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協力隊トークライブで話したこと(たぶんこれが最終報告になるんだろうな)

先週行われたJICA関西主催の協力隊トークライブでぼくが話したことを例によって、noteで文字起こし的に置いておきます。(思い出しながらなので当日とは多少違ったことを書いてます)

Microsoft Teamsを使ってやったのですが、画面にカメラオンの人が見えず、反応が探れなくて自分の話がウケてるのか、スベってるのかわからないのがしんどかったですが、その前に行われたリハーサルで、JICAの推進員さんやサポートで入ってくれていたJOCAの人たちの反応が非常に良く、愛と感動のエンターテインメントになっていたので、悪くはなかったんだろうと思います。

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トークライブのアンケートで上記のような感想もいただきました。ありがとうございます、誰かにこうして伝わったのであれば満足です。

ベースは去年の事務所でやった活動約1年のときの報告会のもの。それにいくつか要素を加えて、冒頭に簡単な国紹介を足したものになっています。

それでは、ぼくの血と汗と涙の1年2カ月のカリブでの活動をご覧ください。


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初めまして、セントビンセントでマーケティング隊員として活動していた OKA YUKIです。よろしくお願いします。

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まず、簡単にセントビンセントについて紹介すると、カリブ海の東端にありまして面積は淡路島やシンガポール、東京23区の3分の2程度の大きさの小さな島国です。

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カリブのリゾートとして有名でヨットやクルーズ船で多くの欧米人がバケーションを楽しみます。

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町並みはこんな感じで、ただただのどかです。

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パーティー好きな人たちで、カーニバルシーズンになるといろんなイベントがあったりします。愉快ですね。

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そんな島国でぼくはメインの活動以外にもバスケに行ったり、孤児院に行ったりといろんなところに出向いていろんなことを経験していました。

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で、ぼくはマーケティング隊員として現地の視覚障害者協会に派遣されたわけですが、そこで期待されていたことは知名度アップ、視覚障害者の社会的地位向上、所得向上、彼らの今やってるビジネスの拡大、それから納期管理や帳簿つけることが上手くできていないのでその改善…と、要するになんか良い感じにしてくれというお題でした。

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協会の事業としては、右上の写真のように籐の家具の編みこみの修復、右下のモップ製作、これはあとでビデオをみてもらいます。それから左下、高齢の視覚障害者のために月1でフードバスケット、小麦粉や米やパスタ、砂糖などを配っています。このパッキングも視覚障害者自身で行います。良いように言うと、視覚障害者が自立した組織、実態は支援が足りてない組織、という印象を持ちました。

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で、すぐいじることっていうのはなかったので、啓発活動、PRにまずは取り組むことにしました。現状、彼らが行っているのは年1回、障害者コミュニティ全体で行っているチャリティーウォークのみです。

これは警察のブラスバンドに引率してもらって首都のダウンダウンを練り歩くもので注目度が高いのですが、このPRの3段ピラミッドの内の1番下の認知獲得にしか貢献してないんですね、「身体障害者」という人たちがいますよ、という存在の認知獲得にのみ貢献している状態。

もちろん、これも大事なんですがその次の段階の実際に社会から自分たちがどう見られたいのか、という側面のアピールもしていかないと、市民の側もどう支援して良いのか、どう扱っていいのかわからないんですね。

なので、このピラミッドの真ん中、Perception Change(社会の彼らへの考え方を変える) から取り組むことにしました。

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じゃあ、どう社会から見られたいですかという話をしました。何度も。

まず強く言われたのは「おれたちはもっとできる」、ということでした。料理もできるしコーヒーも1人で淹れれるし、スマホも使える。ちょっと君らとはやり方が違うだけでたいていのことはできるんだと。だから、決して可哀そうな存在じゃないんだ、そんなPRはやってくれるなということでした。

なので、どんどんできることをアピールして、社会の視覚障害者に対する認識を変える戦略でいくことにしました。

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で、まずはInstagramのアカウントをつくりました。左がアカウント作成後3か月時点、右の黒い方が約1年時点です。

SNSアカウントで多くの人に自分たちの主張を受け入れてもらうためには、「誰が言うか」が大事なわけですが、その「誰」というのは影響力のある人、つまりはフォロワーの多い人。多くのフォロワーを獲得することで疑似的に権威性を手に入れる必要があるわけですね。

あのアカウント、フォロワー多いし、きっと良いこと言ってるに違いない」という状況をつくる必要があるわけですね。

なので、最初はセントビンセント人のフォロワー獲得だけでなく、とにかく社会課題に関心のある人にフォローしてもらえるような投稿を意識しました。なので、フォロワーの所在地も欧米が中心となってます。彼らはチャリティーに熱心ですから。共感を呼びやすい投稿はどんなものだろうと、考えながら、かといって重くならず、ポップな雰囲気を意識しました。重いとね、身構えるので。体力を消耗するので。

