首里劇場、そこにあり。

散歩は好きだ。趣味と呼べるほどでは無いが、不定期的に続けていた。確か中二の冬だったか、その日も無計画に赴くままに歩き回っていた。首里は景色も良いし、街も綺麗で、散歩にはうってつけだ。瓦屋根が見えた。公民館ほどの大きさの建物だと思われた。そこに向かって歩いてみる。すると何やら文字が見えた。
「首里劇場」
そう書かれていた。映画か演劇かは分からないが、こんなところに劇場があったとは。新聞の映画欄にもそんな名前は見たことがない。これは良い発見をしたと思い、首里劇場と書かれている建物に高揚した気分で近寄った。

細道を抜け、全貌が顕になったその建物は、随分と年季が入っていた。正面に貼られているポスターには、半裸の女性と"人妻"の文字が見えた。僕は賢いので、だいたいを理解した。ここにいる所をあまり人に見られない方がいい。何しろ僕は未来ある中学2年生だ。学校では級長もやっていたし、真面目で通っている。もう少しポスターを、いや、建物の様子を見たかったが、横目に立ち去った。帰宅後、ネットで首里劇場ついて調べた。首里劇場は現存する沖縄最古の映画館らしい。そして僕の予想の通り、ピンク映画館だということが分かった。僕はここでピンク映画を見たいと強烈に思った。それはすけべ心からくる気持ちでは無い。エロはネット全盛のこの時代に、ピンク映画を専門で上映している場所がある。平成も終わろうとしているこの時に、昭和が色濃く残る場所がある。興味をそそられないはずがなかった。18になったら、真っ先にここに来よう。そしてピンク映画を見よう。その時僕はそう決めた。

しかし問題が起きた。首里劇場の発見以来、僕は首里劇場の情報を追っていたが、僕が18になる三ヶ月前、首里劇場は館長の意向によりピンク映画上映を辞め、名画座に生まれ変わることが決定された。僕は時代の終わりを見たような気がした。コンビニから成人誌コーナーが消えていく。レンタルビデオが軒並み潰れていく。そして、沖縄からピンク映画専門館が消えた。それは1つの性時代の終わりを意味していた。僕が18になる少し前に、とうとうその時代は潰えた。僕は触れることは叶わなかったが、しかとその最後見届けたぞ。

再び時は経ち、つい数ヶ月前のことである。首里劇場で内覧会が行われることをTwitterで知った。名画座に生まれ変わった首里劇場は、館長の死去により、しばらく休館していた。今後の見通しも立たない中で、首里劇場に立ち入ることの出来る数少ない機会が内覧会であった。僕はその内覧会に行くことにした。

内覧会は多くの衝撃があった。やはり主な衝撃は外観の20倍ボロボロであったことだ。至る所にある補強用鉄パイプ。ふにゃふにゃの床板。歪んでいる階段。建っているのがやっと、と言った様子で、台風の1つで倒壊しそうなほど建物は限界だった。しかし、黒板に残されていた「千秋楽」の文字や、お手製のスピーカーは、かつて役者やお客さんで賑わっていた様子を垣間見ることが出来たし、館長が倒れたであろう日からめくられていないカレンダーや、古い映写機が置きっぱなしにされている映写室は、長年首里劇場を繋いできた館長の面影を想像することが出来た。建物が錆れても腐っても、人々に愛されていた痕跡は根強く残るものなんだなと、思った。

そんな首里劇場が、解体されることが決定した。さすがにどうにもならないことはある。僕には浅い思い出しかないが、少し悲しい。しかし内覧会の時に案内してくださった首里劇場調査団の方が、劇場にあるいくつかの物は博物館に寄贈されるよう調整していると話していた。首里劇場が愛されていた痕跡はまだまだ消える予定は無いようだ。

10月7日に最後の内覧会が行われる。首里劇場を知っていた人知らなかった人、ぜひ参加すると良いだろう。


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