクトンのようなものでもいい。自身と発光体(太陽)の間に何かが現れると、自身の身体に影が出来る。この「何か」が餌である場合、「自身に出来た影」が、餌の存在を知らせることになる。

日傘をさすとすぐに分かるが、日差しをさえぎるどうかで皮膚が受ける感覚は大きく変化する。つよい日差しの場合、熱や、時には痛みすら感じることがある。たとえ目をつぶっていても、今、自分が日光を直接受けているかどうかを判別することは容易だ。

もしかすると、この機能は動物性プランクトンよりも先に出現した植物性プランクトンから受け継いだ資質、光合成由来の資質かもしれない。

これは、光のもつエネルギーが身体に物理的な作用を与えることによるものだ。

これこそが、目の起源であろう。

餌が自分の上にいるかどうかを検知する、それは、原初の海において、生存確率を上げる強力な手段になっていたのではないか。



目の形状の進化

より精度高く光に反応できる個体、光に対して繊細な細胞や形態を持つ個体のほうが生存確率が高くなるので、世代を重ねるごとに皮膚の光に対する感覚は、より精緻になっていったのだろう。

さらに、影ではなく、光の強さを捉えられるようになり、微妙な光の波長の違いを把握できるようになっていけば、我々のもつ目になるまで、もうすぐだ。

我々の目に辿り着くまでに、もうひとつ重要な変化がひとつある。

それは、目の形状だ。

現在、多くの生物は球状の目を持っていることから、この球状の目というのは、非常に重要な意味を持っていると考えられる。

光を受ける皮膚(器官)が平らだと、どのような不利があるのか。

おそらく、光の向きが分かりにくいのだろう。

たとえば、もし皮膚の一部がこぶ状に膨らんでいれば、その「こぶ」のどちらから光が当たっているのか、また、どちらに影が出来ているのかを把握しやすい。

逆に凹んでいても、同じ効果は期待できる

そして、おそらく膨らむよりも、凹む方が有利だったのだろう。

より多く凹むことで、海水がその中を満たし(原初の目を持つ生物は、海の中で暮らしていたことを思い出して欲しい)、それがレンズとして光をより集約することに貢献したというのが大きいのではないか。

また、膨らむより、凹む方が、肉体的なコストが低かったというメリットもあるかもしれないし(必要になる肉体の肉の量が少なくて済む)、でっぱりがない分、攻撃されにくいというメリットもあったかもしれない。




あらためて、空気はなぜ透明か。

ここまでお読みいただいた方は、

空気が透明なのは「我々の目が受け止めている光を、空気がさえぎらないから」そして、「空気を透過してくる光に反応する器官が目だから」だ。

という冒頭の説明が、より明確になったのではないだろうか。

最初から目があったわけではなく、生物に届く光への反応を感覚器として使うようになった器官が目なのだ。

聖書によると、神が天地創造をしたとき、まず最初に「光あれ」といったそうだ。まさに、まず最初に光があってこその目ということだろう。

届く光を見るのが目なのだから、当然、その大気を透明だと捉えるのだ。

「空気は分子密度が低いから透明に見える、もし密度があがれば透明ではなくなる」という説もあるようだが、これも因果の誤謬

我々の目の存在を前提としている説だ。

もし地球の大気の分子密度が高かった場合、生物の目に届く光自体が、いまより限定される。そして、その限定された光に対して反応する、目という器官が発生する。

だから、やはりその環境で発生した目にとっては、空気は透明なのだ。

たとえば赤外線は地球の大気に吸収されやすい。赤外線を見る宇宙人(赤外線をよく通す大気の星で進化した)にとって、赤外線を遮るこの地球の空気は透明ではない。ちょうど我々が濃いサングラスをかけたときと同じような印象を持つだろう。

しかし、我々はその空気を「透明だ」と認識している。赤外線を我々の目は認識しないからだ。

と、ここまで約5000字に渡って空気はなぜ透明かについて解説してきだが、実はこれはすべて私の仮説である。

「便利だから」「空気が透明に感じるように進化した」という仮説よりは、だいぶオッカムの刃が入った合理的な仮説になっているはずだが、それでも仮説であることには違いがない。

読者の皆さんにおかれても、ご自身の仮説に思いを馳せていただきたい。

最後に、夏休みの自由研究に取り組むチビッ子には、ちと堅すぎる文体であったこと、難解すぎる解説であったことをお詫びしたい。ぜひ、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、周りの誰かといっしょに、これを読み解いてみて欲しい。もちろん、コメント欄での質問も大歓迎してるよー。




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