で、3か月経った時点で、そろそろセントビンセント人やカリブのフォロワーを増やす方針に変えて良いんじゃないかとアップするコンテンツを微妙に変えた結果が黒い方ですね。フォロワー数の伸びは低いものの、首都Kingstownにいる人、つまりはセントビンセント人のフォロワー比率が増えています。

絶対数は少ないので影響力はまだまだですが、それでもセントビンセントの人たちに確実に届くメディアになっています。

これはInstagramにアップした、視覚障害者だけでモップを作っている様子です。役割分担をして、流れ作業でてきぱきと作業しています。全員盲目です。シール貼りもパッキングも自分たちでやっています。1日で約200個つくることができます。

みんな、「視覚障害者の人たちがモップを作って売っている」ということは知っていましたが、「どうやって?」の中身のところまで知っている人は皆無で、これはウケるだろうと思ったんですね。衝撃が大きいだろうと。

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で、これがなかなかに反応がよくて、セントビンセント人のカメラマンから「データをくれ、おれのアカウントでも紹介したい」とDMをもらったりしました。

これは結構、ぼく自身の自信にもなりました。よしよしやってることは間違ってはいないと。セントビンセント人たちの心をとらえつつあると。

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それで、PRが軌道に乗ったのもあり、インスタにアップするネタを作る必要もあり、仕事だと。PRってぶっちゃけ、社会の関心を引いて、政府からの補助金や民間からの寄付金を引き出すことなので。

それはつまりは、お金をもらえるかどうかは他人次第ってことで、自分がコントロールし得ないところに依存しきるのはよくないので。最近の言葉でいうと、生殺与奪の権を他人に握らせるなと。

条件は、テクノロジーの影響を受けない(長く続けることができる)、初期費用がかからない、高付加価値(目が見えない分、どうしても生産性が落ちてしまうので)、容易にマネされない(ちょっと儲かって健常者の競合がでてくると勝ち残れないと困るので)

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で、まず取り組んだのがペーパーバスケットでした。

エコだし、雑誌の表面には印刷コーティングがされているので丈夫なんですね。で、見た目結構つくるの難しそうに見える。けど、視覚障害者にとっては、籐の家具の修理技術(編みこみ)の応用でできるんじゃないかと。

結論からいうと、応用といかずかなり教えるのに難儀しました。視覚障害者の手を取って教えることになるのでね、それはそれは大変でした。

セントビンセントの人たちにとってはバスケットは見たことあっても紙の素材は初めてで注目はされたんですが、素材が紙なので安っぽく見える、紙だからすぐダメになるんじゃないかという偏見を乗り越えることはできませんでした。

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ほな、色塗ったらぁあということで、デザインを一新したジュエリーボックスを作りました。自分の家の備え付けのインテリアや現地の人の家のインテリアを見てたりすると用途は特にない飾りのインテリアがけっこうあったので、そういう小物はウケるんじゃないかと思ったんですね。

なので実用性よりも見た目重視に切り替えました。

で、これ反省もあって、前のペーパーバスケットは「視覚障害者でも作れるもの、コストのかからないものは何だろう?」という地点から発想をスタートしていたんですね。これ、ビジネス用語でプロダクトアウトと言います。自社の設備で製造できるものを作って売る、という発想。市場(マーケット)で求められているものを売るんじゃなくて、自社都合のものを売るというね。で、マーケットインというのは市場で求められているものを作って、売る。だから自社都合よりもまずマーケットでニーズのあるものの中から自社で作ることができるものを売る、という発想のスタート地点の違いがあります。

なので、とりあえず視覚障害者にできるかどうかは取っ払って考えました。

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だから目が見えない彼ら自身に色を塗ってもらってます。彼らにとっても初めての経験でした。「え、俺ら目が見えれへんのやで?」と言われましたが、うるせぇと。

で、これすごく良いのが見た目がすごく複雑そうに見えるんですけど、新聞紙をくるくる丸めてボンドでくっつけただけなんですね。実はペーパーバスケットより簡単なんです。くるくる丸めて模様を作っているので、指先で模様を感じ取れるので目の見えない彼らでもどんな模様なのかわかるという副産物もありました。

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で、そうした様子をSNSにアップしたり、会う人会う人に「ぼかぁこんなことやっとるんですわ、この国で」と話していたら、テレビ取材の依頼を受けました。ラッキーです。

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土曜日の午後6時というゴールデンタイムに全国放送されました。「視覚障害の取り組み」に視聴者には注目してほしかったので、ブレちゃうから外国人のぼくは映りたくなかったんですが、こんな感じでフィーチャーしてもらいました。

後日、そのビデオのデータをFacebookにもアップしまして、1,300回ほど再生されてます、人口が10万人の国ですから、国民の1%。日本でいうところの人口比で100万再生くらいインパクトですかね。とにかく、日本大使館にもシェアしてもらったりしてなかなか反響が大きくて、「障害者コミュニティはとにかく支援が後回しにされがちで脆弱なコミュニティです。そこに社会の注目を集めてくれて、彼らの可能性も示してくれてありがとう」みたいなうれしいコメントももらいまして、これは、なかなかグッときました。

