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震災の教訓

20歳で地元宮崎の専門学校を卒業した僕は上京して千葉のとある工場で働いていた。

毎日余裕なく過ごし、疲弊し、自分を守ることだけで精一杯だったサラリーマン生活は、精神的に限界を感じ、5年でドロップアウト。

その後はニートとフリーターを行ったり来たりしながら、東京・神奈川・埼玉の街を漂いながらフラフラと生活をしていて。

そんなタイミングで東日本大震災が起きた。

当時、僕は派遣の仕事で東京の大崎という街に来ていて、小さな作業場の中で新年度に合わせて全国の小学校に配送予定である教科書の荷詰め作業をしていた。

平積みされた無数の教科書が突然グラグラと揺れ始め、何事かと思って外に出てみると、辺りを取り囲む高層ビル群が、まるで皿に乗ったプリンのように一斉に揺れていた。当時の異様な光景は今でも鮮明に覚えている。

それから程なくして一緒に働いていたアルバイトの1人が携帯でこの地震のテレビ中継を流し、僕を含む10人位いた他のアルバイトたち全員が仕事の手を止め、それに釘付けになった。

そこには津波が東北の街を次々に飲み込んでいく、映画さながらのあの光景が映し出されていた。

夢なのか現実なのか区別がつかない、フワフワと宙に浮かぶような不思議な気持ちのまま、アルバイトを終えた僕は帰宅難民で溢れる街を無目的にしばらく徘徊した後、お腹が空いてきたので食糧を求めコンビニへと向かった。

しかしそこには食べ物はおろか、水さえも一つ残らず棚から消えていた。


僕は当然、財布にお金を持っていた。
だけど、空腹を満たすために、その肝心のお金が使えない。

これは25年生きてきて初めての体験で、えも言えぬ衝撃を受けた。

“お金がなければ空腹や喉の渇きを満たすことさえ自分はできない”

“もしこの状況があと1週間も続こうものなら、生き延びることなんて絶対無理”

自分の非力さと危機感に打ちひしがれた僕は、それからお金よりももっと本質的な「生き延びるための力」のようなものを獲得することに執着するようになり、「豊かさとは何か?」という問いに常に追われながら、お金への依存度を下げ、現代を生き抜く術を探るようになっていった。

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