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Togashira Farm 通信 -Jul 2022-


雲の平へ向かう途中、誰かが置いたのか、偶然落ちたのか、木の割れめに座る松ぼっくり


手からこぼれ落ちるファストへ


 忙しない日々の中では体感15分でもぱっと1時間経過していたり、日が傾くのを早く感じたり、え!サザエさん最近観たばかりなような…と曜日感覚をどこかに落っことしていたり、時間はいい意味で平等じゃないなと思う。


 4月から続いた苗作りに田植え、大豆の播種。昨年の12月下旬から半年間続いたいちごの収穫作業を終えて農場内では少しだけゆっくりとした風が吹いている。
捉え方を変えれば嵐の前の静けさともいうが、常に走ってるような早い時間軸から、グラデーションの中を進むように多くの人が過ごす日常の時間軸へとゆっくり戻っていく。農繁期と農繁期の間にはこんな日が数日間あり、昔から好きだ。


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 特に若い世代の間で、映画や音楽などの倍速視聴が流行っているそうだ。この潮流をここで語るには力も余白もないのでそっとフタを閉じるが(音楽の無音部分コンマ何秒にこだわる作曲家の気持ちを考えるとかなり悲しい)、このファストカルチャーの対義語はなんだろうか?と考えてみた。

 
 普通に考えたらファストの対義語はスローである。マルクス研究者であり、哲学者である斉藤幸平氏が書いた『人新生の資本論』の中で、コモンズ(共有化)と並ぶテーマの一つに、社会全体のスローダウン化が提案されている。資本増大を追い続けることには必ず限界がある。効率化やコストパフォーマンスなどが大声をあげている現代において、スローダウンは水が染み入るように響く言葉だ。

 
 話を対義語に戻す。ここで厄介な問題が生まれる。流行するファストの本質にはタイムパフォーマンス(時間効率。タイパと略すらしい)という新たな価値観、友人との情報共有が根底にあるということだ

 
 そうなると、ファストの対義語にスローは現状どうも合わなそうだ。そこで、私が提案したい言葉は、見逃すとか聞き逃すなどの、”逃す”はどうだろうか。この場合の逃すはあくまで前向きでいて狙ってたものではない。逃したことに執着しないのも大事なポイントだ。


 想像してみる。

”逃す”文化が広まった世界では、手からこぼれ落ちる情報はこぼれ落ちるにまかせ、しょうがないなと済ます。そもそも手の器を浅く小さく構える。非効率を尊ぶ。掘り起こすこと(ディグ)の面白さが浸透する。すると一極集中していた興味や話題が大いに隅々まで散らばる。大ヒットは生まれないがどんな物事にもファンが存在するようになる。うん、なんだか面白そう。この世界好きだ。だけども広告業界の人は困りそうだ。


 

 時間はいい意味で平等じゃない。人それぞれにそれぞれの時間軸がある。知らないことだらけでもいいじゃないか。と


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