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テレビなんて一瞬だし、注目を集め続けないといけないし、どんどん新しいことを仕掛けていきたいと思っていまして、セントビンセントのメインの作物であるバナナに着目しました。アフリカのいくつかの国やジャマイカでは日本の援助でバナナの繊維で紙をつくっています。それと似たようなことができないかと。繊維を取り出して、この写真のように小物を作れないかと、セントビンセントのお土産いえばコレ!というようなブランドにできないかと。バナナって多年草で株が死なない限り再生するんですね、材料はたくさんあるし、エコという切り口でも勝負できるんじゃないかと思ったんですね。

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で、例によってとりあえず自分で試してみようと。友人のバナナ農園から60㎝くらいの幹をもらいまして、包丁で捌くわけです。短冊状にして細胞壁をこそぎ落とす。繊維というか、皮だけにしてそれを湯がいて干す。文字通り1日仕事ですね。マメできるし血がでるし、俺はいったい休日に何をやってるんだろうという気分になります。

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そんな苦労してもまだ終わりじゃないんですね。今度は毛糸のボールのようにする巻き取り作業があるわけです。が、これができない。とにかくできない。綻びができちゃう。なんか、円錐上のものからくるくる巻き取ってるのをYouTubeで観てて、円錐やったらええんやろかとカブの茎のところを切って串を刺してるんですが、これは…正しいの…か?って。結局諦めて、手作業で端を結んでつなげることにしたわけですが。

苦難は続いてですね、ぼく知らなかったんですけど、編み物ってめちゃくちゃ難しいんですよ。基本のかぎ編みすらできない。なんどYouTube観てもさぱり。不器用過ぎて泣きそうになりました。

ここまですでに貴重な週末をつぶしてるわけです。心折れそうになりましたが、ここで心折れるとバナナの藁が大量に残ることになるので、それも困るなと。結局、かぎ編みができるようになるまで1週間くらいかかった…かな?

左から3つ目の、このいびつなコースターができるまで2週間くらいかかったと思います。ま、一度できるとその隣の写真のように2回目はきれいな円のコースターを作ることができるようになりましたが。長かった。

で、カバンを作るなら、もっと太くしないと作業が大変やぞ、けど強度とデザイン的になぁ…と考えているときに例のウイルスの影響で帰国となってしまいました。

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これはちょっと番外編なんですが、ずっと飲食をやりたいなと思ってたんですね。定番じゃないですか、町の女性グループがクッキーを作って売る的な。

もちろん、理由はそれだけじゃなくて、現状、視覚障害者協会としてモップとかペーパーバスケットとか買い替えの頻度の低いものばかりだったのでね、高頻度のものを売るビジネスを持ちたいなと思ったんですね。

で、当時流行っていたタピオカミルクティーに目をつけたわけです。アホほど儲かるという噂はセントビンセントのぼくの耳にも届いていたんでね、その残り香ね、与りたいと。

タピオカ粉はセントビンセントでも手に入るので。

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で、とりあえずやってみましょうと。栄養士隊員につくってみましょうよと誘い続けて3か月くらいでしょうか。土曜日の昼からね。こねこねやっていたわけです。ひたすら。いやぁ…たいへんでね…。黒糖をいれてもタピオカの色はうっすいですしね。あとで知ったんですが、あの黒い色はイカ墨で着色してるようです。ちなみに1つ前のスライドの黒いタピオカは台湾の人からもらった乾燥タピオカです。

とにかくね、5時間くらいかかったんでね、もうしんどくてね。二度とやりたくねぇと。ぼくでさえこんな感じなんだから、彼らは無理だろうなと。味もね、よくわからなかったですしね。ボツです。

ちなみにタピオカ粉でわらび餅てきなものも作ってみましたが、それもボツになりました。

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最後まとめです。とにかく社会との接点をどう増やすか、無理なく世間一般の人と交流する機会をつくるか、その交流をイベントというかたちではなく日常に落とし込むことができるかを考えていました。その答えのひとつがビジネスだと。商売だと。

今回スライドで紹介した以外にも、いろいろこのスライドにもでないくらい日の目を見なかったものもありますし、種まきしてたものを回収できることを2年目にね、期待していたこともありました。

とにかく、障害者支援という領域に、マーケティング隊員としてね、ビジネスサイドの人間が派遣されるという珍しいケースがぼくだったわけですが、できたことはこの程度です。

これから頑張る人や、今現在ね、現場で頑張ってる人の参考にね、少しでもなれれば嬉しいです。ぼくがもらったバトンをね、次につなげたいなと思います。

ありがとうございました。


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思い返すと、けっこう苦しかったですね。基本的に何をやってもうまくいかないから。自分の知識とかスキル不足なところもありましたし。悔しい思いの方が多かったように思います。

でも、ぼくでもそれなりにやれるんじゃないかって思えたこともあったので、基本的にキツいことばかりでしたけど、ほんの少しですけど自信を得ることもできました。それが、自分の中で大きかったです。

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