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幼児性愛者と自分の話

最近ちょこちょこTwitterで目にする機会が増え、よく逮捕者も出ているようなニュースもみる。

そういうニュースを見るたびに何歳になっても思い出すし、たぶん死ぬまで思い出すことがある。

すごく日々もやもやするので、気持ちの整理がてらわたしの体験とそれが与えた影響について書き殴っていく。事実描写はできるだけマイルドに書くけど、不快な気持ちになる人もいるとおもうから辛い話が嫌な人は読まない方がいい。

心の中にずっとは溜めておけなくて、たまに少ししんどくて、すごくたまには誰かに知ってほしいけど大々的に人に話すような話でもない、そういう話。と、幼い子どもが直面しうる危機とメンタルへの影響てきな話。

わたしは小学生の頃、タイトルのような被害にあったことがあった。そのときはスカートで自転車に乗っていて、季節は春くらい。小4とか小5だったと記憶している。雑貨屋さんに行った時のことだった。

なんだかおかしいな、この人ずっとわたしと道が同じだな、偶然かな、それともついてきてるのかな。という違和感をおぼえたのはもうあと5分も走ればお店に着くタイミングであった。

途中に警察署だって行けたのに。コンビニに入って親に電話することもできたのに。なのにわたしはそのまま行ってしまった。

たぶん、子ども心に「そういう不審者に遭遇してしまったことを認めたく無い」というのがあったんだとおもう。

少し離れた駐輪場に自転車を停めると、その人はまた少し行った先で自転車を止めてこちらに近づいてきた。

私の前に立って、スカートの中に手を入れて、パンツの中に手を入れた。そのときにまず感じたのは恐怖ではなく驚きだった。

そんで、よくわかんないんだけど絶対これはよくないことだっていうのが本能でわかる。

次に、「こういうときは大声を出さないといけないんだ」ってやっと脳みそが認識する。でも声帯を紐で縛られてるみたいに声が出なかった。「やめて」とすごく小さい声で言えたか言えなかったか、そういうレベルだった。

そして相手から返ってきたのは「大丈夫だから」だった。これははっきり覚えてる。だから、「この人やめてくれないんだ」と思ってそこで初めて「こわい」っておもった。

そして「こわい」の次にきたのは恥ずかしいとかそういうのじゃない、「ころされるかもしれない」だった。これは「こわい」よりめちゃくちゃ上位の感覚で、この歳になっても言語化が難しいが「冷たい」に近い。

氷の手で心臓を鷲掴みされたら、きっとそのときにかんじる冷たさが「ころされるかもしれない」なんだとおもう。30年生きてるが、あの感覚はあの時しか感じたことはない。割と大部分を忘れてしまっても、これだけは忘れない。

わたしが賢かったのは、泣き叫んだり大声を出したり(というか出せなかった)、めちゃくちゃな抵抗をしなかったことだったとおもう。そうしたことでころされてしまった子どもたちのニュースをたくさん見てきてから。いまわたしが生きていない世界線だって十分にあるわけだ。

そのあとの詳細は正直よくおぼえておらず、相手の顔すら覚えていない。年齢も、おじいちゃん世代では無いくらいの記憶しかない。

人がきたか車が通ったか、はたまたその人が正気に戻ったか、その人は少しして去っていった。

もう雑貨屋さんどころではなく家に帰り、呆然としながらもお母さんに話して、警察が家に来た。

一番キツいのはその人と相対しているときだと思ったけど、メンタルにダメージが蓄積していったのはここからだった。

「ころされるかもしれない」は目の前の相手が去ったらそのピークは終わるが、「こわい」はそのあと何年も脳みそとこころを支配するから。

まず、うちに来てくれた警察の男の人たちがさっきの人に見える。絶対違うのに、そういうふうに見える。学校は朝は班で登校するが、帰りは自由だ。友だちと別れて1人になると、すれ違う全ての男の人がその人だったんじゃないかと思えてくる。

これは生き物としての危機管理的な反応だったんだと思う。おじいちゃん世代の男の人だけはそのセンサーから除外されてたのはそういうことだったんだろう。

そんな毎日がこわくて、でも親に心配かけたく無いから「学校に毎日迎えに来て」とも言えなかった。全然気にして無い、全然大丈夫という振る舞いをしながら、毎日こわくて、その後中学で長いスカートを履くまでの3年強ほど私服でスカートが履けなくなった。

