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幸せな時間

この試合をずっと見ていたい。
そんなふうに思っているのに気づいたのは、後半4分を過ぎたあたりだった。

2点をリードしながら、前半終了間際と後半立ち上がりに続けてゴールを奪われてスコアは2-2。
同点やリードを許しているときに勝ち越し点が入るまで試合が続いてほしいと願うことは珍しいことじゃない。

けれど、この日はその感覚とは違った。

どんな結末になるかはわからないけれど、とにかく、ずっと、もっと、この試合を見ていたい。
そう思いながら試合の行方を見守っていた。

理由は明確だった。
この日が声出し応援の検証試合だったからだ。

白波スタジアムには約1,000日ぶりに歌声が響いていた。
それは、最高に幸せな時間だった。

明治安田生命J3リーグ 第20節
2022年8月14日 18時3分キックオフ@白波スタジアム
鹿児島ユナイテッドFC VS 松本山雅FC
4-2(2-1、2-1)
天気:晴れ 気温:31.6度
入場者数:5,432人

チケット完売

声出し応援検証試合の今節、収容人数は50%に設定されていた。
しかも対戦相手は昇格を直接争う松本山雅とあって、試合2日前には前売り券が完売となっていた。

いつものように試合開始2時間前にスタジアムに着くと、大勢のサポーターが集まっていた。
盆休みということもあるのか、普段は来ていなさそうな人の姿も目立った。

松本山雅のユニフォームを着た人たちも多い。
さすがJ1を経験したチームのサポーターは違う。
そして、このタイミングで声出し検証試合を実現した鹿児島ユナイテッドの運営もなかなかのものだと思う。

鹿児島ユナイテッドにしても、松本山雅にしても、リーグ戦折り返し後のこの対戦は優勝を目指すには、どうしても勝ちたい試合。
サポーターたちもそんなことはわかっていて、試合前のスタジアム周辺にはワクワクとドキドキが入り乱れていた。

僕ももちろんその中の一人だった。
落ち着かない気持ちを抱えながら、スタグルを確保した。

この日選んだのは、ウインナートッピングのカレー。
ウインナーも食べ応えがあったし、しっかり煮込まれた肉がほどよく柔らかくて、おいしかった。

ただ、やっぱり少し緊張していたんだと思う。
普段より食欲がないのを感じていた。
そういう意味でもカレーにしたのは正解だった。

「いつも」

腹ごしらえを終えると、スタジアムの中へと戻った。
席はいつものようにバックスタンドの真ん中あたり。
つまり、声出しができる席ではない。

もともと僕はコロナ禍で声が出せていたころも、熱心にチャントを歌うほうではなかった。
じっくりと試合を見るのが好きだと思っていた。

けれど声が出せなくなったスタジアムにはどうしても物足りなさを感じていた。

だから、この日を迎えて、ほんとに長かった、と思った。

コロナが流行し始めて、夏が過ぎれば、この冬を越せば、あと半年すれば、いつもの生活に戻れるはずだと何度願っただろうか。
期待は淡く裏切られて、「いつも」が何なのかもわからなくなりつつある。

この日もマスクの下に汗をかきながら、試合が始まるのをじっと待った。

そして、主審の長い笛とともに試合は始まった。

「ここは鴨池」

チャントを聞いたら泣くかもしれないと思っていたけれど、涙は出なかった。
けれど胸が熱くなって、鼻の奥がツンと痛くなった。

Jリーグの野々村芳和チェアマンの言葉を借りれば、サッカーという「作品」はやっぱり歌声があって完成するんだろう。
試合が始まって、歌声が響くと「ああ、これがサッカーだ」とどこか懐かしさを感じた。

声の出せない席に座る僕らも、声に導かれるように手を強くたたいた。
手拍子を鳴らすだけなら、コロナ禍では当たり前のことだけれど、歌声に合わせると気持ちがより強く送れるような気がした。

この日のハイライトは2-2で迎えた後半24分ごろ。
飲水タイムが終わろうとするころに、サポーターたちが歌い始めた。

「ここは鴨池。俺たちのホーム」

個人的に好きなチャントだというのもあって、かなりグッときた。
手拍子をたたく力も強くなる。
きっとスタンドのほかの人たちも同じ思いだったのだろう。
スタジアムが歌声と手拍子に包まれた。

「勝利をつかもうぜ。鹿児島ユナイテッド」

チャントが続く中、ピッチでは第4の審判が選手交代のボードを掲げていた。

それから18分後のことだった。
飲水タイム明けに投入された木出雄斗選手が勝ち越しゴールを挙げた。
本職のサイドバックではなく、中盤で起用された木出選手の決勝弾。
ホームチームにとっては最高の「作品」が完成した。

一歩ずつ

コロナ禍のやっかいな状況は残念ながらまだしばらく続きそうだ。
でもこの日見たように、「いつも」は少しずつ戻ってきている。

焦ってもしょうがない。
そもそもなにができるわけでもない。
そのときそのときで目の前に立ちふさがる事態に対応していくしかない。

幸いにして、ままならない状況を目の当たりにしても、2週間に一度、スタジアムに足を運べば、非日常の空間でリフレッシュできる。
まだまだ検証扱いは続くのだろうけれど、チャントも戻ってきた。

この日も一歩ずつ、でも着実に前に進む力をもらえた気がする。
次もスタジアムに行こう。

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