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マイノリティが貧困を脱する手段としてのスポーツ

NETFLIXでBasketball or Nothing(邦題はバスケットボールがすべて)を観た。

これは何かというと、アメリカのアリゾナ州のネイティブアメリカンのナバホ族の保留地の高校のバスケ部がアリゾナ州のチャンピオンを目指してがんばるというもの。

保留地のエリアが石炭の採掘地で採掘に地下水を大量に使うから、彼らの住むエリアは慢性的に水不足(アメリカという先進国でありながら雨乞いを今でもやっているらしい)だったり、アルコール中毒の人が多かったりと要するに貧しい生活を送っている。

そういった生活を抜け出すためには大学に行くしかない、そのためにはスポーツがんばって奨学金を得るしかないという結論に至り、その手段としてのバスケというわけ。

本編ではあくまで青春ものとして描かれていて、感動もので、重い社会派の内容のものではないけれど、結構いろいろ感じてしまった。

ナバホの人たちって第2次世界大戦の時の暗号係(コードトーカー)。それは彼らの言葉が複雑で解読困難だったから。

彼らが戦争に協力したのも、彼らのアメリカにおける社会的地位を少しでも上げることになるのならという思いがあり、部族の禁忌(※下記参照)まで犯して協力してる。

軍事機密解除後の1982年にレーガン大統領によって表彰され、記念日もでき、2000年には勲章が授与されているけれど、部族の禁忌を犯し、己の命を賭してまで欲しかったものを彼らは得たのかとちょっと考えてしまった。

ちなみに、ネイティブアメリカン含む南北アメリカの先住民の祖先の人たちはベーリング海峡がまた地続きがった1.4万~2万年ほど前にユーラシアからアメリカ大陸へ渡ったとされる。

だからなのか、アジア系の顔つきに似ていて、太平洋戦争で日本人兵と至近距離で向かい合った時には、「後ろにいる白人たちよりも敵である日本人のほうが自分たちと外見が似ており、親近感を覚え動揺した」と語った記録が残っている。


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ちょっと話が脱線してしまったけれど、ぼくがこれを観たのは、仕事でブラインドクリケット(視覚障害者スポーツ)を復活させようと思っていて、できれば西インド諸島大会に出場させてあげたいと考えているから。

大会への参加条件はシンプルで、渡航費用から滞在費等すべての資金を自分たちで用意すること。

つまりは資金調達を自分たちで全部やらないといけない。当然、いまの視覚障害者協会にはそんな資金ないわけで、自分たちで稼ぐか寄付に頼る、もしくはその両方が必要で、寄付を集めるためのストーリーを描くのに参考になればと思い、なにが人の心を動かすのかのヒントが欲しかったからだ。

結論からいうと、普通に見入ってしまった。



※ 仲間の死体を決してそのままにしてはいけないというもの。仲間の死体を置き去りにしたものは呪われるとされている。彼らはそれを心から信じているし、おそらくその背景にはそれほど仲間を大事しろという教えなんだろうけれど、当然弾丸が飛び交い爆弾が降り注ぐ戦場ではそんな悠長なことをいってられない。

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