でも、絶対に親には「こわいよ」という意思表示はしなかった。すればよかったじゃんって今になれば思うけど、しなかったんだよな。

親に心配かけたくないのと同じくらい、認めたくなかったのかもしれない。被害を受けて、それによって傷ついたということを認めてしまっていたら、自分は何も悪いことをしていないのに他者から害されてころされるかもしれない世界なのだと9歳やそこらで学んでしまっていたら、引きこもりルートになってた可能性は全然ある。あの時は本当に外に出るのが嫌でこわかったから。

どれくらい嫌でこわかったかというと、当時毎日飲んでいた薬に異様に眠くなる副作用があったので、それをたくさん飲めばずっと寝ていられて外に出なくて済むかもしれないと思いついて何日か分をまとめて服用したほどだ。

因果関係は不明だが、結局40度くらいの熱がちょっと出ただけで終わってしまったものの、9歳やそこらの子どもがそこまで思い詰めるレベルのストレスがかかっていた。

よく、ニュースとかでは「性的ないたずら」みたいな表現をみるけどあれは全然適切じゃない。こっちはころされると思うし、それほど重たいことなのだという認識が世間的にもやってる本人的にも欠けすぎな表現だとおもう。

だいたい、大人が大人にやったら即アウトな行動がなぜ子ども相手だと「いたずら」と軽くなってしまうのか。

そしてスカートを履かざるをえない中学生になったわたしが考えたのは、なぜあの人はあんなことをしたのか?であった。なんでそんな思いつきに至ったのか不明だが、おそらくこれも脳みその防御機能みたいなもので「意味不明なものはこわいからとりあえず理解しよう」みたいに思い始めたんだとおもう。

スカートを履いて1人で登下校しないといけない恐怖を克服するために心理的な反応だったんだと思う。

そこで初めて幼児性愛というものを知り、それはもう一種の病気なのだと知った。そこから幼児性愛の心理学関係の本を何冊か読んだ。

なんか、かわいそうだと思った。

あんなにこわかったけど、「こわかった」気持ちが「かわいそう」に変換された瞬間だったとおもう。

そして、かわいそうだと思ったら急に恐怖心が消えて、そこからスカートも短くするようになり高校生では無事平成ギャルとなった。

そんな簡単なものかと思うかもしれないが、簡単なのではなく、そろそろ毎日の「こわい」ストレスが限界でその気持ちや認知の置き換え先がたまたまカチッとはまったということなんだと今では思ってる。

あとわたしはたぶん元来メンタルがつよかった。だから乗り越えられたし、いま思い出しながらこれを書けてる。

だけど、あそこで物理的に死んでた可能性、この世が無理になって引きこもりになってた可能性、男性恐怖症になっていた可能性、全てあり得る。

インターネットの友だちが言っていた、子どもの心はセメントなのだ、受けた言葉や行為が落ちた形が跡になってかたまるし、2度とものが落ちる前の形にはもどらない、というのがすごく心に残ってる。

わたしのこころはもうその人が落としたものの形を残して大きく硬くなってしまった。上から新しいセメントを流してかためたからきっとぱっと見ちゃんとした見た目をしているが、中にはきっと跡が残ってる。

男の人への恐怖とかは本当にないし、セックスできるし、友だちは男も女もみんな大好きだし、今はもうスカートだって履けるし、すれ違う男の人も加害者だと脳みそが判断することはない。1人で外の道を歩くのもこわくない。

だから傷というかトラウマみたいな、そんな大げさなものはたぶんない。

一方で、今現在の年齢性別関係なく歳下を過保護なまでに守ろうとしてしまうのも、特に男の人への苦手意識がないのに積極的には彼氏を作ろうとは思わないのも、メンタルが鬼神のごとく強くなってしまったのも、トラウマや傷の代わりに得たひとつの結果なんだとおもう。

わたしは普通に幸せだし毎日たのしいし、家族友だち会社の人たちみんな好きでハッピーだけど、このこころに残った跡だけは絶対消えない。

自分の子どもがいる人もいない人も、会社いくときや帰る時、遊びに行った時、スーパーに行った時、少し周りを見て子どもの存在を認識してくれるとうれしい。それだけで、加害者は手を出しづらくなる。

そうしたら、その子どもたちのこころに要らない跡が残らなくて済む一助になるとおもうから。

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