自分に時間を使ってもらっている意識
時は金なり、Time is money
そんな言葉があるくらい、時間は大切で過ぎていく
20歳になったら時の流れが顕著に早くなって
30歳になったら1日をどう使うか考えないとあっという間に終わってしまうようになった
この先、どういう感覚で時が流れていくのだろう
時の流れに身を投じて感じることがあったので、毒も出しながら考えを吐き出しておく
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今の職場になって心に余裕もできるようになった
その心持ちで少しずつ増えてきた時間が、一緒に働いていた人の話すことを聞く時間だ
敢えて働いていたと過去形にしたのは、今では辞めていった仲間だからだ
辞める際の相手から、連絡先を交換しようと言われた
自分からは交換しようと言わないと決めているけど、連絡先を聞かれたら拒否する理由も特別に決めているわけでもない
働いている途中で、お互いに楽しい話も交えて居たので、その延長になればいいなと思って交換した
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case 1
後日、複数人で会って話そうということになった
私から特に話すことがないし、あっても職場の愚痴になってしまうので聞く側に徹していた
相手の話を聞いていると、意中にあった相手が嫌になってしまったという愚痴だった
簡潔に書いてしまうと、自分の周りが結婚していくのを見てただ焦っている中で、蛙化現象が起きてやばいという感じだった
その場では全て相手が悪いという雰囲気に包まれていた
後日、もやもやと考えると話の主体だったあの子にも問題があるように、改めて感じていた
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case 2
辞めたあとの経緯を逐一報告
メインは愚痴
そんなことは聞いてない、自分の体調が心配とか
まるで悲劇のヒロインを演じているようだった
一緒に働いている時は体調を崩しやすい人ではなかった
仕事の条件も自分が選んで決めているのに、自分に都合があわないと、言い分がめちゃくちゃだった
正直なところ友達でもなんでもない人から、どうでもいい程のつまらない愚痴を連続して聞くのはしんどくなってしまった
最終的には力づくで「もう連絡したくない」と突っぱねるまでに至った
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このcase1と2を経験して思ったこと
この2人に共通してあるのは「自分の話を聞いてもらいたい」という自己顕示欲だ
そこに「自分に時間を使ってもらっている」という意識は微塵もない
私も優しさであわせすぎてしまい、心が疲弊するまでになった
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ひっくり返して考えてみる
私も見てもらいたい、聞いてもらいたいと思うことを、SNSで壁打ちのように言葉を投げている
言葉ならnoteでXで
イラストであればInstagramでpixivで
これを見てくれる人の貴重な時間をもらうんだというような意識をほんの少しだけでも持って、投稿するのボタンを押していけたらいいなと思う
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辞めていく人と連絡先を交換するのはいいけど関係が100%続いていかないので、関係を続かせない方向にシフトチェンジすることにした
自分から目に見えて関係を断ち切ることは失礼なので、連絡先を交換したいと言った相手から自然消滅させるように誘導している
今回のcase1と2も、現在進行形で自然消滅をしてもらうようにアクションを起こしている
この行為を楽しいと思っている、
自分は歪んでいる
かも
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